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クラッシックカーイベント応援記(前編)「第35回コッパディ小海2026」

2026年7月1日

2026年4月18日(土)と19日(日)の2日間、長野県南佐久郡小海町松原湖高原のガトーキングダム小海を起点に開催された「第35回コッパディ小海2026」にエントリーした3人の友人達(といっても皆さん大先輩!)の応援も兼ねて、初日のスタートを見学したのでその様子を報告する。今回は2回の連載のうちの前編である。

「コッパディ小海」とは

「コッパディ小海(COPPA DI KOUMI)」は八ヶ岳東部に位置する長野県南佐久郡小海町(こうみまち)を拠点に毎年開催される日本最長の歴史をもつ「クラッシックカーラリー」である。1991年に始まった伝統あるクラッシックカーイベントで、今回は節目の35回目。貴重なヴィンテージカーやスポーツカーが一堂に会し、春の八ヶ岳周辺の公道でラリー競技を繰り広げる。競技内容は、単なるスピード勝負ではなく、指定された区間を正確なタイム(1/1000秒単位で測定)で走行する「PC(イタリア語のProve Cronometrate=タイムトライアルに由来)競技」などが行われる。主催者の実行委員長は、地元長野県の井出勝彦さん、監修が岡田邦雄さんである。大会運営のハード面(ルート作成やタイム計測など)は地元の長野県の方々が対応し、ソフト面(参加車両の選定やコンセプトやイベントの方向性など)を岡田邦雄さんが担当され、井出さんと岡田さんのコンビで運営されている。

ちなみに「コッパディ小海」の意味であるが、イタリア語で「COPPA(コッパ)」は「カップ(杯)」を意味し、日本語では「小海杯」となる。また、「コッパディ小海」以外のクラッシックカーラリーとして、「コッパディ東京」、「コッパディ京都」、「コッパディ姫路」も開催されている。

3人の大先輩達

今回、私の3人の大先輩が参加するので、初日朝のスタートの応援に駆け付けた。1人目は、私が数年前からご夫婦共にお世話になっている群馬県在住の小暮道夫さん(以下小暮さん)。2人目もここ最近お世話になっている群馬県在住の坂口雅夫さん(以下坂口さん)。

実はこの2人、ご兄弟で共にお医者様で、かつ戦前の「ブガッティT13ブレシア」をそれぞれ所有! また、小暮さんは、昔、雑誌カーグラフィック初代編集長の小林彰太郎さんと一緒にイタリアの「ブガッティ・インターナショナル・ラリー」に3度(1996年、2000年、2002年)参加している。特に2000年、2002年の2回は、小暮さんも小林彰太郎さんもご夫妻で一緒に参加されている。また、2002年は、坂口さんもご夫妻で参加されており、この時、日本からは3台のブガッティ・ブレシア(小暮さんと坂口さんはT13、小林彰太郎さんはT23)が参加していた。その小暮さんと坂口さんには、今年2月のCCCJ(THE CLASSIC CAR CLUB OF JAPAN)の総会でもご一緒させて頂いた。

今年2月のCCCJ総会後の懇親会にて。後列(右から):筆者、小暮さんご夫妻、坂口さん、「コッパディ小海」監修の岡田邦雄さん、私の大先輩の岐阜県在住の近藤久雄さん、前列:長島弘幸さん(今回の「コッパディ小海」で坂口さんの1924年ブガッティT13ブレシアのコ・ドライバーを担当)

そして3人目は、今年2月のK4-GPのイベントでご一緒させて頂いた愛知県在住の浅井章さん(以下浅井さん)。今回はブリティッシュグリーンのロータス・エランで初参加。そのコ・ドライバーも、たまたま私の友人である。最近つくづく、この世界の「狭さ」を感じている(笑)。

ロータス・エラン

初日の4月18日(土)、私は愛知県の自宅を朝5時に出発し、会場の長野県南佐久郡小海町松原湖高原のガトーキングダム小海に向かった。ナビに従い東海環状自動車道に乗り、土岐ジャンクションで中央道を長野方面に走る。朝から天気も良く、土曜の朝の為か、高速道路は意外に空いており、順調に諏訪湖を通過。ナビは山梨県に入って2つ目のICの長坂ICで降りる様に案内している。丁度、長坂ICの直前を走っていると、走行車線を走るブリティッシュグリーンのロータス・エラン(以降エラン)が目に入った。車内には2人の人影と岡崎のナンバープレート。その瞬間、今回参加する浅井さんのエランだと直ぐに分かった。物凄い偶然だ! そのままエランの後ろを走る。長坂ICを出て、清里方面に走り、その後R141で野辺山を抜け、八ヶ岳の東側を走り、松原湖入口の信号を左折すれば、あとは目的地まではほぼ一本道。エランの後ろを走りながら、後ろ姿や車両の挙動を眺めながら、長坂ICから目的地までは1時間ちょっとであった。

偶然中央道 長坂ICで後ろに追い付いた浅井さんのエラン。そのサイズがホンダS600の様に見えた。とにかくウエストラインが低いが、室内のヘッドクリアランスが確保されているのが印象的。

なにしろ後ろからエランを見ていると、車体がとても小さい!の一言。「ホンダS600位のサイズか?」と考えながら走っていた。後で調べると全幅はエラン:1,422mmに対し、ホンダS600:1,400mmとやはりかなり近いサイズ。現在の日本の軽自動車の全幅は1,475mmなので軽自動車よりも幅が狭い。やはりコンパクトである。また、現代のクルマに対し、圧倒的にウエストラインが低いが、ルーフの高さは確保されており、大人2人が乗っても狭そうには見えず、頭とルーフのスペースもしっかりある。Xフレームのおかげでシートポジションを極力低く設定でき、車両の運動性能向上にも繋がっているのだろう(しっかりと考えて設計されている!)、と勝手に考えながら走っていた。そして当然であるが、このサイズに1.6L DOHCエンジンなので動力性能は当時としては、かなり速かったと思われる。今回、R141の松原湖入口の信号を左折後、一気にガトーキングダム小海まで登るワインディングをエランに続いて走っていると、場所によってはエランに引き離されることもあり、改めてエランの運動性能の高さが実感できた。会場に向かう途中、八ヶ岳周辺で朝からとても楽しい時間を過ごしながら、朝8時半、エランに続き目的地のガトーキングダム小海の駐車場に到着した。

Tシャツと半袖

クルマを降りると気温がかなり冷んやり感じたが、天気も良く、高原の涼しさと清々しい空気を感じた。この日は晴れ予報だったので、私はTシャツの上に半袖のシャツ姿であったが、クルマを降りた直後、フリーランスライター&フォトグラファー(Car Graphic誌などで活躍)の沼田亨さんに声をかけられた。「その服装、この会場に似つかわしくないけど。そんな格好で寒くない?(笑)」と。周りを良く見ると、確かに皆長袖の上着を着ていて半袖の人は誰も居なかった。「日差しも有るので大丈夫ですよ(笑)」と答えたが、周りの人も笑っていたので、1人浮いた服装であったのは間違いなさそうだ(笑)。

高原の青空の下、会場には多くの参加車両がおおよそ国別に並んでいる。

ホテルの玄関前の特等席

クルマ達が並ぶ背景の空はとても美しい雲と青空に恵まれ、まさに高原の朝であった。参加車両は英国、ドイツ、イタリアの国別におおよそ並んでいる。その中でも台数が多いポルシェやアルファ・ロメオの列に目が止まる。朝10時のスタートを前に、各車ゼッケンを貼ったり、車検を受けたり、スタートの準備をしている。今回は約70台近くのクルマが集まった様だ。

ホテルの玄関付近には、「第35回 COPPA DI KOUMI」の白い幕が。一番手前は1959年フィアット・アバルト750レコード・モンツァ・ザガート。

ホテルの玄関付近に掲げられた、「第35回COPPA DI KOUMI」の白い幕が目に入る。毎年玄関付近には、戦前車や当時のイタリアのミッレミリアに登場したクルマ達が並べられており、正に特等席である。実は私は、4年前(2022年の31回目大会)に一度だけ名古屋の大先輩の平井英雄さんに誘われ、(仏)1965年ルネ・ボネJetⅤ(世界初の量産ミッドシップ)のコ・ドライバーでこの大会に参加したことがあり、ここに並んでいる多くのクルマ達が、その時もこの場所に並んでいたのを思い出した。

一番左が今回の参加車の中で一番古い坂口さんの1924年ブガッティT13ブレシア。その隣は1933年モーガン・スリーホイーラー。

ホテルの玄関の正面には、4台の戦前車を含め貴重な車両が並んでいた。一番奥には坂口さんの1924年ブガッティT13ブレシアが見えたので、早速、坂口さんとその隣に居たコ・ドライバーの友人の長島さんにご挨拶。このブガッティ、なんと102歳である。1924年は大正13年! エンジン音を聞いている限り、今回も調子が良さそうである。ゼッケン番号は1番。10時からのラリーのスタートはゼッケン番号順なので1番最初にスタートするクルマである。

一番左は1948年チシタリア204。その隣は1941年フィアット・トッポリーノ・テスタ・マリノ。

スワロー・ドレッティ

時計を見ると9時を過ぎていたので、急いで駐車場に戻り、参加車両の見学と写真撮影。今日一番楽しい時間である。同じシリーズのクルマも隣に並んでいて、見ていてもとても楽しく、細部の違いも分かり、とても勉強になる。

参加車が集まったメイン駐車場全景。最高の天気に恵まれた。
英国車の列。一番手前は1954年スワロー・ドレッティ。

メイン駐車場の一番北側の列には英国車が並んでいた。約半数がMGであったが、英国車は比較的オープンが多いのが印象的だった。そして一番手前の黒いクルマを見た時、はじめはACだと思ったが、英国の1954年式の「スワロー・ドレッティ」というはじめて聞く名前のクルマであった。後の調査で、このクルマは、当時のトライアンフTR2のエンジン(2.0L)やトランスミッション(4MT)を流用し、1954年から1955年の間にわずか276台しか作られていない貴重なクルマであることが分かった。米国向けに開発され、ほとんどが米国に渡った様だ。スワロー社独自のボックスセクション・スチールシャシーに、イタリア風のスタイリング(デザインは英国人)のボディを架装。TR2に対しトレッドを76mm、ホイールベースを178mm拡大し、安定性を大幅に向上させ、最高速度は当時100mph(約160km/h)に達した。元ブリストルのエンジニアのフランク・レインボーがプロジェクトを統括。「ドレッティ」の名前は、当時米国でこのクルマの輸入販売を統括していた「カル・インサイド社」の経営者アーサー・アンダーセンの娘の「ドロシー・ディーン」の「ドロシー」をベースにイタリア風に「ドレッティ」と名付けられた。

ちなみにスワロー社は、元々ジャガー・カーズの創設者のウイリアム・ライオンズ卿が戦前に興したサイドカー製造会社の「スワロー・サイドカー・カンパニー」がルーツで、のちにジャガーへと発展する過程でサイドカー部門が売却され、その売却先で生まれたのがこの「スワロー・ドレッティ」であった。生産開始後、スワロー社の親会社の「チューブ・インベストメンツ」が、ジャガーと競合するスポーツカーを作るよりも、ジャガー社への部品供給ビジネスを拡大する経営判断を行った為に、「スワロー・ドレッティ」の生産が突然終了し、276台の生産台数になったと言われている。

参加車両の散策

3台並んだエラン。右から:シリーズ2、シリーズ3、シリーズ4。一番右のエランは車検を受けているところ。

英国車の列を見た後、一段上の駐車場には、エランが3台並んでいたが、良く見るとシリーズ2、3、4が順番通りに並んでいた。今回も大会関係者が駐車位置まで気を配っていたのが感じ取れた一例であった。ちょうどこの時、白のエランが車検を受けており、ライトの点滅などを確認していたが、良く見ていると大会関係者も参加者も、皆、慣れているのが伝わってくる。

2台並んだ1959年オースチン・ヒーレー・スプライトMk1。通称「カニ目」。

その近くには、1959年オースチン・ヒーレー・スプライトMk1、通称「カニ目」も2台並んでいた。フロントバンパーの有無など2台の細部の違いをみる良い機会であった。以前、このクルマのボンネットが開いた姿を見た時、エンジンが比較的エンジンルーム後方に搭載されていた(フロントミッドシップ)記憶があるので、コンパクトなので恐らく「見かけによらず運動性能が高いのでは?」と、前から気になっていたクルマであった。

一番手前は1964年 ポルシェ356 SC。ピカピカなホイールが印象的。

メイン駐車場の中央の列には多くのポルシェが並んでいた。今回ポルシェ356は6台参加。6台を一度に見るのは中々貴重。

こちらにもポルシェが並ぶ。一番手前は1989年ポルシェ930ターボ。トランスミッションは5速MT。

上の小さな駐車場にもポルシェが4台。その内の2台は私の好きな930型、それも2台とも最終の1989年で驚いた。930型のスピードスターの実車を見たのは今回が初めてだった。

一番手前は1963年フィアット・アバルト・モノ・ミッレ。その隣は1960年フィアット・アバルト850クーペ・スコーピオーネ・アレマーノ。

メイン駐車場の南側の列には、イタリア車とフランス車の姿が。一番東側には、2台のフィアット・アバルトが。アバルトは赤色のイメージが強いが黒色はとても貴重と思えた。そしてその奥には、ブルーメタリックの2台のアルピーヌA110が目に入る。この日の日差しに、2台のブルーメタリックが一番輝いている様であった。良く見るとこの2台、フロントとリヤのフェンダーやフロントバンパーやヘッドランプ周りに違いがあり、クルマの表情の違いを見ているだけでも中々楽しい時間であった。

2台並んだ1973年アルピーヌA110。手前は1600SC。天気も良くブルーメタリックが良く似合う。
アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダーが並ぶ。一番手前は1957年アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー・ヴェローチェ。

そして、アルピーヌA110の奥には、6台のアルファ・ロメオとピカピカな真っ赤なディーノ246GTが。今回アルファ・ロメオは、ジュリエッタ・スパイダーが4台、ジュリア・スパイダーが2台参加していたが、赤以外の様々な色のアルファを見ることができた。

今回の「私の一番」はコレ! 1974年ランチア・ストラトス。黄色が眩しい。

ディーノ246GTの向かいには黄色のランチア・ストラトスが。そのデザインとはっきりとした黄色で、圧倒的な存在感を放っていた。今日の「私の一番」は、間違いなくこのストラトス。スポイラー類やサイドミラーが黒で統一されており、全体的に締まって見える。ワイパーも1本で、ベルトーネのデザインは今見てもカッコイイ!の一言。

左から1941年フィアット・トッポリーノ・テスタ・マリノ、1971年フィアット500ヴィニャーレ・ガミーネ、1948年フィアット・トッポリーノ・ザガート・パノラミカ。「フィアット500がベース」が3台の共通点。

メイン駐車場を一通り見た後は、再びホテルの玄関に向かう。丁度その時、玄関付近に小暮さんが居たので早速ご挨拶。そして小暮さんがクルマを指差し、「今日は、ブガッティT13ブレシアではなく、この1971年フィアット500ヴィニャーレ・ガミーネで参加します」と、教えて頂いた。実は私は、このクルマに会うのは、今回が2度目で、昨年小暮さんの自宅ガレージで見せて頂いて以来である。またこのクルマは世界限定800台で、右ハンドル、左ハンドルがそれぞれ400台作られたそうだが、そもそもイタリアのクルマなのに右左半々とは、右ハンドルの比率が多くて驚いた記憶がある。ちなみに今回のクルマは右ハンドル。そしてこの時、小暮さんより(上記写真)、「ここに並んでいる3台のベース車両は全てフィアット500です。但し、両側のクルマのベースは、初代の水冷4気筒で、映画「ローマの休日(1953年)」に出てきましたね。そして真ん中のクルマのベースは、2代目の空冷2気筒です」と、教えて頂いた。スタイルが全く違う3台だが、その時代背景や目的により色々な姿やサイズのクルマが作られていたことを教えて頂き、実車を前にとても勉強になった瞬間であった。

【後編に続く】

フォトギャラリー: クラッシックカーイベント応援記(前編)「第35回コッパディ小海2026」

集結した参加車両。奥に見えるのがガトーキングダム小海のホテル。
クルマ達が並ぶ背景の空はとても美しい雲と青空が。
ホテルの玄関には、「第35回 COPPA DI KOUMI」の白い幕。
毎年玄関付近には、戦前車や当時イタリアのミッレミリアに登場したクルマ達が並ぶ。正に特等席。
坂口さんの1924年ブガッティT13ブレシア。
1924年ブガッティT13ブレシアの運転席。このシートスペースに大人2人はかなり狭そうだ。
英国車の列。オープンのMGが並ぶ。
黄色が2台並ぶ。右は1970年スバルff-1 1300Bスポーツ。
一番手前は1967年ランチア・フルヴィア・クーペ・ラリー1.3。
ゼッケンを貼るポルシェ達。
一番手前は1989年ポルシェ930スピードスター。
やはり黄色い1974年ランチア・ストラトスは圧倒的な存在感!
ポルシェの列。手前から2台目よりポルシェ356が3台並ぶ。
1963年アルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダー(左)と1973年ディーノ246GT。
MGAが2台並ぶ。一番手前は1956年MGA。その隣は1955年MGA。
一番手前は、1952年クレパルディ・パナール・アレマーノ750 MM。
高原の最高の天気に恵まれた。

Text & photo: 有賀英雄