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【お金の問題ではない】Are you crazy? 想像を超えた夢のセダン×3台の物語 第3話

2020年10月4日

理不尽なクラシックカー×3台: アストンマーティン ラゴンダ、ランチア テーマ8.32、メルセデスベンツ450 SLE 6.9

今日、クラシックとなっている車の多くは、登場した時にはすでに主流から外れていた。
アストンマーティン ラゴンダ(1976-1991年)は、70年代の最も不思議で魅力的な車の1台だ。
その導入は驚きで、ショッキングなものだった。

トーマス ドレクスラーが彼のアストンマーティン ラゴンダについて最も愛しているのは、その形状だ。ロングで、ワイドで、信じられないほどフラットなそのフォルムだ。

お金を燃やすことはこんなにも美しいことなのだ。
我々は、お金の問題ではない3台のクラシックカーとそのオーナーを紹介する。
今回は第3話、世界をあっと言わせたアストンマーティン ラゴンダについてだ。

第1話と第2話はこちらをどうぞ。

第1話: ランチア テーマ8.32

第2話: メルセデス ベンツ450 SEL 6.9

シュールで奇妙

その当時英国のスポーツカーメーカーから、4ドアセダンが登場するとは誰も予想していなかった。そして、そのようなエッジ&ウェッジだらけのシャープなボディスタイリングも期待していなかった。
需要は抑制されたままだった。
誰もがこの未来的なファミリーレーサーを好んだわけではなく、当時270,000ドイツマルク(約1,730万円)はとてつもなく高価だった(わが国では4500万円という価格で正規導入されていた)。

2020年に見ても初年度の1976年と同様に壮観だ。

アストンマーティン ラゴンダ

1976年10月、アストンマーティンは、ウィリアム タウンズによって設計され、革新的なソリッドステートデジタルインスツルメンテーション、当時の未来的なコンセプトを備えた印象的なニューモデル、新しい4ドアのラゴンダを発表した。
ラゴンダは良きにつけ悪しきにつけ、衝撃的な波紋を巻き起こし、イギリスのスポーツカーメーカーは世界中から注目を集めるに至った。
当初は低かった需要も、その後徐々に高まり始め、特に北米と中東市場からの注文書が急速に届き始めたのだった。

長くて長い。アストンマーティン ラゴンダの全長は5.28メートル、全幅はほぼ1.80メートルで、ドライバーズシートから見えるボンネットはどこまでも続いているように見える。この初期モデルが圧倒的に格好良く、ラゴンダの中のラゴンダといえる。
アストンマーティンが1976年に思い描いたスポーティなツーリングセダンの未来はこうだった。強調されたウェッジシェイプ、フロントに向かって先細りになるボンネット、そしてホイールアーチを除けば丸みを帯びた形状は全くない。
他の道路利用者は通常、304馬力のラゴンダの後部しか見ていない生産された車の数はわずか645台だった。
1982年当時、アストンマーティン ラゴンダの1台当たりの価格は272,280ドイツマルク(約1,750万円)だった。メルセデスベンツ500 SELの4.5倍!だ。だが日本ではそんな甘い価格ではなく4500万円という価格がついて売られていた。
ダブルメインヘッドライトはボタンを押すだけで折りたたむことができ、その下に並んだフォグランプとウインカーはミニマムなラジエターグリルのためのスペースをほとんど残していない。ヘッドライトは上げない方が絶対に格好いい。

トーマス ドレクスラーは、2009年にスウェーデンで、30,000ユーロ(約380万円)で彼のアストンマーティン ラゴンダを購入した。なんと、彼はなんのトラブルもなしに、スウェーデンから、フランクフルトの西にある小都市、ヴィースバーデンの彼の自宅まで、ラゴンダを運転して戻ってきたのだった。ラゴンダの信頼性は低いことで有名なので、驚くべきことだ。
しかしその後、ドレクスラーは昨年、4回も工房を訪れている。停止することができなくなったフロントガラスワイパー、ステアリングギアのオイル漏れ、サーボポンプの故障、および、そして、それから、その他&その他。彼は常にラゴンダの欠陥と要注意点のリストを持っている。それは現在約40か所を構成している。
「アストン マーティン ラゴンダを所有している人は誰でも、小さなことに寛大です」と、ドレクスラーはにやにや笑いながら語る。そしてそれほどの度量がなければラゴンダなど所有できない。

小さなフラップ、その後ろにはたくさんの…。燃料タンクには126リットルのプレミアムガソリンが入っている。これは、2トンのアストンマーティン ラゴンダが500kmの距離をカバーできることを意味する。スピードが速くなると、4つのウェーバーデュアルキャブレターを介してまたたく間に消費される(つまりリッター3~4キロくらいの燃費なのである)。
ラゴンダという貴金属を傷つけないようにするには、駐車場は避けた方がよい。その巨大なサイズのためだけではない。ターニングサークル(回転円)は18メートルだ!
ロードオブザリング。白い壁のリングで緑豊かな、225/70 VR 15ホイールがタイヤを飾る。装飾的なクロームリングと同色ボディカラーのホイール(同色ホイールでないものもあった)。
細部へのこだわり。ホイールハブカバーまでもがアストンマーティンのラゴンダであることを物語っている。ラゴンダの製作には2000時間以上の手作業が必要だった。
外側が「ケントグリーン」、内側が「マグノリア」。一本スポークとタッチスイッチが未来的だ。いまだにこの雰囲気を超える未来的な内装は、ない。
ドアに設けられたスイッチに注目(パワーウインドスイッチ)、ここもきちんとデザインされているが、使いにくそうなのは言うまでもないし、そんなことどうでもいい。ちょっとしょぼいグラフィックイコライザー付きカーステレオがなんとも不釣り合い。普通のキー(おそらくフューエルタンクのキーも別なのだろうか?)が40年の歳月を感じさせる。
タッチパネルを搭載した(おそらくB&Oあたりをモチーフにした)オンボード電子機器は、所有者を計り知れないリスクに陥れる。1978年、最初のユニットが配送されたソフトウェアは欠陥品だったという。さらに今となっては修理するパーツもないため、このメーターパネルはラゴンダの致命的なウイークポイント。そのため後期モデルでは、この電光管ディスプレイではなく、CRTユニットがディスプレイに変更されたが、もちろんその改良型もトラブルが多発するとのことだ。(笑)
左右に線対称で設定されたクロームメッキの灰皿が時代である。3速AT用のセレクターがちょっと民芸風デザインなのが面白い。
矢印は、ウィンドウと電動シート調整用のボタン。ちなみに、リアウィンドウは固定式で下がらない。その代わりに、後席乗員用のセカンドエアコンがパーセルシェルフに設置されている。カーペットのグリーンの色が、なんともイギリス的。
ドアの開口部の処理とかウエザーストリップなど、やはりなんとも心配になってしまう形状だが、そんなこといちいち根掘り葉掘り気にするような車ではない、のである、
意外とルーズなルックスのシート。ラゴンダに似合うような、似合わないような…。実は2度だけアストンマーティン ラゴンダに座ったことがあるが、大きさのわりにものすごくタイトではあったが、室内空間をうんぬんかんぬん言うような車では絶対にない。
トランク内部の全周囲に張られた皮やカーペットなど、こういう部分の仕上げは4,500万円にふさわしいディテールだ。欠品していた車載工具をそろえるためにラゴンダのオーナーであるトーマス ドレクスラーは、700ユーロ(約8万8千円)を支払ったそうだ。工具セットの内容を考えれば高いが、この手のものはそういうものだからこれも仕方ない。手前のビニール袋にしまわれた手袋は、タイヤ交換の時などに使う皮の手袋。
4基のウェーバーデュアルキャブレター装備の5.3リッターV8 エンジン。304馬力を発生し3速オートマチックトランスミッションによって、最大500 Nmをリアアクスルに伝達する。燃費はおおよそ3~5キロの間くらい。のたうちまわった配線など信頼性はとにかく低そうだ。
アストンマーティンのエンジンには1基ずつ、手作業で組み立てられ、組み立てたメカニックの名前を記したプレートが貼り付けられる。これはドン オズボーンがすべて一人で完成させたエンジンということの証明書。

1979年の晴海で行われた東京モーターショーの、アトランティックモータースのブースで、14歳の僕は2時間以上、ぼーっとアストンマーティン ラゴンダを眺めていた。今のようなインターネットなど想像もつかなかったし、そのころの情報源は毎月の自動車雑誌だけだったから、一切の予備知識なしに行ったモーターショーのブースに、まさかアストンマーティン ラゴンダがあることなど知る由もなく、その姿を見た瞬間にはおしっこを漏らしそうなほど驚いたものだった。

自動車専門誌でアストンマーティン ラゴンダのことは知っていたし、その未来的な姿に憧れを抱いていたけれど、日本で現車を見ることなど想像もしていなかったし、心の準備をしないままであったラゴンダの、その自動車とは思えない姿に出会った瞬間、僕の永遠の夢のクルマはずっと、これのまま、なのだ。
そこに記された4,500万円という価格も、そのころ父の車だったシビックCVCCの30台分以上の価格であり、あまりにも現実感に欠けたものだったが、そんなことどうでもいい。とにかく日本にラゴンダが上陸して、目の前にあるという事実、それだけでよかった。

その後ここに飾られていたアストンマーティン ラゴンダは、日本の老舗自動車雑誌の巻頭を飾り、その副編集長が名古屋から自走した(!!)という記事が掲載され、そのページを暗記するほど読んだ思い出がある。そして読みながら、あの時に2時間以上立ち尽くして眺めていた自動車そのものが写真を写され、記事になって目の前にあるということが不思議でしようがなかった。

さすがにアストンマーティン ラゴンダは、ランチア テーマ8.32とかメルセデスベンツ450SEL 6.9のように欲しいとか、そういう現世の憧れの車ではない。夢の中に出てきて、夢から目覚めるとふっと消えてしまうような儚い幻想のような自動車である。
今でも10年に一度くらい、その姿を瞬間的に見かけることもあるが、その度に、今のは幻だったのだろうか、と自問してしまう。
実際のラゴンダは、信頼性は皆無に近く、ちゃんと走ることが珍しいような完成度だというし、性能的にも今となっては別段優れているともいえない車なのだそうだ。またよくよく見ると全体のディメンションのバランスがなんとなく悪いとか、こんなのアストンマーティンじゃないと嫌悪するエンスージャストも多い。だがそんなことどうでもいい。
 
人の見た夢について、ああだこうだ言われても困るし、あの時の14歳の僕にとっては、アダムスキー型UFOが目の前に降り立って、やっぱりUFOは現存していたんだ、と思うような衝撃と喜びだったのである。

Text: Jan-Henrik Muche
加筆:大林晃平
Photo: Goetz von Sternenfels