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【クラシック オブ ザ デイ】このクルマなしに日本車は語れない!今や文字通り伝説の「ゴジラ」と呼ばれる日産スカイラインGT-R(R32)とは?

2023年9月10日

日産スカイラインGT-R: クラシック オブ ザ デイ。これが日産スカイラインGT-Rを「ゴジラ」と呼ぶ理由だ。日本のグループAのツインターボエンジンが、日産スカイラインをモンスターGT-Rに変えた。

日産は1989年、やや控えめでスポーティな「日産スカイラインR32」をブルートな「GT-R」として発売した。ボンネットの下には、排気量2.6リッター、2基のターボチャージャーを備えた「R31 GTS」で知られる6気筒エンジンが搭載され、公称出力は280馬力。しかし、実際には、それよりもかなり高かった!

さらに、全輪駆動とセルフステアリングリアアクスル「HICAS」が採用されている。最高速度は250km/h以上とされている。

インテリアは比較的地味: GT-R R32の魅力はボンネットの下にある。ステアリングホイールはエンジニアが精魂込めて仕上げた傑作品と言われ、確かにシンプルさも形状も理想の形である。
Photo: Christian Bittmann

「GT-R」は、ドリフトファン、チューナー、そして日本車のファンの間で大きな需要がある。

標準装備は、電動ウインドウ、大型サウンドシステムなど充実しているが、飾り気はない。しかし、邪悪なスカイラインの魅力はインテリアでもスペックシートでもない。

2基のギャレット製ターボチャージャーが渦を巻き、直列6気筒エンジンが3,000回転からフルパワーを発揮すると、経験豊富なスポーツドライバーでさえ一瞬息をのむ。速いスカイラインの容赦ない加速は、まるでジェット機のようだ。

AUTO BILD KLASSIK誌は2014年に次のように記した。「パワーステアリングが理想的なラインに沿って切れ込み、回転するリアアクスルが長いホイールベースを巧みに回りながら頂点に達するとき、ダイナミックな能力はドライバーを別世界へといざなう。」

オーストラリアのツーリングカーレースで衝撃的な勝利を収めたのがきっかけで“Godzilla”と名付けられた。
Photo: Nissan

日産は、羨望を集める悪名高いレーサーを作り上げた

「日産スカイラインGT-R R32」は、オーストラリアのツーリングカーレースで、他車を周回遅れで制した衝撃がきっかけで「Godzilla(ゴジラ)」と名付けられた。

全輪駆動と全輪操舵で日本のレーストラックをほぼ意のままに支配した日産は、オーストラリアでもV8エンジンを搭載して競争相手を圧倒した。日産は有名な「バサースト1000レース(豪ニューサウスウェールズ州バサーストにあるマウントパノラマサーキットで毎年開催される1,000kmのツーリングカーレース)」で2度優勝した。オーストラリアツーリングカー選手権も、1990年から1993年まで日本車が独占していた。

その結果、オーストラリアのあるジャーナリストは、日本のカルト的な怪物になぞらえて、「ゴジラ」というニックネームを思いついた。

当然のことながら、今や伝説ともなった「R32 GT-R」の価格は留まるところを知らず高騰し続けており、軽く数千万円する個体も珍しくない。日本や英国に飛ぶ前に、興味のある人は日本車の輸入のエキスパートに相談した方がいい。または、現在のオファーを参考にしてから行動をおこすことをお勧めする。

大林晃平:
このR32 GT-Rが登場したのは1989年。俗に言う「日本車のヴィンテージイヤー」で、GT-Rのほかに、レクサスLS400、ユーノス ロードスター、そして翌年にはNSXと、まさに日本の技術と生産力を結集させたかのような4台が、それぞれ違うメーカーから発売された年であった。その中でもこのGT-Rは「いよいよポルシェに並んだ」と言われる高性能を武器に登場し、歴代GT-Rの中でも圧倒的な存在感を持っていたと個人的には思っている。

老舗自動車専門誌『カーグラフィック』では塚原 久記者(当時 のちに編集長)が長期テスト車を担当し、編集部員対抗氷上タイムアタックでは、編集部員みんなであおったあげく、調子に乗った塚原氏はオーバースピードでコースを飛び出し雪原にめり込み、その脱出劇にはレッカーまで呼ぶ大騒ぎとなっていたのも懐かしい。

またモータージャーナリストの故徳大寺有恒氏もGT-Rを購入(その頃セルシオも、500SLもNSXも所有されていた)。色が気にくわないと真っ赤に再塗装し乗っていたそうである。著名なモータージャーナリストって、なんでもできるんだなぁ、と妙な勘違いを植え付けられたエピソードではある。

そんな1989年、日産がこのGT-Rにかけた情熱はすさまじく、ドイツにスピードリミッターをカットして(おそらく広報チューンもパリパリに施して)運び込んだ数台を、当時の自動車ジャーナリストに全開で乗らせるという試乗会を敢行した。ちなみに同時期、レクサスLS400もヨーロッパで試乗会を行っているが、こちらはブラックタイパーティーが催され、三枝シゲアキ先生がオリジナルで作曲したレクサス交響曲が演奏され、古城でフルコース料理がふるまわれたという。うーむ、なんともいい時代だ。

さてジャーナリスト向けアウトバーン超特急試乗会の中でも『NAVI』誌に掲載された、開発エンジニアとジャーナリスト数人による対談形式のインプレッション記事はともかく強烈で、今でも脳裏に焼き付いている。そこでは本当に熱い、熱血漢のエンジニアがもうテンションバリバリで実況中継している様子が描かれているのだが、ポルシェをアウトバーンで抜いた時のエンジニアの喜びようと言ったら狂喜乱舞と言ってもよいほどで、日産の開発者たちというのは、こんなにも車を愛し熱いハートを持った人ばっかりなのだろうか、と私は思いこんでしまうほどであった。読み物としてももちろん面白かったが、自動車開発者の本当の姿が垣間見られて、なんだか、とても嬉しかったのである。

実際、R32はGT-Rのみならず、普通のGT-SもGTEも実に基本性能のしっかりした、スカイラインの中でも傑作ともいえる一台で、今でも不思議と新鮮な印象を持つ自動車である。内装のシンプルで明快さなど、今の複雑怪奇なメルセデスベンツに爪の垢を煎じて飲ませたいような造形とレイアウトではないか。そしてその性能も、本当に掛け値なしに高性能で、スカイラインGT-Rと言う名前を持つ自動車としては、とびぬけて完成度の高い記念碑的作品だとも思う。

そんなR32 GT-Rの登場から10年ほどが経過した時、僕は幸運にも日産のエンジニア数名と友達になることができた。彼らはみんな車好きではあったが、性格は千差万別でクールな人、真面目な人、ちょっと行動がおもしろい人など、様々であったが、退職した一人から、とある話を聞いた。もう時効だし、結構有名な話だから良いと思うのでここに記すが、神奈川県の山奥にある日産の開発センターの一角に、朽ち果てたポルシェ959が捨てられており、もったいないなぁ(本音: いいなぁ)と思いつつ、彼はいつも横目で見ていた、という話である。

まあ自動車メーカーが他社のライバル車を購入することは当たり前で、買って、乗って、データをとって、ばらして、レーザーカッターで半分にしたり、切り刻んだりして、パーツ一個一個まで検証したりするわけだが、その959は長年動かないまま、原形を保ったまま放置プレーにされていたという。

おそらく比較車として購入した後、どこかが壊れて不動車になったため置き去りにされていたらしい、と彼は言っていたが、そんな959が世の中に出たのは1986年のことだった。おそらく当時、R32を一心不乱に開発中であった日産にとって、959の駆動メカニズムやターボチャージャーなどなど、どうしても気になる部分があった、ということだろう。開発には959がどうしても必要と感じた会社とエンジニアたちは極秘に輸入し、厚木の研究所に運び込まれた959に乗り、その性能や挙動を感じ取ったり、様々なデータを取ったりしたのだと思う。寄ってたかって、乱交された結果、959は複雑怪奇なエレクトロニクスデバイス、あるいは駆動系などに不具合を生じ、直せないまま厚木の研究所の草むらに放置された、と、そんな顛末なのではないか、と苦い珈琲を飲みながら日産を退職したエンジニアは語ってくれたものだ。

もったいないですねぇ、とつい僕が言うと、「4,000万円くらいで貴重なデータを数々収集できるのなら、安いものですよ」と彼は苦笑しながら答えてくれた。そして「でがらしになって」不要になった959は、あの後どうなっちゃったのかな、と少し遠い目をした。

僕はこの話を否定したり馬鹿にしたりする気持ちは毛頭ない。そのような行為は世界中で行われている、こういう風に切磋琢磨しながら技術は進化するものだし、959とGT-Rは生産台数も価格もまったく異なる自動車である。959がエクスペリメンタルモデルともいえる一台ならば、GT-Rは市販車として世界に打って出た、日本の誇る全天候型高性能GTともいえよう。だが959があったからGT-Rが登場した、とは言いすぎかもしれないが、GT-Rの持っていたあの高性能のどこかには、959の出汁みたいなものが効いていたのではないかな、とも思うのだ。

GT-Rにつけられたゴジラと言うニックネームはまさに言い得て妙だ。今でも世界に通用する一台だし、日産の歴史上、燦然と輝く一台であることも間違いないし、これからも決して忘れ去られることはないだろう。

それにしても、1989年に登場した日本車4台。それぞれが高級セダン(トヨタ)、高性能GT(日産)、ライトウエイト2シーター(マツダ)、スーパースポーツ(ホンダ)、とまったくベクトルの異なる4台であることが実に興味深い。どのメーカーも自分の作りたい、理想とする目標は明確であったからこそ、違うベクトルの4台が生まれてきたのだと思う。2023年現在、4社とも、ほぼミニバンとSUVばっかりになってしまっている現状とは大違いである。

Text: Lars Hänsch-Petersen