【あの日に帰りたい】 名車、珍車、スーパーカー&実用車 1960年代のクルマ124選 前編
2021年8月29日

活気あふれる60年代(その1): アルファからアウディ、アストンマーティン、BMW、シトロエン、そしてフェラーリまで43台
1960年代のドイツ。ペチコートの代わりにミニスカート、そしてビートルの代わりにコンパクトカー。そして(!)、ハンブルクの港に、初めて日本車が上陸したのも60年代だった。スウィンギングシクスティーズ(Swinging Sixties)のクルマを一気に紹介!
当時はまだ、飲酒運転を禁止するアルコールの限界値は、驚くことに存在しなかった。
アメリカであらゆる販売記録を塗り替えていた「VWビートル」と同じように、セルフモニター用のパフチューブが大ヒットしていた。
「NSUプリンツ」のデザインは、アメリカでは「シボレー コルベア」に由来している。
そして、1967年、ハンブルクの港にはまったく異なる惑星からの未知なるものが到着する。
1967年、ハンブルクの港に到着したのは、日本からドイツに正規輸入された最初の車、「ホンダS800」だった。
全長3.34メートル、車重760キロ、最高出力67馬力。
さらに、8,750ドイツマルク(約58万円)というわずかな価格も印象的だった。
4気筒で11,000rpmまで回転する。
しかし、ドイツ人は懐疑的で、「ビートル」や「オペル カデット」を好んで購入した。
以下のフォトギャラリーでは、1960年代に、ドイツで走っていたすべての車を、アルファベット順に紹介する。


大林晃平: この写真は言うまでもなく現役バリバリで活躍していたころの(おそらくサーキットでの)一枚。MGなどを後塵に大活躍中である。200キロ以上も可能、ではあったというが直進安定性の悪いショートホイールベースのRR、さぞスリリングでコントロールは難しかっただろう。

大林晃平: アバルトでシムカという、言ってみればダブルネームのクルマ。見ての通りのスタイリッシュさだが、エンジンはシムカのチューンアップではなく、アバルトオリジナルというところがポイント。「アバルト シムカ1300」との見分け方は、フロントライトの形状なので、街で出会ったらそこを要チェック。(笑)

大林晃平: こういうのが本物のアルファロメオ、という人も多いであろう昔の「ジュリア」。当時は本当に希少だったツインカムエンジンの載った4ドアセダンで、当時のイタリアでは、これがパトカーでも使われていた。おそらく運転する警察官は、必要以上にスピードを出して、格好つけながら乗っていたはず・・・、である。


大林晃平: 「カンテン」とはいっても、みつ豆にはいっているあれではなく、ドイツでのニックネーム(ちゃんとドイツのサイトには、熱狂的なエンスージャストのサイトがある)。写真の一台も、比較的最近写された一枚だが(うしろのおそらくオペルから推測できる)、細いタイヤも、ひとつだけのミラーも、中の女性もじつにいい感じである。絵になる自動車というのはこういうクルマのことだろう。

大林晃平: 日本でも、名門「CG」誌を創刊された、故小林彰太郎先生が所有しておられた「ジュリエッタSZ」。前期モデルが、「コーダ トンダ」(丸いお尻)、後期モデルが「コーダ・トロンカ」(切り落とされたお尻)と、デザインが異なり、前後のオーバーハングの長さも異なる。

大林晃平: 確かにこの角度から見ると、トランク部分が長く、リーヴァ パワースピードボートあたりの、船のようでもある。この一台は内装が(サンバイザーまで)、赤い革で彩られた一台で、実にイタリア的な伊達さである。

大林晃平: 700kg程度しかなかった、「ジュリエッタ スパイダー」に比べると、2600ツーリングスパイダーは、1,300kgと、倍近く重かったが(それでも現代のクルマと比べると驚くほど軽い)、6気筒エンジンの威力で、当時のアルファロメオのフラグシップであった。


大林晃平: 美しいデザインのこのクルマもデザインはフランコ スカリオーネ。4灯ライトが前期モデルで、後期モデルが2灯となる(この写真は4灯なので、前期モデル)。現代のアルファロメオに欠けているもの、それはこの「ティーポ33」のように、レースに参戦するレーシングカーも、レースのエッセンスもかけていること、なのではないだろうか(F1を除く)。

大林晃平: 「アルピーヌ110」も60年代のクルマだったんだと、思うほど、ちっとも古びないデザイン。そのため、少なくとも、70年代以降のクルマかと思う人も多い。最近の復刻版アルピーヌは、言うまでもなくこの車が元ネタだし、この当時からのカラー(ブルー)も長年の必須要素である。

大林晃平: 「アンフィカー(水陸両用車)」、今はほとんど、というか壊滅的だと思っていたが、実は日本でも昨今「水陸両用バス」が、全国の観光地で大人気である。基本的には、戦争時に活躍した水陸両用車が、平和で楽しい利用をされているということは大変好ましい。なお水陸両用車は、必ず四輪駆動であることと(そうでないと陸に上がれない)、入水、上水の時には、きちんとした場所(スロープや波辺など)が必要なので、安易に購入することは危険である。そういうものでも、水物の自動車といえる。写真はヴェネツィアを行くショットだが、どこから上陸したのだろうか。

大林晃平: 言うまでもなく、世界一有名な映画に出演した自動車。写真はおそらく「サンダーボール作戦」撮影当時のプロモーション用のものと思われるが、屋根に切りかけもないし、「Qが手を入れていない」、普通の「DB5」と思われる。そうでもなければ、こんなスパイであることを公言しているようなナンバーはつけない(笑)。

大林晃平: 今までたった一度だけ007に出演した「DBS」、どういう皮肉か、この時にボンド俳優、「ジョージ レーゼンビー」も、『女王陛下の007』一本に出演しただけで役を降りた。ボンドカーとしては、Qによる特別な装備もなかったが、クルマそのものは今見てもなかなかスタイリッシュで悪くない。

大林晃平: まだまだアウディが地味な存在だったころ、だが、それを少しでも払拭しようと、ミニスカートで、(ドイツ人としては)目いっぱい頑張った女性モデルを使っているところが、なんともいじましい。

大林晃平: 今見るとなかなかシンプルで好もしい「アウディ100」、特にこの2ドアクーペモデルが、この淡いブルーのカラーリングに塗られると、大変上品で素敵に見える。妙齢の女性などに似合いそう。メッキのホイールキャップとたっぷりした厚みのタイヤ、こういった部分もなんとも品がある。

大林晃平: この「アウディ100クーペS」があった60年代、この写真のように、外人のおねえさんの足の長さにはビックリしたものだった。黄色い「アウディ100クーペS」に、黄色い菜の花と黄色いミニスカート、なかなかお洒落な写真である。

大林晃平: のちに発表される「ターセル コルサ」に明らかに影響を与えたと思われる、ダックスフンドのようなロングホイールベース。だだ、それによりもたらされる空間の広さと乗り心地のよさは、ミニと比較しても長足に進歩したものであった。憎めない小型車というのは、こういうもののことだ。

大林晃平: わが国にも輸入されていた「モーク」。幌をつけるのに小一時間、ジッパー式のドアを開けて乗り込んで、閉める時もジッパー。でもその面倒くささこそが、この車の魅力。そういえば007「私を愛したスパイ」でも、ストロンバーグ所有のタンカーの中で、「モーク」、使われていましたっけ(でも水に落っこちてましたが)。

大林晃平: いつの時代もオヤジたちの憧れ、「ミニ クーパー」。この時代の「ミニ クーパー」は、もちろんクーパーおやじがチューンしたものを言う。写真はモンテカルロラリーで、アンダーステアに負けじと、果敢に攻める「クーパー」だが、屋根にも装備されたライトが勇ましい(まったくドアミラーなどの装備がないが、これで良かったのだろうか?)。