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盆栽カーズfrom Japan 世界唯一のジャンル 軽自動車の世界

2020年3月16日

Kei-Cars 奇妙かつユニークな日本のマイクロカーたち

ケイカーズ(Kei-Cars=軽自動車)は、日本独自のユニークな存在だ。そしてドイツ人にとってのVWゴルフのような存在でもあり、今や日本の自動車の半数近くを占める。
その風変わりな盆栽自動車たちはコンバーチブルからバンまで、あらゆる形態で存在する。日本人の生活を支えているのは軽自動車、といっても決して過言ではない。

われわれのクルマが日々肥大化するのに比べて、日本人は軽自動車を好んで使う。軽自動車と呼ばれるマイクロカーは日本の登録車数のクルマの約2分の1を占める。コンバーチブルからバンまで、日本のメーカーはあらゆるクルマを法的に要求される形状と規則内で仕立て上げる。
軽自動車として登録するためには、長さ3.4メートル、幅1.48メートル、高さ2メートル以内で仕立て上げられていなければならないし、排気量は660ccを超えてはいけない。
盆栽グルマたちは狭い日本という土地に適しているだけではない。ケイカーのオーナーたちはお金も節約できるのだ。自動車税も大幅に軽減されるし、一部の地域では車庫証明も要らないからだ。

ケイカーが日本をモバイル化する

最初のケイカー(軽自動車)は1958年に生まれたスバル360だ(※編集部注: 日本初の軽自動車は1956年のスズキ スズライトである)。1970年までまったく変わらぬデザインで40万台近く生産された。
日本は第二次大戦後、社会の自動車化を強力に推し進めたかった。そして軽自動車(軽い自動車という意味)に税金を課すことなく、多くの人が所有できるような政策をとったのだった。
それ以来、60年以上が経った。そしてマイクロカーたちは、今やほぼ完ぺきな、非常に充実した装備を誇る。全輪駆動システム、アクティブクルーズコントロール、衝突軽減ブレーキ、インフォテインメントにキセノンヘッドライトなどは多くの軽自動車に装備されているし、大きな普通の自動車についている装備は、ほとんど備わっている。排気量は660ccまでと定められているので、ターボに助けを借りてパワーアップをケースも多い(その場合、パワーは上限64馬力と自主規制がかかっている)。

スバル360の発売から5年後、ホンダは軽の配達用バン、T-360をデビューさせた。そして今やケイカーはすべてのセグメントで揃っている。スポーツカー、コンバーチブル、SUV、トラック、ダンプカー、キャンピングカーなどなど。

Kei-Cars(軽自動車)スターの1台。ホンダS660。ホンダ・ビートの再来といえよう。ミッドシップシップエンジン、オープン、そしてこの格好。間違えなく日本のスーパーカーは、これでいいのだ!Photo:Werk
軽自動車の規定は、全長3.4メートル以下、全幅1.48メートル以内、全高2メートル以下というもので、このホンダS660 にはヨーロッパ人では出入りがしにくい。また物を積むスペースはまったくない。手荷物などは手前に頭だけが映っているパッセンジャーが抱えて乗るか、股の間に挟んで目的地まで乗るしかない。Photo:Werk
Photo:Peter Fischer
しかし維持費の安い盆栽カーズは人気も高く、メーカーは多種多様なモデルを送り出してくる。これもダイハツのモーターショー用のショーモデルだが、これに近い車は市販され、実際に日本では移動コーヒースタンドになっている。エスプレッソなどを売る店として、あるいは期間限定の移動タピオカ屋としても、このクルマは好ましい。仕入れに行って、そのまま販売拠点に行くことも可能。Photo:Peter Fischer
コンバーチブルでピックアップトラックというスズキ マイティ デック。昔スズキにあった、マイティボーイの再来のような車だ。マー坊とでも呼んでくれ!!Photo:Peter Fischer
660ccエンジンのパワー不足は、多くの場合、ターボで補われる。やりすぎたようなステッカーやカラーリングは、実際にお店で選んで購入することが、今すぐ可能。ダイハツのこのクルマ、どことなく英国のミニに似ているような気がして、ちょっと頭を抱えてしまうが…。Photo:Peter Fischer
Photo:Peter Fischer
ダイハツ・コペン。ミッドシップのホンダS660 と違い、こちらはFF。スタイルはとてもキュートで愛らしい。サイズ感はまるでカートのようだ。残念ながらこのボディカラーとホワイトの内装は、ショー展示用の特別仕様だが、それでも全体的な形は、とっても良い感じである。Photo:Peter Fischer
第2次大戦後、50年代に自動車普及のために政府が編み出した施策だったが、その制度は21世紀も20年以上過ぎた今でも続いている。Photo:Werk
軽自動車のトップセラーはマイクロバンだ。その1台、は、このスズキ ワゴンR。日本人の生活をささえているブレッド&バターカーは、こういう自動車なのである。Photo:Werk
電気自動車のミツビシ・アイミーヴをさらに改造した車。デザイン的にもかなりハイレベルだ。しかし残念ながら、このタイプのケイカーは欧州では受けない。Photo:Hiro Kimura
現在、ドイツのガレージの中で目にするのはダイハツ コペン コンバーチブルだけだ。これはもはやクラシックになりつつある古いコペン。パウダールーム用のスリッパみたいでかわいい。Photo:Toni Bader
革新的な技術。コペンは、20秒でトランクに折り畳まれる油圧式格納アルミニウムハードトップを備えた最初のコンバーチブルだった。メルセデスSLKではよくトラブルになったシステムだが、こちらは故障皆無。軽自動車といえどもさすがなのである。Photo:Holger Schaper
1997年にはすでにこの軽SUV、ダイハツ テリオスが作られていた。写真は輸出用の、日本でいう、テリオスキッド。オーバーフェンダーなどで立派だ。Photo:Sven Krieger
軽自動車にはおしゃれな英語の名前やフランスの名前が付けられた。ダイハツ フェロー(1977)。Photo:Werk
マツダ シャンテ(1972)にはロータリーエンジンを載せる計画さえあったとか。キノコのようなフェンダーミラーとおちょぼ口が、そしてこの派手なツートンカラー(オプションだった)魔法使いチャッピーに出てくるアライグマの「ドンちゃん」のようだ。Photo:Werk
はるか昔には、こういうピックアップトラックさえ各社にあった。積載量はそこそこだったが、酒屋のおやじとかが、休日にはファミリーカーとして乗り回していたものである。排出ガス規制適合の丸いステッカーと、無鉛ガソリンを指定するステッカーがなんとも懐かしい。もちろんエアコンなし、パワステなし、4MT。よく見るとシンプルでとても良いデザインだ。Photo:Werk
ざっと50年前にあった、マツダ・ポーターバン1969年モデル。こちらは街の電気屋とかが平日には仕事で使い、休日は一家4人が乗って箱根とか房総半島に行ったものである。ELR式ではないが、3点式シートベルトが備わっていることに注目。Photo:Werk
マツダ シャンテ(1972)。キャロルの後釜として登場。35馬力の二気筒エンジンで、490kgのボディをひっぱった。この頃はドアミラー禁止だったため、ハヤシライスソースをすくうようなしゃもじ型のフェンダーミラーが備わっている。イッチョまえにカラーバンパーが装備されていることに注意。アダムスキー型UFOの底面のようなホールキャプがスタイリッシュ。Photo:Werk
大きな積載面積を備えた軽トラック(1969)マツダ ポーターキャブもあった。なんとも愛嬌のあるまなざしが、ギスギスした交通戦争をやわらげたことだろう。こういう軽自動車のトラックが日本の生活と経済と、畑作業のおじいちゃん、おばあちゃんの移動を支えてきたのだ!Photo:Werk
日本のケイカーの代表格、スバル360(1958)。キャンバストップモデルも、校正モデルたる、ヤングSSもあり、そういう意味では時代の先端を走っていた。そして今でもありとあらゆる流行が、軽自動車の世界にも存在している。Photo:RM Auctions
360CCを意味する360を名前に付けたケイカーは当時たくさん存在した。これはマツダR360クーペ。ラウンドしたリアウインドや全体の造形がなんとも未来的。発表された1960から60年たってもそのセンスと造形にははっとするものがある。Photo:Werk
ホンダも負けじと、1967年にこのN360を売り出した。これは手前の荷物と、この5人家族すべてが乗ることができる、というイメージ写真かと思われる。 軽自動車は本来4人乗りだが、子どもは3人で大人2人と計算することができると法律で定められているため、この5人家族は一家離散することなく乗れるのだ!だがさすがに大きなバスケットと、後ろの子どもが抱えている花束も載せられるのか?というとちょっと怪しい。手前に転がっているバナナやオレンジは食べちゃえばいいし、バヤリースは飲んでしまえばそれまでかもしれないが、風船は空気をぬいてしぼませる必要があろう。Photo: Werk
ケイカーはすべてのセグメントに存在したが、公用としても採用された。このパトカーのように。

Text: Katharina Berndt