追悼 ショーン・コネリー 「ボンド、ジェームスボンド」永遠に

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Photo: DPA

ショーン・コネリーが亡くなったというニュースを聞いて、いよいよその時がやってきてしまったかと胸に迫るものがあった。90歳という高齢まで生き、ハバナの自宅で眠ったまま息を引き取ったというから、その年齢も、旅立ち方に関しても文句のつけようもない人生ではあるけれど、いよいよあのザ・ジェームス・ボンドが亡くなってしまったということに衝撃を受けざるを得ない。
もちろん人によってのボンド像とか好きな007というのは千差万別であり、ロジャー・ムーアの明るさと楽しさを一位に選んだとしても、ダニエル・クレイグのスマートさとニヒルさに憧れたとしても決して反対はしない。だがこの世の中に「ボンド、ジェームス ボンド」と決め台詞で登場し、タキシードを着こなしてボンドカーをドライブする、そんなヒーロー像をまっさらな白紙の上に描き構築し、007という男の夢を世界中に広め身近にさせた人物はショーン・コネリーを置いて他にいない。彼がいたからこそ、60年を超えて私たちを魅了し続けるジェームス・ボンドが今も存在しているのだから。

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ショーン・コネリーが乗ったボンドカーは、実はアストンマーティンDB5だけではない。とはいっても「ドクターノオ」でジャマイカに潜入した際に乗ったサンビーム アルパインとか「ロシアより愛をこめて」で乗っていた1935年ベントレー 3 2/1Lや、「ネバーセイネバーアアゲイン」で乗っていた1937年ベントレー 4 2/1Lを正式にボンドカーというにはやや違和感がある。
やはりボンドカーというのものは、Mがドキドキするような秘密兵器を装備し「任務遂行の暁には、壊さずに返してくれよダブルオーセブン」などと言いながらカギを渡すような、そんなクルマであってほしい。
そういう意味でショーン・コネリーにとっての正式なボンドカーは、言うまでもなく「ゴールドフィンガー」で大活躍したアストンマーティンDB5であろう。文句なしにボンドカーの中のボンドカーであり、それ以来ロジャー・ムーアを除くすべてのジェームス・ボンドが必ず一回はハンドルを握るようになる永遠のボンドカー。それがアストンマーティンだ。

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「ゴールドフィンガー」撮影当時、アストンマーティン社に映画に使いたいと打診し、2台(細かい特殊装備など、細部撮影用と、走行用の2台)使いたいと伝えたものの、「なんで2台も必要なのか」と言われたうえ、多額の金額をアストンマーティン社から請求されたという。
また天才美術監督ケン・アダム考案の秘密兵器(ケン・アダムの描いた、詳細なスケッチが残っており、そのスケッチに実に忠実に秘密兵器が設定されていることがわかる)をアストンマーティン社に改造依頼すると「わが社のスポーツカーは完全無欠であり、今以上の装備など必要がない」という返事だったという。
先日、アストンマーティン社が再生産?したコンテニエーションモデル(公道を走れず、3億6千万円)は、25台(!)の限定生産を完売(!)するといった商売を展開する現代では信じられないようなツレない扱いぶりが、「ゴールドフィンガー」撮影後に1台は映画プロモーション用として各地を転々とするものの、もう一台は普通の姿に戻され、返却したのちに中古車として販売される、というエピソードから伺える。

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「ゴールドフィンガー」が大成功したことでアストンマーティンの売り上げが飛躍的に伸びたため、次作「サンダーボール」作戦では手のひらを返したように(現金なもんだ)アストンマーティン社は態度を変え、スムーズに車輛を用意してくれるようになったという。「ゴールドフィンガー」に出てきたDB5と「サンダーボール作戦」のDB5とでは細かい装備が異なり、アップで映るセンターコンソールのスイッチ(特に前部のトグルスイッチの数が2個増えていたり、その後ろのシーソースイッチが廃止されたりしている)が異なっているし、フロントグリルの部分なども異なっている。
またMの装備した秘密兵器の中には一度も使われなかったものも多く、コーギー社のミニカーには装備されていた攻撃用フロントバンパーガード、運転席下に装備されたモーゼル・手りゅう弾、ドアの内張りの中に設置された自動車用電話機、追跡車をパンクさせるマキビシを巻く装置(これは後々、BMW7シリーズの秘密兵器として復活することになる)などがある。当時マキビシを巻く装置を使わなかった理由は、映画を見た人がマネするといけないから、とか。
なお、リアタイアに仕込まれ、隣の車パンクさせることのできるタイアスラッシャー(タニア マレット演じる「ティリー・マスターソン」の乗るマスタングをスイスの路上でパンクさせた装置)は、映画「ベンハー」に出てきた馬車の兵器にヒントを得たものだという。、また回転式ナンバープレートは、駐車違反の常習犯で、こういう装置が欲しかったと熱望した「ゴールドフィンガー」の監督ガイ・ハミルトンのアイディア。他の秘密兵器は美術監督ケン・アダムの手による。

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もしもう一台ショーン・コネリーのボンドカーを挙げるのであれば、「007は二度死ぬ」に登場したトヨタ2000GTであることに異論はないだろう。その時のエピソードに関してはアウトビルドジャパンWebの中の「ボンドカーの話」に記した通りだが、横浜市港北区のトヨタテクノ(特殊車換装工場)で突貫工場にてオープンボディ化された2000GTを操るのはアキこと若林映子。残念ながらショーン・コネリーは運転することなく助手席に座り、ソニー製のテレビでタイガー(丹波哲郎)と会話するのみだが、それでもボンドカーと認定しても文句は出ないであろう存在感を醸し出している。蛇足ながら当初は2000GTによるさらに激しいカーチェイスも企画されていたというが、過去作と違うアクションを、という意見から、ヘリコプター「リトルネリー」による空中アクションに席を譲る形になった。蛇足ながらこのヘリコプターシーン、ショーン・コネリーはもちろん操縦せずにイギリスのスタジオで合成シーンを撮影しただけだが、実際の撮影にはヘリコプター開発者のケン・ウォリス自身が操縦し、85時間(!)も飛行し、そのうち46時間も撮影したというが、実際に使われているのは7分ちょっとにすぎない。なお、リトルネリーの蜂のようなカラーリングデザインも美術監督ケン・アダムの手によるもの。

それにしても、どこのだれかは知らないけれど、ボンドカーとはよくぞ名付けてくれた。これがジェームスモービルや007マシーンだったら、これほど世の中に浸透したかどうかは怪しい。単純明快だが、力強く心地よいボンドカーという響き。これがあってこその成功なのである。
それと同じように、様々な障害や反対を押し切って、1961年にショーン・コネリーを初代ジェームス・ボンドに抜擢したハリー・ザルツマンとアルバートRブロッコリにも心から感謝したい。粋なスーツを着こなし、シャンパンかドライマティーニを飲みながら、Mの用意してくれた秘密兵器やボンドカーを活用して世界を救い、最後に絶世の美女とベットインする……そんな他愛もないけれど、世の中の男性にとってはこれ以上ない夢物語を最初に描いてくれたショーン・コネリーとアストンマーティンDB5というアイディアルペアが存在したからこそ、007はこれからも永遠に世界中の男子の憧れなのである。

Text:大林晃平