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パッシオーネの聖地 フェラーリの本拠地マラネロを訪れる

2020年4月13日

マラネロ 跳ね馬とパスタと牧師

“Passione(パッシオーネ)”はイタリア語で情熱を意味し、マラネロに住む人々が最も大切にしているものだと言われている。

訪問者への挨拶としての跳ね馬

イタリアの他の土地では、たいていの場合、看板で訪問者を歓迎する。いくつかの場所では、噴水もある。しかしマラネロは違う。そこを訪ねた者は、最初に跳ね馬を見ることになる。この高さ5メートルの馬は、環状道路からの入り口に据えられているのだ。
このアートはアルバニア人アーティストのヘリドン シンシャが800キログラムのステンレス鋼の破片をハンダ付けして作ったものだ。

これはこの街にふさわしい彫像といえよう。なぜならマラネロは “カヴァリーノ ランパンテ(跳ね馬)”の街だからだ。カヴァリーノ ランパンテは、第一次世界大戦中にイタリアの戦闘機パイロット、フランチェスコ バラッカの複葉機を飾った跳び馬だ。彼の母親は1923年に 彼女が慕っていたエンツォ フェラーリにカヴァリーノ ランパンテを遺贈したのだった。

エンツォがまだアルファロメオを運転し、モデナで自分の車のスタイリングを手掛けていた頃、彼はカヴァリーノ ランパンテを自分のスクーデリア(レーシングチーム)のロゴにすると宣言した。フェラーリがマラネロのアベトーネ通りに土地を購入したのは1943年のことだった。当時、マラネロがツッフェンハウゼンやヴォルフスブルクよりも有名な土地になろうとは誰も思っていなかった。

今日でも、人口がたったの15,000人のこの町がなぜ特別なものになるのか、一般人には一見しただけではわからないだろう。モデナボローニャ高速道路から西へわずか10kmのところにあるマラネロは、なだらかな丘陵地帯の端に隠れてた街だ。

この街こそ世界一有名なスポーツメーカー、フェラーリの本拠地なのだ。この町で特徴的な建築物は、スター建築家レンツォ ピアノが設計した風洞や、工場の博物館であるガレリア フェラーリなど、フェラーリに関連したものばかりだ。それ以外は、機能的な建築が支配している。ルネッサンス期の建物は、イタリアの他のほとんどの場所とは異なり、あまり見つけることができない。

通りはファクトリードライバーたちに捧げられている

この街のどの角を曲がってもフェラーリへのオマージュ(敬意)がある。ロレンツォ バンディーニ、ルイージ ムッソ、ピエロ タルッフィなど、多くの元ファクトリードライバーたちに捧げる名前のついた通りがあるからだ。ヴィルヌーヴ通りには、伝説のカナダ人ドライバーの記念碑もある。他の地域では緑地に植木鉢が飾られていることもあるが、マラネロではフェラーリ360のフロントエンドが、道端の縁取りに組み込まれていることもある。

しかし、本当のところどうやらこの地域を特別なものにしているのは、人々のおかげらしい。少なくともドン アルベルト ベルナルドーニはそう考えている。なぜなら、ミラノ出身の彼は、1997年からマラネロで牧師をしているからだ。彼によれば、”パッシオーネ”は彼の教会に来る信者たちの最大の特徴であり、それは何年たっても変わらないという。

約200年前のように、彼らは湿地帯を排水し、大規模な農業地を開拓したように。また、その後、今日、世界中の人々が羨望のまなざしで眺めている最高峰のスポーツカーを生み出したときのように。例えば、甘酸っぱいバルサミコビネガー、甘くスパークリングしたランブルスコ、あるいは心のこもったクランブルチーズなど。ベルナルドーニいわく、「ここの人々は、ただ何かをするのではなく、情熱を持ってそれらをおこなっています」、とのこと。

ボローニャのドゥカティ、サンタアガタのランボルギーニ、モデナのマセラティなど、マラネロを中心に半径50km圏内にイタリアで最も優れたガソリン車の聖地が3つあるのも偶然ではないだろう。そしてエンツォ フェラーリの死(1988年)後、ブランドを復活させた男、元フェラーリのボス、ルカ ディ モンテゼモーロの生誕地もボローニャにある。

珍味への情熱

したがって、モデナ周辺に自動車高級品メーカーが集中しているのは、偶然ではなく、むしろ精神的な要因であることもわかる。そして、これほど情熱的に仕事をしている人々は、もちろん食事もしっかりとしていなければならない。例えば、工場の旧正門の向かいにある有名なレストラン、「カヴァリーノ」では、ランチタイムになると幹部たちが食事をしにやってくる。

あるいは、町の入り口、テストコースのすぐ隣にある「ラ モンタナ」もある。ロゼッラとマウリツィオ パオルッチの営むリストランテは、その栄養価の高い料理だけでなく、世界的にカルトな人気を誇っている。エリック クラプトンからエロス ラマゾッティ、元フェラーリデザイナーのジョン バーナードから元F1チームボス、ジャン トッドまで、壁には額装された記念品のギャラリーが広がっている。ファクトリードライバーたちのオリジナルのオーバーオールやヘルメットがディスプレイケースを埋め尽くし、フェラーリの従業員やレーサーや世界中から集まったファンなどが一堂に会し、食事を楽しんでいる。

「ラ モンタナ」の常連客であり、名誉あるスペシャルゲストは、マンマロゼッラが”メイケル(Meikel)”の愛称で呼んでいたミハエル シューマッハだった。マンマは若くしてベネトンのドライバーになったころから、未来のチャンピオンを心の中で受け止め、母性的な情熱を持って彼のためにタリアテッレを料理していた。そして”メイケル”はロゼッラにポールポジションを与えることで恩返しをしていたのだ。

一方、夫のマウリツィオもまた、自由時間にはフェラーリと情熱的に接している。彼のガレージにはF360チャレンジがあり、それを駆って時々、市庁舎前広場にあるネロのバーへとドライブに出かける。この店の名物料理、6,5ユーロ(約800円)の「シューマッケローニ」がお目当てだ(笑)。

現在でも、フェラーリの製造には数え切れないほどの工程があり、例えばレザーの張り地は一枚一枚が個性的だ。相変わらず絵のように美しい。この作業ももちろん、パッシオーネにあふれている。今まさに真っ赤なレザーにはさみが入れられ、内装に生まれ変わろうとしているところ。向こう側の作業台さえ、深紅なのは、ここがマラネロだからである。

Text: autobild.de
Photo: AUTO BILD