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もっともクールなコンセプトカー×62台 Part1

2020年5月4日

史上もっともクールなコンセプトカー:未来という古典

「他の惑星からの自動車」
かつて彼らは未来の車だったが、今日ではカーデザインにおける古典となった。これらのコンセプトカーは路上で目立ちたいためではなく、主に自動車ショーのために作られた。 さあ最高にホットなコンセプトカーとの時間の旅へ出かけよう!

彼らは自動車の未来を提案したものの、生産車としてはほとんど生き残らなかった。80年以上にわたり、世界中の自動車メーカーが技術的に実現可能なものと将来の車のあるべき形を示すためにコンセプトカーを作り続けてきた。コンセプトカーは、世界中のモーターショーでクリエーターのノウハウを実証し続けてきた。

ビュイックY-Job
未来の車の最初の1台は1939年に発表されたビュイックY-Jobだ。ビュイックが決して生産化されることのないボディをホイール上に載せたのは、新しいデザインアイデアに対する、購入者たちの反応を収集することが狙いだった。Y-Jobのスタイリストはハーリー・J・アール。後に1959年型キャデラックなどで、ロケットのようなデザインを極めた、いわばテールフィンデザインのキングだ。

スタイル定義のパイオニア精神

デトロイト、ジュネーブ、パリ、東京、フランクフルトなどのモーターショーでスポットライトを浴びたデザインスタディのスタイリング要素は、しばしば後に生産化されたモデルに採り入れられた。振り返ってみても、それらのデザインは将来の傾向を明確に示している。

そのもっともよい例が2001年のアウディ・ステッペンウルフだ。エレガントなデザインが今日のSUVの熱狂的なブームを予告していたといっても過言ではない。1955年のBMW 4/2(本稿の後半に登場)のような的外れなデザインは、今日ではめったに発表されなくなった。残念なことに、今日、デザインスタディは、ブランドのニューフェイスを初めて発表することによって、聴衆の反応を調べることが多いようだ。

多くのデザインスタディは跡形もなく消えた

特にクラシックモデルは、フェアが終われば用なしとなって、個々の作品は消え去るのみだった。デザイナーたちの高価な作品のほとんどは、プレゼンテーションが終わった後は、秘密の工場のガレージ内の隅に捨て置かれた。そして、ガレージのスペースが少なくなったときには、これらの宝石はプレス機械によってばらばらにされることさえあった。運が良ければ、メーカーの倉庫の隅で生き延びることもあった。たとえば、ポルシェはほとんどのコンセプトカーを保存していた。あるいは、それらワンオフのコンセプトカーの希少さを大事に思うコレクターたちによって守られてきた。それでも生き残ったコンセプトカーはごくわずかだ。以下に、1939年から最近までの最も美しいデザインスタディをお届けする。お楽しみあれ!

ファントム・コルセア(1938)
このクルマもおそらく未知の世界から現れた1台だ。この6人乗りのストリームライナーカーはビュイックY-Jobより1年古いが、ケチャップで億万長者になったラスト・ハインツは真剣に生産化を望んでいた! しかしコルセアがつくられたその年、彼は心臓発作で亡くなった。

ビュイック・ルセーバー(1951)
第二次世界大戦が終わった後、人々の暮らしには落ち着きが戻ってきた。1951年、ビュイック・ルセーバーは、航空機スタイリング時代の幕開けを告げる1台となった。GMスタイリングのボスであるハーリー・J・アールの作品には、戦闘機の魅力が備わっていた。このスタディモデルは、UFOのように見えただけでなく、ハイテクの集合体でもあった。モリブデン鋼フレームのアルミとマグネシウム構造、燃料噴射装置、12ボルトシステム、レインセンサー付きの自動フードなどなどだ。

アルファロメオBAT
アルファロメオは、1950年代にBATという頭字語で、いくつかのデザインスタディを発表した。BATは、ベルリネッタ・エアロダイナミカ・テクニカ(Berlinetta Aerodinamica Tecnica)の略だったが、ベルトーネのデザイナー、フランコ・スカリオーネのデザインは、バットモービル(Bat-Mobile)のように見えたし、事実多くの人がそう受け止めた。それらのスタディモデルは、アルファロメオのスポーツクーペ、1900スーパースプリントをベースにしていたものの、視覚的にはこれまた別の世界から来た乗り物のようだった。この1953年製アルファBAT 5は、約0.2という素晴らしいCd値(空気抵抗係数)を持つ宇宙船だ。

アルファロメオBAT 7(1954)
翌年に発表されたさらなる改良を施されたBAT 7(1954)は、より滑らかなラインと、よりフラットなフロントとより大きなテールフィンを備えていた。

アルファロメオBAT 9(1955)
アルファロメオの未来的バットモービルは全部で3台。この最終モデル、BAT 9(1955)は、より落ち着いて上品なように見える。それにもかかわらず、このBATのデザインは、ヨーロッパのコンセプトカーとしては、これまででもっともロケットのようなデザインだった。

GMファイヤーバードIコンセプト(1954)
いやいや、これは飛行機ではない。コンセプトカーなのだ。車輪の付いたジェット戦闘機のように見えるが、GMの作ったコンセプト・モデルだ。そしてこれはアメリカ初のガスタービン駆動車でもあった。後に作られたポンティアック・ファイヤーバードは、名前だけが共通で、飛べない380psの「火の鳥」に過ぎなかった。GMデザインチーフ、ハーレー・J・アールによる作品であるこのファイヤーバードは、実際にレースもできる能力を有していたが、安全上の理由から、最大速度は制限されていた。

フォード・リンカーン・フューチュラ・コンセプト(1955)
巨大なフィン(ひれ)、プレクシグラスのツインドーム。フォード・リンカーン・フューチュラ・コンセプトだ。リンカーン・コンチネンタル・マークIIをベースにしており、実際に運転可能だったため、未来の車というよりもデザインスタディという側面のほうが強かった。デビューから11年後の1966年、フューチュラ・コンセプトは自動車デザイナーのジョージ・バリスの手に渡り、アメリカのテレビシリーズ「バットマン」の伝説的なバットモービルに改造された。そのフューチュラ・コンセプトは2013年まで彼が所有していた。

フォード・ラ・トスカ(1955)
火星探索用ロケットだ。このコンセプトを作るにあたって制約は一切なかった。ライトはリトラクタブル(格納式)だったし、ドーム(丸屋根)は新しいプレクシ(アクリル樹脂)グラスでできていた。ラ・トスカ・スタディ(ヴェルディのオペラにちなんで命名)は、半径1マイル以内であればリモートコントロールできた。

オールズモビル・ゴールデンロケット(1956)
宇宙時代の始まりとともに、このゴールデンロケットのように、コンセプトカーのシェイプはより劇的になっていった。そのボディスタイルは、とくにアメリカで広まった。実験部門は「ホイール上のロケット」を想定していた。

フォードX2000コンセプト(1957)
ひょえーーー。ウルトラ警備隊用車輛? 未来のクルマはレーダーを装備している。1950年代後半、フォードの開発者たちはそう考えた。彼らは将来の車のコンセプトとしてフォードX2000を考案し、2.5分の1のスケールで作成した。フロントグリルの楕円形のノーズは、フォード・エドセルから引用した。

クライスラー・ディアブロ・コンセプト(1957)
このなめらかでスマートなディアブロ・コンセプトは、イタリアのカロッツェリア、ギアによる作品で、鮮明かつ空力的にデザインされたXXLスポーツ・コンバーチブルであり、けっして非現実的なものではなかった。いつでも運転可能であっただけでなく、テストされ、量産の準備もほぼ整っていた。しかし、結果的に1台のみのままで終わった。そして幸いにしてこのコンセプトカーは現存する。そのオーナーは、厳選したクラシックカーミーティングで走らせている。

フォード・ニュークレオン(1958)
このモデルは、後部に備わった独自の小型原子炉のおかげで、わずらわしい燃料補給のための停止なしで8000km走行できる。アメリカで実際に原子力駆動車のモデルであるニュークレオンがお披露目された。気が狂ってるんじゃないかって? 当時は誰一人として、後年、チェルノブイリやフクシマのような悲劇が襲うなんて思っていなかった。

キャデラック・サイクロン(1959)
宇宙家族ロビンソン?(笑)。その名前は毒ガスを連想させ、そのデザインはロケットに似ている。サイクロンは、まるでゼネラルモーターズがNASAの10年前に月に着陸したかったように見えるコンセプトカーだ。自動車メーカーがこれほど楽観的に未来を見つめる事態は、その後二度と起こらない。そのデザインはあきらかに宇宙時代、宇宙旅行の影響を受けたものだ。
サイクロンは運転可能だったが、ショーカーと将来の研究としてのみ利用された。高性能の6.3リッターのV8を搭載していたが、なんといっても最大のハイライトは、後部からの追突を防ぐレーダーによる距離測定デバイスだった。レーダーアンテナは、2基の「ミサイルの先端」に配置されていた。そのテクノロジーが機能したかどうかは不明だ。

ファイヤーバードⅢ(1959)
なんかカッコいいなあ。ファイヤーバードⅢはジェット機により近い形に仕上げられているが、230hpのエンジンと、7つのウィングとフィン(ひれ)を備えるにもかかわらず、先代モデルのコンセプトに比べれば、かなり控えめなものだった。将来的研究テーマとして、ファイヤーバードⅢには4つのディスクブレーキと、(おそらく)ABS、クルーズコントロール、エアコンなど、多くの機能が搭載されていた。この「航空機」はジョイスティックで操縦された。

プリマスXNRコンセプト(1960)
テールフィンは1つだけで、とてもでかくて、センターから離れた場所に配置されている。プリマスXNRコンセプトはイタリアのカロッツェリア、ギアによるデザインだ。クルマの名前は、クライスラーのデザインチーフ、ヴァージル・エクスナーが、プリマス・バリアントのフレームの構造ネームから引用したものだ。200ps超のパワーと約250km/hというトップスピードで、XNRは浮かび上がるかのように加速した。

フォード・ジャイロン・コンセプト
冗談としか思えない(笑)。ジャイロン・コンセプトは、純粋にショーカーとして、のちの生産化計画なしでつくられ、1961年のデトロイト・モーターショーでセンセーションを巻き起こした。オートバイではなく、自動車だ。ジャイロンは、ジャイロスコープの車に未来の車を見出だしたアメリカの自動車デザイナー、アレックス・トレミュリスによってデザインされた。

シボレー・コルベット・マコシャーク(1961)
ビル・ミッチェル(写真)は、1958年からゼネラルモーターズのデザインヘッドを務めた。釣りをしているとき、彼はサメの形をしたスポーツカーを作るというアイデアを得た。その結果が、コルベット・マコシャーク(写真では水色のクルマ)だ。1961年、GMの重役たちは、コルベット第2世代(1963年から)のスタイリングを初めて目にしたのだった。

フォード・マスタングIコンセプト(1962)
これがマスタング? アメリカのティーンエイジャーたちはコンパクトなスポーツカーを求めて叫びをあげた。V4ミッドエンジンを搭載したルーフレスのマスタングIコンセプトは、オープンルマンレーサーのように見えた。しかしその後その名前だけが生産モデルに適用された。

フォード・シアトル-ite XXI
もう1台のショーのためだけに作られたロケット。シアトル-ite XXIは、1962年にシアトルで開催された万国博覧会のためのショーカーとして作成された。そしてそのネーミングの由来ともなった。特別な機能も備えていた。シアトル-iteには、4つの制御可能な前輪が備わっているが、ステアリングホイールは付いていない。ステアリングはタッチパッド式のもので、指をタッチするだけで操作する。トラベルプランナーを備えたオンボードコンピューターも備わっていた。駆動方式? もちろん、原子力だ。

フォード・アレグロ・コンセプト
1962年、フォードはマスタングの開発に熱中した。これがそのプロトタイプだ。内部的にはアヴァンティと呼ばれていたが、その後、スチュードベーカーがアヴァンティという名を付けたモデルをローンチしため、フォードはアレグロと改名した。この美しいプロポーションを備えたモデルが生産化されなかったのはとても残念だ。

フォード・マスタング・マッハI(1966)
高性能な遺伝子を得て、マスタングはポニーカーからマッスルカーへと急速に成長した。1966年、このマスタング・マッハIは、68年モデルのベースデザインとして登場した。この車がなぜこのまま生産モデルとならなかったのか理解できない。

トヨタEX-Iコンセプト
いよいよ日本車の登場! 1969年の2人乗りスポーツクーペ、EX-Iコンセプトは、東京モーターショーでトヨタによって発表された。技術的には、翌年登場したセリカに密に受け継がれた。量産化すれば、EX-Iは大成功したに違いない。

トヨタEX-IIコンセプト
同じく1969年の東京モーターショーで、トヨタはこの2人乗りの電動のシティカーコンセプトもEX-IIという名前で展示した。このコンセプトは現在の目でみてもモダンなルックスだが、量産には至らなかった。

ランチア・ストラトス・ゼロ(1970)
あの超有名なストラトス・ゼロだ。ベルトーネは、50年代と60年代、官能的な曲線のモデルから急進的なエッジのモデルまで、常に新しいスポーツカーデザインの先駆者であり続けた。ストラトス・ゼロは、未来的なドアエッジを備えた究極のコンセプトカーだ。ランボルギーニ・ミウラの生みの親、マルチェロ・ガンディーニによるデザインだ。

フェラーリ512 Sモデューロ(1970)
宇宙から舞い降りた円盤と宇宙人女性。ピニンファリーナは、超フラットな自動車リーグのリーダーだった。フェラーリ・モデューロは、V12エンジンも含め、512 Sレーシングカーのシャーシをベースに作られたコンセプトだ。ホイールの上のこのステルス戦闘機は実際にドライブも可能だった! ガラスドーム(丸屋根)全体が上昇して車内に入る仕組みだ。

BMWターボ(1972)
パゴダルーフを備えたW113型メルセデスや初代BMW6シリーズをデザインしたポール・ブラックは、古典的なデザインの生みの親ともいうべき伝説のデザイナーだ。そしてこのBMWターボこそ、BMW史上おそらくもっともホットなデザインスタディであったろう。BMWは1972年のオリンピックイヤーにこのコンセプトを発表し、自動車界に多大なるインパクトをもたらした。

NSUトラペーゼ(1973)
宇宙からの訪問車その2。6つのヘッドライトとヴァンケル製ロータリーエンジンを備えた、もはや存在しないブランドの車だ。NSUトラペーゼは、1973年、ベルトーネがデザインした珍妙かつユニークなクルマだ。

ボルボ・ツンドラ(1979)

はい、これはボルボです。ベルトーネがデザインしたボルボ・ツンドラだ。そしてベルトーネ・ツンドラとシトロエンBXが似ているのは偶然ではない。ボルボはツンドラを欲しなかったので、イタリア人は4ドアに修正し、フランスメーカーに売ったのだった。ミッドレンジのシトロエンは1982年に生産化された。