自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅 その14
2025年7月10日

5日目 2月21日 パート3
お目当てのクルマはアウディミュージアムの一隅にひっそりと佇んでいた。
NSU Ro80――。
アウディミュージアムのなかで、いや、今回の旅全体を通じて私がもっとも実物を見たかった1台がこれだった。
NSU Ro80はロータリーエンジンを搭載した初の本格量産車で、時代に先んじた機構を数々備える傑出した4ドア乗用車だと思う。しかし私のそんな思い入れとは裏腹に、最近ではメディアが取り上げることはほぼ皆無、事実上「忘れ去られた1台」になった感がある。私はこのクルマの実態をもっと知りたいと思ったし、なにより現物を見たかった。長年抱いていたその念願がようやくインゴルシュタットのお膝元で適った。初めて見るNSU Ro80の端正な姿は私の心を揺さぶった。

Photo:Audi AG
今、私はRo80を、ロータリーエンジンを搭載した初の量産車と書いたが、これがデビューしたのは1967年のフランクフルトショーのこと。実はその3年前、1964年のフランクフルトショーにて、NSUはヴァンケルスパイダーというシングルローターの2座席スポーツカーを発表している。だから厳密には2番目のロータリーエンジン車だ。そうではあるが、2ローター ロータリーエンジンを搭載した実用的な4ドア乗用車としては掛け値なしに「世界初」であり、広く世間の注目を集めた点でもRo80の果たした役割は大きい、

Photo:Audi AG
「世界初」の称号も大切だが、私がRo80に惹かれる理由はその外観デザインと、先進機構をズラリと揃えた野心的な設計にある。まずはデザインの話から始めよう。ボディデザインを統括したのは、当時NSUチーフデザイナーの任にあったクラウス ルーテ(Claus Luthe)という人。

Photo:Audi AG
サイドビューを見ると、短めにまとめたエンジンルームに対して、ホイールベース(2860mm)を大きく取っているのがわかる。全長(4780mm)のなかで可能な限り広いキャビンスペースを確保している。リヤドアのシャットラインが後輪ホイールアーチに蹴られていないのも注目で、良好な乗降性を実現した。乗用車で基本とすべき要件を満たしたデザインだ。
6ライト(片側に3枚並ぶサイドウインドウ)を採用した効用も大きく、明るく開放感溢れる室内をもたらした。さらにこの6ライトは大きなリヤガラスと相まって、斜め方向を含めて優れた後方視界を提供する。
こうして見ていくと、クラウス ルーテはNSU Ro80で乗用車の理想像を徹底して追求したことがわかる。しかも完成したボディは普遍的でタイムレスな美を湛えている。機能に裏付けられた本質的な自動車美は、デビューから半世紀以上を経た今もその魅力を失っていない。空力面も優秀で、風洞実験を繰り返した結果、0.35というCd値(空気抵抗係数)を実現した。これは当時としては極めて優れた数値だという。
博識なAuto Bild Japanの読者諸氏は、今どきCd値0.3を切る乗用車は珍しくないと反論されるかもしれない。しかしRo80の開発は公式デビューの5年前、今から60余年もまえの1962年に遡ることを思い出して欲しい。それから現代にいたる間に、自動車に関する空気力学は飛躍的な進歩を遂げている。Ro80のCd値0.35は「当時としては」傑出した数字だった。
実際、ミュージアムの展示車のキャビン回りを見ると、前後ウインドウを囲むクロームメッキ仕上げのガーニッシュがルーフの前後端と滑らかな連続面を作っているのに気づく。一方、6ライトのサイドウインドウを囲むガーニッシュは雨樋の役割を兼務するが、これまたルーフと完璧な同一面を成している。どれも空気抵抗の低減を目指した、入念な風洞実験の成果だ。




スタイリングの話はこれくらいにして、そろそろ機構面を見ることにしよう。ロータリーエンジンの実用化に初めて成功したのはフェリックス ヴァンケル(Felix Wankel 1902~1988年)というエンジニアなのはご存じの通り。
ヴァンケル以前にもロータリーエンジンのコンセプトは広く知られていたが、実現不可能と片付けられていた。幼いころから独創的な想像力を発揮する天賦の才能に恵まれたヴァンケルは、機械の世界、とりわけ内燃機関に興味を抱くようになる。17歳のとき、「新しいタイプのエンジンを搭載した自動車を作るんだ」と夢を友人に語ったと言われる。「半分はタービンで、あとの半分は往復運動をするエンジンだ」。長じて後、彼はロータリーエンジンの原型を1924年に考案し、1929年、27歳の若さで最初の特許を取得している。
第二次世界大戦中は、スイスとの国境に近いボーデン湖畔のリンダウ(Lindau)にて研究を進めた。戦後、自身の研究所は連合国側によって解体されるが、1951年からNSUのエンジン製造研究部門と共同で作業を続けることができるようになって、ロータリーエンジンの開発に拍車が掛かる。1954年にNSU向けロータリーエンジンの設計第1号が完成、1957年から翌年にかけてプロトタイプの試験が続き、ついに1964年、初のロータリーエンジン搭載車NSUヴァンケルスパイダーが日の目を見たのだった。