メルセデス・ベンツの威厳;770/Kグロッサー・メルセデス、300リムジン、600リムジン!

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グロッサー・メルセデスの再来;大型高級600リムジン/W100の登場!

1963年、フランクフルトモーターショーで当時のダイムラー・ベンツ社は先述の「グロッサー・メルセデス」の再来といわれた大型高級リムジン600/W100を発表した。日本でのお披露目は翌年、東京オリンピックの年に開催された「メルセデス・ベンツ75周年記念展示会」であった。

600プルマン・リムジン(ロングホイールベース)。
走行性能はまるでスポーツカーを凌ぐほど優れたリムジン。強烈なエアホーンを轟かせながらアウトバーンを走行するシーンは、正にグロッサー・メルセデスの再来。
リムジンのメカニズム透視図;車高調整を可能としたエアーサスペンションとエアーパワーブレーキを採用。加えてパワーウインドウやパワーシートには、これまで自動車に使用されたことのなかった航空機のハイドロリック・システム(油圧システム)を採り入れる等、自動車においては極めてハイレベルのエンジニアリングが盛り込まれている。

エンジンはV型8気筒 SOHC 6322ccの排気量から250PSを発生。この巨体をなんと205km/hまで引っ張った。

ボディの種類も全長が標準モデルの5540mmから6240mmのプルマン・リムジンまで特注生産され、4ドア・5ドア・6ドアでも、また室内は好みのレイアウトによって可能(補助席、キャビネット付きパティション、自動車電話、TV、スライディングルーフ等)。加えてランドウ・タイプ(パレード用の幌タイプ)のボディも造られた。しかし、このメルセデス・ベンツ600は大きく豪華なリムジンだけではなく、優れた車であることが解る。これまでリムジンというものは、背の高い旧式な大型セダンということが常識とされていた。例えば、ロールス・ロイスのファンタム6世は全長×全幅×全高が6040mm×2010mm×1750mmに対し、メルセデス・ベンツ600の標準モデルでは5540mm×1950mm×1485mmとスタイリングは全くモダンになっている。しかも十分な貫禄を備えているばかりか、車高調整を可能としたエアーサスペンションとエアーパワーブレーキを採用。加えて航空機の技術、つまりパワーウインドウやパワーシートには、これまで自動車に使用されたことのなかった航空機のハイドロリック・システム(油圧システム)を採り入れる等、自動車においては極めてハイレベルのエンジニアリングが盛り込まれている。その上、走行性能はまるでスポーツカーを凌ぐほど優れたリムジンだ。強烈なエアホーンを轟かせながらアウトバーンを走行するシーンは、正にグロッサー・メルセデスの再来と言える。さらに、プルマン・リムジンになると全長×全幅×全高は6240mm×1950mm×1500mm、特にホイールベースは標準モデルの3200mmに対し3900mmとなり、実に君主を迎えるに相応しい室内スペースと快適性を備えている。インテリアには補助席、ワインキャビネット付きパティション、スライディングルーフ等、当時の考えられる贅がつくされた。

室内は好みのレイアウトによって発注可能(補助席、キャビネット付きパティション等)。
室内は好みのレイアウトによって発注可能(自動車電話、TV、スライディングルーフ等)。
600プルマン・リムジン;君主を迎えるに相応しい室内スペースと快適性を備えて補助席、ワインキャビネット付きパティション、スライディングルーフ等、当時の考えられる贅がつくされた。

インテリアは後席に特別織りの10色のベロア生地に2色の絨毯。運転席は11色の本革、ウッドの見本だけでも4種類もあり、ボディカラーは30色も選択可能とし、実際にはどんな注文にも応える用意ができていた。

筆者の当時の上司は、1965年輸入1号車(標準モデルのサンプルカー)をヤナセ全国7支店のお客様に観て頂く為に、600キャラバンを組み、各支店はお客様への訪問の手配済みで、直に伺ってご説明した。さらにこの600は有り余るパワーとオールパワーシステム、エアーサスペンション等、当時の最新鋭技術を満載し、その走りは実に快適でトータル5500kmを無傷・無故障で走り切り、ドライバー冥利に尽きる最高の思い出であったと回想していた事を明白に記憶している。

600リムジン/W100;1963年、フランクフルトモーターショーで当時のダイムラー・ベンツ社は大型高級リムジン600/W100を発表(写真は600標準モデル=当時のヤナセメルセデス・ベンツセンタ-東京で妻谷が撮影)

この600リムジンを愛用した著名なセレブを調べてみた。国家や元首用では、国家の威信にかけてイギリスのエリザベス2世女王と共にパレードする当時のキージンガー西ドイツ首相はあまりにも有名(車両は600プルマン・ランドウ)、ブレジネフ書記長(ソビエト連邦)、チトー大統領(ユーゴスラビア)、マルコス大統領(フィリピン)、ローマ教皇パウロ6世(リアドアには特別製作の紋章入り)、さらに、海運王アリストテレス・オナシス、ヘルベルト・フォン・カラヤン(世界的に有名な指揮者)、ミレイユ・マチュー(フランスの有名歌手)等・・・錚々たるメンバーだ!中でも特異なオーナーとして、時のF1チャンピオンであるジャッキー・スチュアートの真っ白な600、ビートルズのジョン・レノンのピアノ付きから日本のオーナー向きの下駄箱付きまで、特にプルマン・リムジンでは2台と同じスペックのクルマは見られなかった。

愛用した著名なセレブ;ローマ教皇パウロ6世の600プルマン・リムジン(リアドアには特別製作の紋章)。
愛用した著名なセレブ;ローマ教皇パウロ6世の神聖なひじ掛け座席とリアドアには特別製作された紋章(アップ)
愛用した著名なセレブ;1965年エリザベス2世女王がドイツ訪問時に共にパレードする当時のキージンガー西ドイツ首相(車両は600プルマン・ランドウ)。
愛用した著名なセレブ;世界的に有名な指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン。
愛用した著名なセレブ;フランスのシャンソン歌手ミレイユ・マチュー。

この600/W100の合計生産台数は2677台で(1963年から1981年まで)、その内訳はリムジン=2190台、プルマン=428台、ランドウ=59台となっている。日本には計70台がウエスタン自動車によって輸入され、ヤナセネットワークを通して販売された(1965年から1973年の間)。その内訳はリムジン=61台、プルマン=8台、ランドウ=1台となっている。

600リムジン(左側;故・梁瀬会長の愛用車)と600プルマン・リムジン(右側)

とにかく、今日ではメルセデス・ベンツ自身、これほど贅沢な自動車造りはもう2度とできないと言っている。もちろん、技術的には不可能は無いのだが、材質的に高価な事はさる事ながら、安全性の観点からも衝撃吸収効果を強く要求され当時の材質はそのまま使用する事は不可能。初期の600のダッシュボードのメータークラスターは無垢のローズウッドを刳り貫いたものであったが、間もなくこれは安全性の観点から、衝撃吸収構造とそのような素材を厚いパッドで覆ったものに変えられた。増して、今や排出ガスによる大気汚染や地球温暖化、エネルギー資源の問題を解決する対応策が最も重要である。

現在では言葉や動作で全て自分の好みや学習をサポートする革新のインフォメーションシステムが主流となり、最適な移動を提供する「Maas」でより豊かな生活が始まっている。その背景にはインターネットとつなぐコネクテッド(C)、自動運転(A)、シェアリング(S)、電動化(E)がある(CASE)。
特に、自動運転とコネクテッドがさらに進化すれば、室内でエンターティメントが存分に楽しめる。
こうした時代こそ脱炭素の流れを踏まえ、AIやコンピューターに頼ることなくモビリティ社会の安全、強いて人間の命を守る本来の安全設計哲学が最も重要であると考える。

写真=ダイムラーAG、メルセデス・ベンツミュージアム、600カタログ、ウエスタン自動車、妻谷裕二。

【筆者の紹介】
妻谷裕二(Hiroji Tsumatani)
1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味はクラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。