【ひねもすのたりワゴン生活】コットンテントの誘惑 その1
2021年5月1日
グラビアページの思い出
空前のブームで、各地のキャンプ場はカラフルなテントで埋め尽くされています。そのほとんどは軽くて強靭な最新素材だけれど、コットンの魅力に惹かれる人々も…。私もそのひとりで、十代の半ばに出会って50年近く…今も、この少し手間のかかるパートナーをクルマに積み込んで、至福のひとときを過ごしています。
妙なシルエットのテントを目にしたのは45年ほど前、中学校の終わりだったか、高校の初めだったか。めくった雑誌のグラビアページ…奥日光の湖畔と記憶しているのだけれど、何ページにも渡って繰り広げられるアメリカンタイプのキャンプシーンにくぎ付けになった。
学校の行事や子供会で使った小さなオレンジ色の三角テントを見慣れた目には、その大ぶりでがっちりとした姿が異様な存在感で迫ってきた。モノクロ写真と、添えられた僅かなキャプションでは、それがいったい何というものなのか、どうやったら手に入るのかも分からなかったけれど、それまで自分がキャンプに抱いていたややネガティブな感情を鎮めてくれ、ひと目惚れのような甘酸っぱい想いに包まれたのだった
小学生の頃、夏休みになると学校行事としてキャンプがあって、当時は林間学校なんて呼ばれていた。しかし、それはお世辞にも心地よいものではなかった。みんなでキャンプファイヤーを囲んだり、林を歩き回ったりするのは楽しかったし、朝のすがすがしい空気や、満天の星空には心が躍ったけれど、あのオレンジ色の小さなテントは、子どもですら背中を屈めないと着替えられなかったし、地面の凹凸が背中に伝わってなかなか寝つけなかった。
それが、あの雑誌の記事といったら……。朝の光景では、背丈よりもはるかに高い天井のテントから、がたいのいい男性が起き出して、室内にはベッドが見えた。そのワンカットだけで、居住性のよさが伝わってきたけれど、添えられた“彼のいびきがひどかった…”という一文で、それほど熟睡できる空間なのかと羨ましくなった。
夕食には、テントの脇、ポールで広げられた大きな布の下に、テーブルと映画監督のようなディレクターチェアが並べられ、立派なダイニングスペースが設えられている。その布がタープという名であることもその記事で知った。
その下に現れた空間はランタンに照らされ、昼間のように明るかった。酒を酌み交わし、顔をくしゃくしゃにして語り合う男たちは、その頃日本にお目見えしたばかりのカウチンセーターやダウンパーカをまとって、ファッション雑誌から切り抜いたようだった。そして、傍らにはワーゲンのデリバリーバンとボルボがあった。
後に、その記事に出ていた先達と不思議な縁でつながり、かわいがっていただくことになって現在に至るが、皆、私よりひと回り以上…中には八十代半ばの方もいて、アウトドアの魅力を語り出すとその口調は若々しく、淀みがない。デザイナーやコピーライターなど広告関係に就いていた方が多かったので、世の中の面白そうなことにアンテナを張り巡らせていたのだろう。
話は脇に逸れたが、そのテントがコットン製だったこと…独特のシルエットも、驚くようなサイズも、アメリカではポピュラーであることを知ったのはしばらく後だ。
当時、そんなことを楽しんでいた日本人は僅かで、彼らの中のひとりが進駐軍の兵士から学んだという。高校時代にたまたま知り合った米軍基地の関係者に可愛がられ、そのキャンプに連れて行ってもらったのがきっかけだと後に記していた。
ひと月でもふた月でも過ごせそうな見事なキャンプサイトを作りあげる様子に驚き、当時の日本では考えられないような豪華で豊富な食材を保管する大型クーラーボックスや、まるで昼のように明るいランタンに度肝を抜かれたとも述べられていた。
それは、どこにでもいる十代の少年には初めて知る世界…ただ溜息をついて、妄想に耽るしかなかった。
【筆者の紹介】
三浦 修
BXやXMのワゴンを乗り継いで、現在はEクラスのワゴンをパートナーに、晴耕雨読なぐうたら生活。月刊誌編集長を経て、編集執筆や企画で糊口をしのぐ典型的活字中毒者。
【ひねもすのたりワゴン生活】
旅、キャンプ、釣り、果樹園…相棒のステーションワゴンとのんびり暮らすあれやこれやを綴ったエッセイ。