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【80年代のイタリア車とフランス車】パート2 不朽のデザイン アバンギャルドなシックさ 夢のスーパースポーツカー 夢の80年代

2023年5月16日

ルノー フエゴは、あくまで外見からスポーティでエレガントな印象を与えるものであり、素っ気ないプラスチッキーなインテリアだった。ベースとなるルノー18と多くのコンポーネントを共有していた。フエゴはスペイン語で「火」を意味する。フランス人がミッドサイズクーペをフエゴと名付けた理由は推測するしかない。
大林晃平: ルノー フエゴの持っていた、当時最先端の装備がリモコンキー。今となっては当たり前の装備品だが、当時は最新鋭の秘密兵器装備であった。とはいっても作動できるのは、車のごく近くからで、今のような高感度ではなかったが……。ちょっと未来的な3ドアハッチバックの車内にはデザイン最高で、ウルトラソフトなシートも備わり、フランス車濃度はなかなか高い。フランスをはじめ、スペイン、アルゼンチン、チリ、ベネズエラなどでも生産されたが、電気系統のトラブルによる火災も多く、信頼性は低かったそうである。
Photo: Markus Heimbach
ルノーのエスパスは、そのデビュー時に専門家たちを驚かせた: 広大なスペース、可変のシートコンセプト。このクルマは、乗客(家族)のニーズに適応するクルマだった。5つの取り外し可能なシートで収納スペースを変え、Cd値が良好な超軽量ボディに包まれている。これがなければ、ザフィーラやその他のルノー製ワンボックスは存在しなかっただろう。
大林晃平: この内装の格好良さと、未来的なボディデザイン・・・。ミニバンの先駆者がこのエスパスであった。マトラで生産されたエスパス、日本では由良拓也さんなど、関係者も所有していたし、何より日本の各自動車メーカーがこぞって購入し、ばらしたり、検証したりしながらミニバンの開発に勤しんでいた時代であった(特にエスティマには多大な影響を与えたと個人的には思っている)。残念ながら信頼性は低く、トラブルも多かったというが、今でもエスパスがあったからこそ、ミニバンがこれほど一般的になったと信じている。
Photo: Uli Sonntag
カルトボックスであるルノーR4が消滅しないのは、多くのファンがまだ欲しがっているからである。それはゆっくりと国宝に成熟しつつあり、ダックス(シトロエン2CV)だけがそれに匹敵する。
大林晃平: シトロエン2CVのライバルと言われることも多いが、より高性能(シトロエン2CVと比較しての高性能、という注釈は必要だが)徹底的な実用車であったルノー キャトル。もちろん大ヒット作となり、フランスの町中を埋め尽くすほど売れた。カングーの祖先ともいえるフルゴネットもあり、バリエーションも限定車も豊富。シトロエン2CVとの違いはクーラーがオプションでちゃんとつくことだが、きっとクーラーのスイッチを入れると大幅にパワーダウンしたはずで、あまりお薦めしない。
Photo: Uli Sonntag
ルノーはアメリカでルノー9(1981-1988)をコンバーチブルとして販売したこともある。しかし、アメリカではほとんど誰も欲しがらなかった。オートマチックトランスミッションを搭載したこの小さなルノーは、カジュアルな面も持ち合わせていた。保存に値する9を見つけることは、今日ではほとんど不可能だ。
大林晃平: プジョー305の好敵手がこのルノー9。ライバルと似たようなデザインを持ちながら、よりソフトで豪華装備だったのがこちら。(写真の一台も、ちゃんとATでパワーウインドウがついていることに注意)。革新的だったのがシートのスライドの動き方で、弧を描くように高さを変えながら前後する。どうしてこうしたのかは不明ながら、そのかけ心地は超絶素晴らしかった。アメリカではコンバーチブルモデルが発売されていたが、アンダーパワーで信頼性も低かったため、珍車扱いだったと現地の人に聞いたことがある。
Photo: Sven Krieger
ルノー11は、5ドア、あるいは稀に3ドアで、R9よりも実用性が高いが、同様に名声は低いコンパクトなフレンチマンである。R11は1983年から1988年にかけて、48馬力から115馬力のバージョンで製造された。
大林晃平: ルノー11はルノー9の一つ上のセグメントの一台。フランス国内ではタクシーとして扱われることも多かった。007、ロジャームーア最後の出演となった「美しき獲物たち」ではジェームス ボンドが運転してカーチェイスを繰り広げるが、屋根を吹き飛ばされるは、後ろ半分を失くしたまま走り続けるは、ギャグの対象としての出演していた。前半分で走れるというのは、FFであることを強調したかったのだろうか。
Photo: Markus Heimbach
1980年当時、R5ターボの価格は最も安い標準型R5の4倍であった。しかし、最高速度205km/hも出せなかった。極端なウィングフレアによって、「チークターボ」は、標準モデルよりも22cmも幅が広くなっている。しかし、R5ターボの開発者はオーバーサイズのホイールを装着するスペースを確保しなければならなかった。実際、R5ターボはベース車とほとんど共通点がない。1.4リッター4気筒エンジンは160ターボ馬力を発生し、一般的なR5ではリアシートが設置されている場所に搭載されていた。
大林晃平: 今でも魅力的でルノーの歴史に残るであろうサンク ターボ。特に初期のマリオベリーニの内装(ベージュなどもあったが、赤と青のカラーリングの方がなんとも素晴らしい)を持ったモデルは超絶かっこよく魅力満載。1.4リッターではあったが、幅が1750㎜(デザイン的に幅広に見えるが、今となっては、たったの1750㎜しかないのである!!)のため3ナンバー。またエアコンももちろん無理だが、そんなことどうした、という一台。クリオにも同系のモデルはあったが、やはり存在感で圧倒的なのはこちらのほう。
Photo: Aleksander Perkovic
R19は、1980年代末のルノーグループの生命線だった。1997年に初代メガーヌに代わって登場した、ジウジアーロデザインのコンパクトカーだ。
大林晃平: メガーヌの先祖がこの19。地味ではあるがまとまりのあるデザインや、バリエーションの豊富さと相まってフランスではベストセラーモデルとなった。黒いバンパーやドアプロテクター、黄色いフォグランプなどディテールも時代を感じさせるが、ピニンファリーナデザインの(ライバルであった)プジョーに対し、こちらはジョルジェット ジウジアーロであったことが面白い。
Photo: Werk
1984年、新型アルピーヌGTAが登場した。当初は先代A310の2.7リッターV6を搭載。その後、エンジニアは200馬力の2.5リッターターボ(最高速度:250km/h)を搭載した。その後、A610が登場し、終了となった。90年代半ば、最後のルノー アルピーヌがディエップの工場から出発した。
大林晃平: 未来的な自動車というのはこういうもの、というフランス的なスポーツカーがアルピーヌ。特にこの初期モデルは前衛的な美しさで後期モデルのA610よりもバランス的に美しいと思う。中央部にピポットを持ち、妙な動き方をするワイパーなどヘンテコな部分を満載。特に電動式のドアレリースはトラブルが頻発し、車に乗れない、車から降りられない、という苦情が多かったという。Photo: Werk
シムカ1100をベースに、マトラのエンジニアが1970年代後半に開発したのがランチョ(1977-1981)だ。全輪駆動の代わりに、コスト面から定評のある前輪駆動が採用された。1977年以降、PSA(当時は新生クライスラーヨーロッパ、したがってタルボのオーナーでもあった)は、タルボ マトラ ランチョの名で、このレジャーカーを販売した。ラフなハンドリングと防錆性能の低さから、ランチョはほとんどが廃車となった。
大林晃平: SUV全盛の今、このまま売っていても人気が出そうなタルボ マトラ ランチョ。見かけと違い、前輪駆動のみの、あくまでもコスメティックスなSUVモデルではあるが、冒険に行かなくとも(そもそも行かない)、雰囲気たっぷりなディテールなど魅力は高い。その証拠に、当時はミニカーなども流通し、それなりに人気は高かった(が、今やもうフランス国内でもほとんどこの車は見かけないそうである)。蛇足ながらマトラはフランスの航空産業であり、そういう意味では革新的なデザインやコンセプトのものが多い。
Photo: Werk
1980年、マトラは3人乗りスポーツクーペ「ムリナ」を発売した。ムリナは92馬力の1.6リッター4気筒エンジンでスタートした。わずか3年、10,680台で、ムリナはルノー エスパスのために組立ラインを去らねばならなかった。
大林晃平: ムリナの持っている最大の特徴は……横並びの3列乗車という変則的なレイアウトだった。残念ながら座ったことなどないが、大柄な大人が横3列で並んだ場合、かなりシフトとか窮屈そうだが、いったいどうなんだろう? 日本にも実は輸入されており、見かけたことはあるがFRPのボディがちょっと歪んで(塗装も浮いたりして)見えるなど、品質的には心配な面も多いので、これから購入される方はどうか心して付き合ってほしい。
Photo: Hersteller
ホライゾンの背後にいるのは誰なのか、何なのか、クライスラーだ!そして、80年代の混乱したアメリカ人は、まだ十分に危機的状況に陥っていなかったので、小さなタルボを海の向こうに持ち込んだのだ。そこではダッジ オムニとかプリマス ホライズンと呼ばれていた。
大林晃平: タルボのホライゾン、って地味も地味だし、日本にはおそらく生存していないと思うが、アメリカにはまだ生き残っているかも・・・。でもおそらく当時もこの大きさでは富裕層は絶対乗らず、ハウスキーパーや、ベビーシッターの足車的存在だったのではないだろうか・・・。
Photo: Werk
クライスラーの指揮の下、シムカと合併していたタルボというブランドが復活を遂げた。デザインも技術も平均的なレベル、この妥協ではフランス車は輝けなかった。
大林晃平: バッチを外してしまえば「この車なあに?」のクイズに十分なるはずのタルボット。クライスラー傘下になったり、シトロエン・プジョー傘下になったり、紆余曲折なメーカーではあったが、そもそもはイギリスの自動車メーカーである。80年代のタルボットの車種にはソラーラ、タゴーラ、サンバなどがあったが、写真はソラーラ。タゴーラとの見分け方はライト周りで、タゴーラのほうがより大きなヘッドライトと、長方形のウインカーレンズを持つのに対し、ソラーラは台形のウインカーレンズを持っている。街で見かけたらその部分が判別ポイントなのでよろしく。
Photo: Werk

Text: Lukas Hambrecht