モーターレースを語らずにメルセデス・ベンツの歴史を語ることは不可能!(前編)
2021年10月14日
メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリー
1894年 世界初のパリ~ルーアン間レースでダイムラー・エンジン車1~4位を独占
パリ~ルーアン間の126kmを走る世界初の自動車レースで、ダイムラー社製V型2気筒ガソリンエンジンを搭載したプジョーとパナール・ルヴァソールが1~4位を独占。当時、蒸気自動車や電気自動車が多数参加したが、ガソリン自動車の優秀性と可能性が高く評価された。ゴールインしたガソリン自動車は10台のうち9台がダイムラー社製のエンジンで、1台がベンツ社製のエンジン(5位)。ガソリン自動車は確かにドイツ人が発明したが、それを積極的に使ってモータリーゼーションの発展に意欲を示したのはフランス人で、翌1895年、世界初のフランス自動車クラブが誕生した。
1901年 最初のメルセデス35PS
ダイムラー社のパウル・ダイムラー(ゴットリーブ・ダイムラーの長男)が天才技術者ヴィルヘルム・マイバッハの協力を得て、またエミール・イエリネックの経済援助に支えられて完成した最初のメルセデス35PS。改良につぐ改良を重ね、スタイリイグや機構も「馬なし馬車」から脱皮したダイムラー社初の本格的な自動車、メルセデスの名を持つレーシングカーが誕生。ウィーク・オブ・ニースに初登場しヴィルヘルム・ヴェルナーのドライビングで初優勝。このレースでメルセデス車はデビューと同時に一大センセーションを巻き起こした。1902年、メルセデスはダイムラー製品の特許として登録。
1911年 ブリッツェン・ベンツ
ブリッツェン・ベンツのブリッツェン(Blitzen)とはドイツ語で「稲妻」の意味。1911年、デイトナビーチでボブ・バーマンが時速228.1kmの世界記録を樹立。この世界記録は1919年まで破られなかった。 21.5L、OHV、200PSという当時としては凄いエンジンを搭載、しかもスマートでエアロダイナミックスなボディはホイールカバーが取り付けられ、空気抵抗の低減に寄与していた。
1914年 メルセデス115PS
1914年、排気量は最大4.5L、重量は1100kg以下の新フォーミュラ(規定)が制定され、静まり返っていたメルセデス台風が吹き荒れ、メルセデスチームが初めて組織的に行ったレースフランスGPでは1・2・3位を独占。V型ラジエーターが特徴で、エンジンは自社の航空機エンジンの実績を生かしSOHC、4.5L、4気筒4バルブと半球状燃焼室を持ち115PSを発揮。又、1922年のタルガ・フローリオでも1・2位を独占し、「タルガ・フローリオ」のニックネームで親しまれた。
1923年 ベンツのトロッペフェン・ヴァーゲン
ベンツのトロッペフェン・ヴァーゲン(Tropfenwagen)はドイツ語で水滴型の車。航空機からの発想であるエアロダイナミックスの概念を取り入れた流線型のボディと世界初の4輪独立懸架サスペンション、そしてミッドシップ・レイアウトを融合した画期的なレーシングカー。DOHC、2L、6気筒80PSエンジンを現在のF1カーと同じミッドシップに搭載。路面をしっかり捕らえる独立懸架と優れた前後重量バランスをもたらすミッドシップの採用は当然の結果。
1927年 メルセデス・ベンツS
有名なフェルディナンド・ポルシェ博士が率いた時代のメルセデス・ベンツが放ったハイライトがこのSシリーズ(S、SS、SSK、SSKL)。1927年、特にレーシングバージョンのSはニュルブルクリンクのオープニングレースにおいて名手ルドルフ・カラッチオラのドライブで平均101km/hで優勝。次いでスポーツカーで行われたドイツGPでも1~3位までSが独占した。1931年4月には、SSKLを駆ってイタリアのミレ・ミリアで優勝したルドルフ・カラッチオラは外国人ドライバーとして初めてこのミレ・ミリアを制した。
レースは増々ヨーロッパ自動車業界の主役となり、メーカーはレースに出場する事で技術促進とPRを兼ねた技術の死闘を繰り広げた。
Photo:ダイムラーAG、メルセデス・ベンツミュージアム、妻谷コレクション
Text:妻谷裕二
【筆者の紹介】
妻谷裕二(Hiroji Tsumatani)
1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味はクラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。