写真とともに辿るVW T1、T2、そしてT3の70年

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70歳を迎えたクールガイ VWタイプ2トランスポーター

ドイツ人の愛してやまないブリ(ブリ=ブルドッグ、ドイツ人は愛情をこめてそう呼ぶ)、今でも世界中の人々から愛され続けるVWタイプ2。1950年に生まれたチャーミングで働き者のトランスポーターは今年70歳になった。
まるで漫画の主人公のようなとぼけた顔と丸みを帯びたボディ、そして実用性の高さ。数百万人が愛用した商用車を楽しい写真とともに振り返る。

Photo: Sven Krieger

VW T1、タイプ 2ほど、多くの愛情をそそがれた商用車は他に類を見ない。
今年、VWブリは、70歳の誕生日を迎えた。
その物語は、1950年3月8日(水)、誰一人として、彼がこれほど世界で活躍するとは考えていなかった時代から始まる。
今から70年前のこの日、ヴォルフスブルクの生産ラインから最初の10台のVWバンが転がり落ちた。
そして誕生から17年後の1967年のT1生産終了までに、なんと183万台以上(!)が生産された。
バンが発売されたときには、新しい強化フロアプレートが与えられたが、それ以外はほぼすべてVWビートルからの技術の転用だった。つまり、VWバスの場合、これは当初、たった25馬力で750キロまでの積載量に対応しなければならないことを意味した。しかしこの課題にバンは躊躇せず向かい合い、初日から闘志を発揮し、信頼できる相棒としての評判を獲得していく。

ヒッピーの夢としても、サーファーの住居としても、家族の友人としても、職人の愛用品としても、タイプ2はそれぞれに愛用された。ブリの周りには、いつもさまざまなファンが集っていた。
所有者やその目的は様々だが、共通していることはただ一つ。バンはただ部品を寄せ集めて作り上げられた移動手段ではなかったということだ。それは信頼性の高い相棒であり、多くの人々にとっては人生における哲学の一部でさえあった。
VWトランスポーターは、そのすべての後継モデルがこのステータスを引き継いでいる。
しかし、オリジナルのブリT1のユニークさは別格だ。V字型のビーズ、分割されたフロントガラスと大きなVWのエンブレムを持つフロントは、今日ではカルト的であり、そのコレクターズプライスが大きく飛躍してからずいぶん経つ。

数え切れないほどの運輸ビジネスのための忠実な相棒、T1パネルバン(ヨーロッパでは窓がないバンは、税金がとても安い)。このカラーリングの洒落た感じこそ、ブリだ!

1955年に状況が少し変わった。バンは改良され、エンジンルームの上に設けられた窓付きのドアからカーゴエリアにアクセスできるようになった。また、1955年からは、エアコン(というか、クーラー、のようなもの)が取り付けられた。
T1のフロントエンドには短いルーフの張り出しがあり、ブリの乗員たちに新鮮な空気を供給した。そしてエンジンは9馬力増加して34馬力になった。それでも34馬力だったのだ!

発売からわずか1年後には、ルーフの端に窓を設けたサンバモデルが追加され、現在でもカルト的な存在となっている。この底抜けの明るさは、今のどのミニバンを探しても見つけられない。

その後、VW T1バスの内装もモダンな雰囲気になったが、ダッシュボードは継続していて、4つのインジケーターライトでドライバーに状態を知らせるだけである。灰皿や燃料計なども装備され、ラジオを搭載するスペースもあった。
進歩は続く。60年代初頭には、ベンチシートが姿を消した。調整可能なシングルシートに取って代わられ、ドライバーは道路の王様気分を味わえるようになった。
エンジンも、1963年には、最初にアメリカ市場向けに開発された42馬力1.5リッターのボクサーエンジンが、T1を新たな領域へと押し上げた。初めて時速100kmの壁を破ることに成功したのだ。1965年、エンジニアたちはさらに2馬力のパワーアップを与えた。

1950年7月、T1は最大8シートを備えたバンに変身した。
しかし、このカラーリングを21世紀に日本の軽自動車に、まるまるコピーされるとは思ってもみなかっただろう。

そして1967年7月、それは終わる。17年以上の歳月を経て、少なくともドイツではトランスポーターの第一世代の幕が下りた。
だがその後もブラジルで、T1は新年紀を迎えることになる。ブラジルでは誕生から60年以上経った2013年まで「コンビ(Kombi)」の名で引き続き生産された。
T1は現在でも290万人の家族を持っている。
その後世代を経て、2015年にはT6が発売されたが、オリジナルデザインと比較すると、それはまるで別の星から来た乗り物のようだ。
だが、かつてVWのブリT1から始まったサクセスストーリーはまだ続いている。

2020年3月に、VW T1ブリは70歳の誕生日を迎えた。荷物を積むのも、人を運ぶのも、どちらも得意技。
Photo: Werk
1950年3月8日に生産が開始されたときには、補強されたベースプレートだけが新しくなっていた。それを除けば、バンはビートルの技術で生きていた。当初、25馬力で750キロまでの荷物に対応する必要があったが、バンは躊躇することのなく挑戦にたちむかっていった。リアのウインドーパネル部につけられたレリーフがなんともしゃれている。後ろのペッタンと開く観音開きのドアにもご注目。Photo: Werk
1967年までに合計183万台以上のT1が生産された。初期のモデルだが、これ以上ないシンプルな形が、美しい。ホイールキャップがなんともしゃれている。ドアミラーの位置に注意。Photo: Werk
ハノーバーのお店(?)の一台。左右どちらでも使えるような形状の(使用しない部分のプレス跡がついている)リアドア。Photo: Sven Krieger
V字型のビーディングが施されたフロント、分割されたフロントガラス、初代VWバスの大きなVWエンブレムは、今ではカルト的な存在となっている。Photo: Roman Raetzke
初期の一台。バンパーさえもない。それでもどこか愛らしいのは曲面のラインのなせるところか。Photo: Werk
当初、納屋のドアからはタンクとスペアホイールを含むエンジンルームしか見えなかった。しかし1955年には状況が変わる。エンジンルームの上に窓付きのフラップが備わり、カーゴエリアにつながるようになった。前方にはスライド式の窓、後方にはヒンジ式の窓が2つ付いていた。
T1はしばしば他メーカーによって真似されたが、それらがVWバスのレベルに到達することは決してなかった。
誇り高きヘリテージを築き上げたブリは、新しいドイツ語でマルチバンと呼ばれた。Photo: Sven Krieger
T1サンバは23の窓と9人分のスペースでT1神話に貢献した。
このカラーリングの、なんとも素敵なこと。豪華とか上質とは決して飾り立てることだけではないことを教えてくれる。Photo: Roman Raetzke
そして、必要に応じて、荷物用のトレーラーもうしろに装着できた。これもまた、なんとも格好の良いデザインだ。スペースの向上だけだったら、真四角にするはずであえてスペースを犠牲にしても、こういう曲線を描かせたところが、凡百のデザイナーの仕事ではないところなのである。Photo: Roman Raetzke
ミニマリストな室内&インパネだ。しかし本来自動車とはこれで充分なのではないだろうかと思うのはわたしだけだろうか…。ビルトインされ、統一デザインされたラジオも気がきいている。
4速ギアシフトは非常に不正確だった。それにもかかわらず、バンは人気があり、多くの人々から求められた。 Photo: Sven Krieger
また、道路用ラバの役を兼ねることが多かった平台トラックは、力仕事にも使われていた。酒樽を積むのにも、木箱を積むのにも、これなら適している。Photo: Uli Sonntag
この個体は、T1の中でも珍しい働き馬の1台であり、もう今では街中で目にしなくなった非常にレアな存在で、多くの人々から惜しまれている。
程度は新車のようで、この写真では、まるでミニカーのようだ。Photo: Uli Sonntag
また、VWバスはキャンプ用の移動手段としても名を馳せた。カーテンの生地と、木製ルーフキャリアがおしゃれ。
こういうクルマで旅に出てみたいものである。Photo: Sven Krieger
ルーフラックは、地平線の向こうへの旅のための積載物を追加することができた。しかし、このバンはレジャー以外にも公共サービスでも使用されていた。これは現在、ヴォルフスブルクのVW博物館に展示されている個体だ(青い回転灯も装備されおそらく消防関係の自動車。エンブレムまで深紅に塗りつぶされている)。Photo: Sven Krieger
労働者階級に加えて、ビジネスクラスにも貢献した。ここでは、伝説のサンババスは、1964年からのモデルとして、周りすべてがガラス張りで、折りたたみ式の屋根を与えられ、イタリアで休日を送る喜びをもたらした。キャンバストップを開け放っての旅行は、さぞや開放的で明るかったことだろう。
手前のお父さん(?)の持っている一眼レフカメラが気になる。Photo: Werk
ルフトハンザは、世界中でシャトルバスとしてブリを使用していた。1963年型は、白いすりガラスの後ろに大きなフロントターンシグナルを装備している。
この頃のカラーリングとロゴが粋で格好いい。Photo: Werk
この冷蔵トラックは、ハルツ山脈のオステローデ周辺の惣菜屋さんに美味しいアイスクリームを提供していた。いかにも清潔で、バニラアイスのような車だ。Photo: Werk
キャンパーはこのように変身する(これをまねた、ボンゴ フレンディというクルマも我が国にあったが、いつの間にか淘汰されてしまった)。中には小さいコンロとシンクの備わったキッチンが装備されている。
Photo: Werk
T1は1967年まで製造され、その後継車であるT2の時代が到来した。その時代はドイツでは1979年まで、ブラジルでは2013年末まで続いた。
ラジエターが強引に装備されたため、表情がなんともアグリー。Photo: Werk
T2は、ドイツ連邦郵便局の高屋根のブリとして人気があった。もちろん、汎用性も備えていた。発電機を装備した一台が、今から働き始めるところ。Photo: Werk
もちろんスキーにも行く! だが空冷リアエンジンなので、ちょっと暖房が効きにくいこともあっただろう。
ブリT2は、ウィンタースポーツでも、砂漠でも、ドライバーが行きたいところを走った(これは四輪駆動のプロトタイプ)。四輪駆動はプロトタイプのみで終わってしまった。屋根が開く、つまりキャンパーの車輛と思われる。Photo: Werk
1972年からT2bのフロントターン(ウィンカー)シグナルは、ベンチレーショングリルの上部に座っていた。マークが小さめなのに注意。Photo: Marcus Gloger
元AUTO BILDチーフレポーターのディーター ロダッツ氏は回想する。「私が最初のブリと出会ったのは小さな村の食料品店でのことだった。オレンジやバナナ、チューインガムなどのエキゾチックな商品を村に運んできてくれた。私たち庶民はバンを買う余裕などなかった。44馬力のバンを手に入れたのはその数年後のことだった。この65年式のように右側にフラップドアが付いていた。ラウムズのスライドドアはオプションで別料金だった」。Photo: Sven Krieger
9人乗り。シート下のパイプのほとんどが悪臭を放つ熱気を外に出していた。一般的には、正式名称であるタイプ2/T1は、車の歴史の匂いがした。Photo: Sven Krieger
AUTO BILDの編集者ヤン ホーンにとって、カルト車との関係は1985年に始まった。彼のメカニックとしての高度な知識がT2の価格を極端に安くしたことで出会った(つまり自分でポンコツを再生させたということだ)。折りたたみ式ルーフの下の空間は特に居心地が良かった。キャンパーはこのチェックシートと、フェイクベニヤウッドの内装がお定まり。Photo: Sven Krieger
ホーンは覚えている。「あらゆる逆境にもかかわらず、私の愛機であるT2は私の目的にぴったりでした。例えば、カーポートの建設現場へのコンクリートスラブの運搬や、デンマークでの休日の過ごし方などです。そこでは3人掛けのベンチが大きなダブルベッドになり、小さなテーブルの上には朝食を食べるスペースがありました」。Photo: Sven Krieger
実用的な価値という点では、T2が最上位に位置していた。まばらなコックピットは、キャンプ用モデルであっても、楽しませるためではなく、情報を提供することを目的としていた。「私にとって、T2は最高のオールインクルーシブ(すべてを備えた)モビリティです」。足元などはむき出しだが、ちゃんと救急セットと消火器が備わっているのは、いかにもドイツ。Photo: Sven Krieger
AUTO BILDクラシックの編集者ダニエラ ペモラーにとって、T3はカルト的な魅力に溢れている。両親がT2に乗って新婚旅行に行ってから40年、ここで彼女が横たわるのは1992年のT3 “Limited Last Edition”で、2500台しか生産されていない。Photo: Sven Krieger
T1、T2、T3よ、永遠なれ。
このままの形でもどっておいで! 
君なら電動化されても受け入れる(実際に、電気自動車でカムバックする、といううわさは、もう何年もささやかれている)。Photo: Sven Krieger

Text: Stephanie Kriebel, Matthias Brügge