メルセデス・ベンツの威厳;770/Kグロッサー・メルセデス、300リムジン、600リムジン!

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筆者がヤナセ関係会社で当時のメルセデス・ベンツ輸入元であったウエスタン自動車入社3年目の1975年に、直属の上司に連れられて宮内庁の車馬管理課に行った。そこには、1950年代の大型高級車300Cリムジン(セダン)が4台、1930年代の昭和天皇御料車である770グロサーメルセデスが3台あった。実際、輸入された770グロッサー・メルセデスは1932年型が3台と1935年型が4台の計7台。その中の1935年型の1台が、当時のダイムラー・ベンツ社の熱心な懇請で1972年以来、現在もメルセデス・ベンツミュージアムに展示されているのは周知の通りだ。

当時のダイムラー・ベンツ社は世界最古の自動車メーカーとしての名に賭けて、1930年に770/Kグロッサー・メルセデス、1951年に300/W186リムジン(通称;アデナウアー・メルセデス)、次いで1963年にグロッサー・メルセデスの再来といわれた大型高級リムジン600/W100を発表した。
今回はメルセデス・ベンツの威厳と題し、大型高級車リムジン軍団である770/Kグロッサー・メルセデス、300/W186リムジン、600/W100リムジンにスポットを当て、そのユニークなエピソード等も含めて紹介する。

INDEX
➤770/K グロッサー・メルセデス
➤日本の皇室御料車の770グロッサー・メルセデス
➤ヒットラーの愛用車としても有名な770Kグロッサー・メルセデス
➤グロッサー・メルセデスの顧客名簿には著名なメンバーが名を連ねている
➤1950年代のメルセデス・ベンツ 大型高級車 300/W186(通称;アデナウアー・メルセデス)
➤グロッサー・メルセデスの再来;大型高級600リムジン/W100の登場!

770/K グロッサー・メルセデス

1930年、当時のダイムラー・ベンツ社は世界最古の自動車メーカーとしての名に賭けて、7.7ℓスーパーチャージャー付きの超高級リムジンである「グロッサー・メルセデスシリーズ」を世に送り出した。この年代に本格的なリムジン構想が実現され、メルセデス・ベンツの頂点に立つ最高級モデルだ。1932年頃から、最後は1969年まで実に37年間に亘って世界各国で愛用された。

1930年770/Kグロッサー・メルセデスのスタイル。

このグロッサー・メルセデスは770Kのコードナンバーで造られ、直列8気筒、95mm×135mm、7655cc、自社製のダブルチョーク・キャブレターとコンプレッサーの組み合わせで30/150/200(課税馬力/通常出力/過給出力)という出力、ホイールベースは3750mm、2.5トン以上もあるボディを160km/hのスピードで引っぱる。770はもちろんコンプレッサー無しである。
そもそもリムジンとはドイツ語でLimousine(リムジーネと発音)、セダンの意味。そして、グロッサー・メルセデスとはドイツ語で「Grosser Mercedes」、日本語に訳すると「より大きなメルセデス」の意味。
しかも、この「より大きなメルセデス」の本来の隠された意味は「より偉大な」という意味もある。文字通り世界中の元首や大富豪のために造られた超豪華大型リムジンだ。君主を迎えるに相応しい装備として、リア・コンパートメントには補助席、キャビネット付きパティション、豪華なリアシートと大型つり革等を装備。

1930年770/Kグロッサー・メルセデスシリーズ(3台);文字通り世界中の元首や大富豪のために造られた超豪華大型リムジン。
1930年770/Kグロッサー・メルセデスシリーズのリア・コンパートメント;君主を迎えるに相応しい装備として、補助席、キャビネット付きパティション、豪華なリアシートと大型つり革等を装備。

日本の皇室御料車の770グロッサー・メルセデス

先述の通り、筆者が1975年、直属の上司に連れられて宮内庁の車馬管理課に行ったところ、メルセデス・ベンツ車両があった事を鮮明に今も記憶している。当時、300Cが4台、770が3台あった。もちろん、宮内庁に入るにはフリーパスではなく、事前に連絡をして約束時間に訪問する。また、宮内庁から呼び出しの場合はゲートで申請して電話で許可を得てからパスが発行される。このように厳重な関所を通過して車馬管理課に到着となる。

日本の皇室御料車の770グロッサー・メルセデス;写真はお城をバックした宮内庁内。
リア・コンパートメントの内装は、宮内省支給の西陣織で仕上げられている。リアから運転席に方向や速度、停止等を指示する元祖リモコン的な運転指示器を備えている。

日本の皇室御料車として、このグロッサー・メルセデスは昭和6年から10年(1931年~1935年)にかけて7台輸入された。当時、東京青山北町にあった輸入元ラティエン商会から輸入されたのは、1932年型が3台と1935年型が4台の計7台だ。現在では1935年型の1台が、1972年以来メルセデス・ベンツミュージアムに展示されている。この経緯は当時のダイムラー・ベンツ社の熱心な懇請があり、遂に宮内庁側が折れて昭和天皇の御料車1台をシュツットガルトのメルセデス・ベンツミュージアムに寄贈することになった。

第2次大戦直後、人間宣言をされた昭和天皇は全国を巡幸されたが、その際、国民と親しく接するために2台はうしろ半分のルーフとリア・クォーターを切ってランドウに改造された。スリーポインテッドスターの代わりに16花弁の菊の御紋が横向きに付けられている。グリルセンターの御紋はメルセデス・ベンツのマスクに合わせて中央で折り曲げられて付いている。また、リアドア両側にも同じ菊の御紋が取り付けられている。
ボディカラーは言うまでもなくロイヤル・マルーンの溜色(宮内庁色)でトップとフェンダーが黒色に塗装されている。この溜色は、明るい時には華やかな深紅に、一方日陰では落ち着いた茶色に近い赤に見えて冠婚葬祭その他いずれの場面にも映えた。リア・コンパートメントの内装は、宮内省支給の西陣織で仕上げられている。また、リアから運転席に方向や速度、停止等を指示する元祖リモコン的な運転指示器、さらに侍従席も備えている。

1935年型の昭和天皇御料車770グロッサー・メルセデス;1972年以来メルセデス・ベンツミュージアムに展示。ボディカラーはロイヤル・マルーンの溜色(宮内庁色)でトップとフェンダーが黒色に塗装。この溜色は、明るい時には華やかな深紅に、一方日陰では落ち着いた茶色に近い赤に見えて冠婚葬祭その他いずれの場面にも映えた。また、16花弁の菊の御紋は天皇家の御紋で門外不出なので、ラジエーターグリルにはスリーポインテッドスターが取り付けられ、リアドア両側の菊の御紋はレプリカになっている。
スリーポインテッドスターの代わりに16花弁の菊の御紋が横向きに付けられている。グリルセンターの御紋はメルセデス・ベンツのマスクに合わせて中央で折り曲げられて付いている(アップ)。

この16花弁の菊の御紋は天皇家の御紋で門外不出なので、メルセデス・ベンツミュージアムに寄贈展示されている昭和天皇御料車はラジエーターグリルにはスリーポインテッドスターが取り付けられ、リアドア両側の菊の御紋はレプリカになっている。

この皇室御料車としてのグロッサー・メルセデス7台は第2次大戦を生き抜き、最後は1969年まで、実に35~36年間に亘り、戦前から戦中そして戦後の復興と長い平和と経済的繁栄・・・・苦難と波乱に満ちた昭和の道を裕仁天皇と共に歩んだ。正しく、昭和天皇の多難なご生涯の象徴でもあった。1952年にメルセデス・ベンツの正規輸入元となったウエスタン自動車がアフターサービスを担当し、専属メカニックと蝶ネクタイのサービスフロントマンを配属していた。

初代の天皇御料車は大正天皇時代の英国・デイムラー、二代目の天皇御料車は英国・1920年式ロールス・ロイスで、3代目の天皇御料車としてドイツのこのグロッサー・メルセデスとなった。折しも、「日独防共協定」締結に向かって交渉を始めた時期と重なり、メルセデス・ベンツが選ばれたのだ。

これら歴代の御料車はお役目を果たした後、そのまま世に出たのでは畏れ多いということで解体されるのがしきたりであったが、先述の通り、当時のダイムラー・ベンツ社の熱心な懇請により、昭和天皇御料車であるグロッサー・メルセデスがメルセデス・ベンツミユージアムに寄贈展示されている。1932年には、1台のプルマン・カブリオレFが、オランダに亡命中の旧ドイツ帝国最後の皇帝・ヴィルヘルム2世の許に送られた。ダイムラー・ベンツ社は昭和天皇御料車に敬意を払ってメルセデス・ベンツミュージアムで、この旧ドイツ帝国最後の皇帝・ヴィルヘルム2世のプルマン・カブリオレFと並べて展示している。

昭和天皇の御料車と並んで展示されているのは、旧ドイツ帝国最後の皇帝・ヴィルヘルム2世のプルマン・カブリオレFである。

ヒットラーの愛用車としても有名な770Kグロッサー・メルセデス

この770K グロッサー・メルセデスは、あのナチスのヒットラーの愛用車としても有名だ。彼の愛用したのは1938年頃の後期型で、リア・アクスルがコイルのスウィングアクスルになり、ボディはかなりモダン化されたジンデルフィンゲン工場コーチワークで直列8気筒、95mm×135mm、7655ccのエンジンを搭載していた。この年代にはプルマン・リムジンの他、カブリオレF(最大のパレード用)、カブリオレDなどが注文生産されている。もちろん、ヒットラーのグロッサー・メルセデスは完全な防弾装備付きである。

ヒットラーのパレード;この770K グロッサー・メルセデスは、あのナチスのヒットラーの愛用車としても有名。もちろん、完全な防弾装備付きである。

グロッサー・メルセデスの顧客名簿には著名なメンバーが名を連ねている

ドイツのヒンデンブルク大統領、スエーデン王グスタフ5世、エジプトのファルーク王、ブルガリアのツァー・ボリス、ユーゴのパウル摂政宮、それに作曲家のリヒァルト・シュトラウス等が名を連ねている。

1950年代のメルセデス・ベンツ 大型高級車 300/W186(通称;アデナウアー・メルセデス)

この300/W186リムジンは第2次世界大戦後、復興目覚ましい西ドイツが生んだ1950年代の大型高級車だ。1951年4月、ドイツのフランクフルトモーターショーでこの大型高級リムジンである300/W186が発表され、同時に220/W187の中型リムジンも発表されている。

1950年代のメルセデス・ベンツ 大型高級車300/W186リムジン;ロ-マ教皇ヨハネ23世の専用車、西ドイツのアデナウアー首相の公用車をはじめとして政府首脳から大会社の重役車として活躍。

特に、この300/W186リムジンは本来ならば、もっと大排気量のエンジンを搭載するところだったが、第2次大戦後の西ドイツでは経済政策として3リッターを超えるエンジンには破格の高い税金を課していたので、販売政策上3リッター以内のエンジンを搭載する事が必須の条件(2996cc)。

しかし、1930年770グロッサー・メルセデスの7リッター並みの性能を兼ね備えた当時の西ドイツ大型最高級車だ。ローマ教皇ヨハネ23世の専用車、西ドイツのアデナウアー首相の公用車をはじめとして政府首脳から大会社の重役車として活躍。特に、アデナウアー首相が好んで6台所有していた事から通称「アデナウアー・メルセデス」と呼ばれた。また、ユル・ブリンナー等のハリウッド映画スターや20世紀最高のソプラノ歌姫マリア・カラス等が愛用者リストを飾り、世界のVIPに愛用された名車として知られている。日本では1957年に、ヤナセは宮内庁に300Cを4台納車し、上皇后陛下が正田美智子様時代に、初めて皇居を訪問された折の送迎にも使われた。

300リムジンから降りる当時のアデナウアー西ドイツ首相;アデナウアー首相が好んで6台所有していた事から通称「アデナウアー・メルセデス」と呼ばれた。
日本では1957年に、ヤナセは宮内庁に300Cを4台納車し、上皇后陛下が正田美智子様時代に、初めて皇居を訪問された折の送迎にも使われた。

縦型グリルと大型ヘッドライトに加え、流麗なラインのフェンダーやルーフ等、重厚でクラシカルなデザインが魅力。そのスタイリングは独立式の前後フェンダーがある戦前型(ウィングタイプ)と、フラシュサイド(フェンダーとボディを一体化)の戦後型を折衷したもの。ボディは鉄板のつなぎ目がごくわずかな隙間も残さず埋め込まれている。これが「塵合わせの技」で、メルセデス・マイスターが誇る匠の技だ。

当初のラインナップは、6ライトウンドウの4ドアリムジンの他、4ドアカブリオレD(パレード用)の2タイプだったが、同年10月のパリサロンで2ドアボディの300Sが発表された。ボディタイプはオープンのロードスターとカブリオレA、そしてクーペがラインナップ。その後、4ドアリムジンは300B、300C、300Dへと改良された。

アメリカのソプラノ歌姫マリア・カラスも愛用した300リムジン。

メルセデス・ベンツの確固たる自信は破格の品質。室内は豪華で、身体を包み込む最高のベロア生地、上質な無垢のウッド素材、ドアノブや窓の開閉ハンドル、バンパー等のメッキは実にボリューム満点。特に、パティション・ウォールをオプション化しショーファー・ドリブンそのものだ。
直列6気筒 SOHC 2996ccを搭載し、最高速度155km/hをマーク。また、このエンジンをベースに造られた伝説のスポーツカー300SLが生まれたのはあまりにも有名。

300SL
Photo: autobild.de

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