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クラッシックカーイベント応援記(後編)「第35回コッパディ小海2026」

2026年7月11日

2026年4月18日(土)と19日(日)の2日間、長野県南佐久郡小海町松原湖高原のガトーキングダム小海を起点に開催された「第35回コッパディ小海2026」にエントリーした3人の友人達(といっても皆さん大先輩!)の応援も兼ねて、初日のスタートを見学したのでその様子を報告する。今回は2回の連載のうちの後編である。

小林彰太郎さんの思い出

今回スタートの応援に行った大先輩のお二人。左から:坂口さん、小暮さん、筆者。お二人ともそれぞれ戦前のブガッティT13ブレシアのオーナー。坂口さんは1回目から出場している。

私は4年前に一度だけコ・ドライバーとしてこの大会に参加したが、その後は毎年、初日のスタートや2日目のヒルクライムを見学している。また、昔はカーグラフィック誌の創始者であり、初代編集長を務められた小林彰太郎さんも参加されていた、と聞いたことがあったので、スタート前に小暮さんに昔のこの大会について少し話を伺ったのでこの場で紹介したい。

エンジンが掛かった状態のタトラ11の運転席に乗る小林彰太郎氏。2013年10月26日(亡くなる2日前の夕方17時撮影)、愛知県長久手市トヨタ博物館にて。写真にはカーグラフィックの加藤哲也社長も写っている。

小暮さん曰く、
「第1回目の時は、私は参加していませんが、「面白かった」、という評判を聞いたので、2回目から参加しました。小林彰太郎さんは1回目から10回位参加されていたと思います。私は初参加の第2回目の時はアルファ・ロメオ・ジュリアTZで参加し、その時、小林彰太郎さんは、アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZで参加しました。小林彰太郎さんはいつも奥様と一緒に参加されていましたね。また夜のパーティーの時は、私は小林彰太郎さんご夫妻と同じテーブルの時が多かったですね。昔から小林彰太郎さんご夫妻と色々お付き合いさせて頂いたので、話はしやすかったですが、他の参加者の方々は、パーティー会場では小林彰太郎さんにはご挨拶までで、話し込む様子は稀でした。参加者の皆さんにとって小林彰太郎さんは「気軽に話が出来る方ではなく、かなり上の存在の方で、中々近づきにくかった」、様でしたよ。本人はそうは思っていなかったと思いますが。

あと、聞いた話では、第10回目位の時の優勝賞品は「新車のフィアット500、クルマ1台!」だったそうです。また私は10回位参加していますが、確か4、5回目の大会の時に、表彰式で6位になったことがありました。その時、賞品の上位に2つ「イタリアのミッレミリアを見に行ける賞」があったのですが、受賞した上位の方達が、「日程の都合がつかない」を理由に、受賞を辞退され、結果、私にその賞が回ってきて、妻と一緒に一回だけイタリアへミッレミリアを観に行ったことがありました」、と、貴重なお話を教えて頂いた。

また今回、参加者の中で一番古い1924年ブガッティT13ブレシアで参加した坂口さんからも、「私は第1回目からずっと参加しています」、と教えて頂いた。

「コッパディ小海」監修の岡田邦雄さん

小暮さんや坂口さんとお話をした後、ホテルの玄関正面のスタートラインの横に「コッパディ小海」監修の岡田邦雄さんが居られるのが見えたが、スタートも迫っており、忙しそうだったので、手短にご挨拶。岡田さんより「先週の奈良の薬師寺でのコンコルソ デレガンツァ ジャパン2026のお手伝い、大変でしたが、お疲れ様でした」と、労いのお言葉を頂いた。私がボランティアでイベントのお手伝いをしたのを覚えてくれていた様で、とても嬉しかった。

私は4年前にコ・ドライバーとしてこの大会に参加したとき、初日の前日の夜、ホテル内にある「星空の湯」の露天風呂に一緒に参加した平井英雄さんと入ったことがあった。実はその時、岡田さんも偶然、その露天風呂に入っていたので30分程(のぼせない範囲で(笑))、3人でクルマ談義をさせて頂いたのを思い出した。

4年前の2022年に名古屋の大先輩の平井英雄さんに誘われ、1965年ルネ・ボネJetVのコ・ドライバーでこの大会に参加した時の様子。左から:筆者、平井英雄さん。
4年前の2022年の「コッパディ小海」のパーティーにて。左から:平井英雄さん、元ヤマハ発動機の木村隆明さん、岡田邦雄さん、筆者。

ある時、「コッパディ小海」に何度も参加した平井英雄さんから、以下の話を伺った。
平井さん曰く、
「イタリアのミッレミリアのクラッシックカーレースを文化として日本に広げる想いで、30年以上も前に「コッパディ小海」を開催したのが岡田邦雄さんです。彼は当時、第二次世界大戦前後のイタリアの時代背景も含め、クルマやレースを文化として日本に広めた第一人者です」と教えて頂いた。日本のクラッシックカーラリーで一番歴史のあるこの大会を監修している実績を思うと改めて納得である。

ミッレミリア(1000 Miglia)とは

実は筆者がこの原稿を書いている今日は偶然、今イタリアで「ミッレミリア」が開催されているので、少しここでミッレミリアについて紹介したい(ウィキペディア参照)。

ミッレミリア(Mille Miglia)は1927年から1957年の間にイタリアで行われた自動車レースで、スポーツカーやレーシングカーがフルスロットルで駆け抜けた伝統的な公道レースであった。現在は、同名のクラッシックカーレースとして、イタリアで毎年開催されており、世界中で開催されるクラッシックカーイベントの中で最高峰の一つに位置付けられている。

1927年に2人の貴族によって始められた公道自動車レースで、イタリア北部の都市ブレシアを出発して南下し、フェラーラ、サンマリノを経てローマへ。さらにローマから北上してブレシアへ戻るルートで、イタリア全土を1000マイル(イタリア語でmille miglia=ミッレ・ミリア)走ることから名付けられた。

初期には、アルファ・ロメオ、ランチア、スタンゲリーニ 、マセラティ、フィアット、オスカ、ブガッティ、ルノー、アストンマーチン、ベントレー、MG、メルセデス・ベンツなど、欧州諸国から錚々たる自動車メーカーがワークスやプライベートで参戦していた。

その高い人気を受けて、第二次時世界大戦前は、ベニート・ムッソリーニ率いるイタリアや、アドルフ・ヒトラー率いるドイツが国威発揚のために、これらのメーカーに対し国を挙げて支援したものの、第二次世界大戦勃発により1941年~1946年の間は一時的に中止された。

しかし終戦のわずか2年後の1947年に再開され、ジャガーやフェラーリ、ポルシェ、サーブ、チシタリアなど戦後の新興メーカーが多数参戦し、戦前を上回る盛り上がりを見せていた。しかし1957年にスペインのアルフォンソ・デ・ポルターゴ伯爵がドライブするフェラーリが観客を巻き込む大事故を起こしたため(アルフォンソ・デ・ポルターゴ伯爵自身も死亡)、やむなくイタリア政府は以降のレースの開催の中止を命じ、30年間の輝かしい歴史に幕を閉じた。

その後、1977年に当時参戦した実車とその同型車のみが参加できるタイムトライアル方式のクラッシックカーレース、「ミッレミリア・ストーリカ(Mille Miglia Storica)」として20年ぶりに復活した。これ以降、ジャッキー・イクスやミカ・ハッキネンなどの元F1ドライバーやスターリング・モスなど初期のミッレミリアに参加したドライバーなどが多数参戦する、格式高いクラッシックカーラリーとして毎年開催されることとなった。

来年2027年は第1回目の1927年からちょうど100年を迎える。

スタートに向けて

朝9時半よりホテルの玄関付近でドライバーズ・ミーティングが始まった。

ドライバーズ・ミーティングに集まった参加者の皆さん。

岡田邦雄さんより開催の挨拶で「今回は第35回目の大会ですが、第50回目の開催を目指して行きたい」と力強いコメント。そして今日の全体説明やラリーのコマ地図の注意点などが紹介された。そしてドライバーズ・ミーティングが終わると、参加者は一斉に自分のクルマに戻りスタートの最終準備に。スタート場所はホテルの玄関正面。スタート順はゼッケン番号順なので、見ていると番号の若いクルマ達から次第にエンジンが掛かり始める。

1924年ブガッティT13ブレシアのドライバーの坂口さんとコ・ドライバーの長島さん。クルマと共にゴーグルとサングラスが様になっている。
スタートラインに向け、一旦ホテルの玄関を出て走り出す。後ろのクルマ達もブガッティT13ブレシアに続く。
1924年ブガッティT13ブレシアが走る後ろ姿。大人2人に対しシートが物凄く狭いので、コ・ドライバーは体を捻って、右手もドライバーの後ろの燃料タンクの上に。

玄関付近に停まっていたクルマ達は全て一旦玄関を抜け出し、再び玄関前にゼッケン1番の1924年ブガッティT13ブレシアから並び始めた。

ラリースタート

スタート地点の1924年ブガッティT13ブレシア。朝10時丁度にラリーがスタート。スタート直前に岡田邦雄さんより「各車の説明」が行われ、スタートフラッグが振られる。後方のクルマ達が並んだ光景は正に「コッパディ小海」。

スタート時間の10時前には、ゼッケン1番から順番に各車が整列。そしてスタートラインでは、緑のスタートフラッグがスタンバイ。今回も岡田邦雄さんが、フラッグが振られるスタート直前の約30秒間、一台一台参加車両の説明やヒストリーを、「紙を見ずに」説明するのだが、毎回スタートの度に「感心するシーン」である。「良くこれだけ多くの参加車両の情報を覚えていて、短時間に説明できるな」、と。スタートの直前に岡田さんが簡潔にマイクで説明し、その直後、フラッグが振られ、各車がスタートして行くのである。そして10時丁度にゼッケン1番の1924年ブガッティT13ブレシアがスタート。写真の様に、その後ろにはスタートを待つクルマ達が列をなし、「これぞコッパディ小海」と言えるシーンであった。

ゼッケン2番は1933年モーガン・スリーホイラー。コ・ドライバー無しのドライバー1人での運転は相当な経験が必要であろう。
1948年チシタリア204。
手前は1959年フィアット・アバルト750レコード・モンツァ・ザガート。その後ろにもフィアット・アバルトが続く。
1973年アルピーヌA110も2台揃ってスタート。
1957年アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー・ヴェローチェ。後ろに5台のアルファ・ロメオが続く。
今回参加したポルシェの中で最も古い1953年ポルシェ356。
浅井さんの1966年ロータス・エラン・シリーズ3。私の友人がコ・ドライバーを勤めている。

写真の様に、同じクルマが繋がってスタートするので、これを見ているだけでとても楽しい時間であった。またスタート時、参加車両の皆さんは周りの観客に手を降りながら走り去っていく。最高の天気の下、全車のスタートを見ることができて、とても楽しい時間であった。今回の全参加車両とイベント関係者に感謝したい。

ちなみにこの写真が、4年前の2022年に私達が出場した時のスタート時の車内からの眺め。近くの山のゲレンデにはまだ雪が少し残っている。
1962年ポルシェ356B Super 90が観衆に手を振りながらスタート。

来年の第36回「コッパディ小海」にはコ・ドライバーで参加

私の「大先輩」が、来年の「コッパディ小海」にアルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダーで出場を計画しており、私にコ・ドライバーのオファーをくださった。今から来年の春が楽しみである。

その時の様子をコ・ドライバーの目線から報告したい。乞うご期待!

フォトギャラリー: クラッシックカーイベント応援記(後編)「第35回コッパディ小海2026」

小暮さんは今回、1971年フィアット500ヴィニャーレ・ガミーネのコ・ドライバーで参加。車名の「ガミーネ」は女の子の名前。
1973年ディーノ246GTに1974年ランチア・ストラトスが続く。
1958年ポルシェ356 A。後ろは1959年ポルシェ356 A。
1964年ポルシェ356 SCに1963年ポルシェ356B Super 90が続く。
1954年スワロー・ドレッティ。後ろは1964年トライアンフTR4。
1959年オースチン・ヒーレー・スプライトMk1(通称カニ目)が2台続けてスタート。
1969年ロータス・エラン・シリーズ4の後に2台のエランが続く。
1972年ポルシェ911Tが2台続けてスタート。
1989年ポルシェ930スピードスターに1989年ポルシェ930ターボが続く。「真っ赤なポルシェ」のスピードスターがカッコイイ!

クラッシックカーイベント応援記(前編)「第35回コッパディ小海2026」:https://autobild.jp/69630/

Text & photo: 有賀英雄

【筆者の紹介】
有賀英雄
1966年山梨県甲府市生まれ。小5の時スーパーカーブームを経験しトヨタ自動車に入社。主に実験部でレクサスLFAも含め新車開発を担当。退社後クラッシックカーイベントを中心に取材&執筆中。CCCJ準会員。愛車はGZG50センチュリー。