AUTO BILD KLASSIK編集部が選ぶ50台の最も美しいクラシックカー 後編

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プジョー205GTI: 80年代の最高のGTIだった。ソショーからやってきたこのクラスのリーダーは、奇数のカントリーロードで皆を圧倒し、テスターたちは「最も本物のGTI」と呼んだ。
速くなった「205GTI」は、「ゴルフ1 GTI」を一世一代の「ホットハッチ」の夢の車としたヴォルフスブルクのメーカーにとっては不名誉なこととなった。「ジョー205GTI 1.9」は、128馬力が880kgと出会い、当時のコンパクトスポーツカーの中で最高のハンドリングを実現した。
大林晃平: このクルマからプジョーの歴史が大きく変わったといえる「205」。その中でも、「GTI」こそは特別な存在だった。コンパクトハッチバックというのはこういうクルマのためにある言葉で、「205」と比較すると今のハッチバック(特にゴルフやポロなど)は豪華絢爛なハイテクスポーツハッチバックである。
なお当時に乗り比べた人によれば、「後期モデルの1.9よりもデビュー当初の1.6のほうがパワーはないが、ハンドリングはよりファンだった」そうだ。今となっては比較のしようなどないが、とにかく初期モデルのほうがよりダイレクトでピュアなセッティングらしい。個人的には日本にも正規輸入されていた4ドアのディーゼルエンジンモデルが好きだったが、もう「GTI」もディーゼルも街ではすっかり見かけなくなってしまったのが、なんとも寂しい。
Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD

タッカー48: 当時、アメリカの自動車界における創意工夫の頂点を示していた。革新的な車やクレイジーなデザイナーが好きな人なら、サイクロペアンのような目をしたタッカー トルピード(パイロットシリーズではこの車はこう呼ばれていた)が好きになるだろう。
1940年代後半、実業家のプレストン タッカーは、明日の車を作ろうとしたが、手作業で51台の車を作っただけで大失敗した。
大林晃平: 映画にもなったタッカーは、ステアリングに連動して進行方向を照らすフロント中央のライトや、安全性に腐心し他車に先駆けて採用したシートベルトなど、かなり先進的な内容であった。残念ながらたった51台で生産中止を余儀なくされてしまうが、その背景や運命は映画で観ることができる。なお映画化の際にはアメリカ本土を中心に47台ものタッカーが集められ、大規模な撮影を挙行された。そんな大規模で破天荒なロケを敢行した監督は、「ゴッドファーザー」で有名なフランシス コッポラである。51台のうちの1台が、トヨタ博物館に所蔵されている。
Photo: Michael Specht / AUTO BILD

サーブ99ターボ: ミッドサイズ・クラスにターボをもたらしたスウェーデン人。最高級の6気筒モデルを製造するために高価な投資をする代わりに、慢性的な資金不足に陥っていたブランドは、99にターボチャージャーを搭載した。
1977年、トロールヘッタンの最もスポーティなモデルは、「サーブ ターボ」としてフランクフルトモーターショーに登場した。合金ホイール、ローダウン、スポイラーカラー、ダッシュボード上のブースト圧表示を備えていた。
大林晃平: 日本でも一時期不思議なほどの人気を博したサーブ、その中でもこの「99」と「900」はベストセラーモデルであった。ほっこりとしたシートヒーターを備えたシート、シフトノブのうしろに装備されたキーシリンダー、大きく開くサンルーフ(まだ手動だった)などなど、特徴は多かったが、ターボエンジンモデルであっても本質的には牧歌的で優しい人肌のぬくもりの自動車である。なおサーブの生まれ故郷はトロールへッタン、ボルボはイエーテボリ、とどちらも特徴的で覚えやすいものなので、ぜひしっかり頭に入れておいて何らかの時には使ってみましょう。
Photo: Goetz von Sternenfels / AUTO BILD

アウトウニオン タイプC: 風雨との戦いには限界があった。30年代には、銀色のアウトウニオンとメルセデスのストリームラインレーサーが、記録から記録へと駆け抜けていった。スポンサーはナチスである。
1938年1月、スタードライバーであるベルント ローズマイヤーが風に襲われ、悲劇的な結末を迎えた。アウトウニオンは時速440kmで何度も横転し、ローズマイヤーは死亡したのである。
大林晃平: ナチスの勅令で速度への記録を挑戦し続けたアウトウニオン。エンジンはV型16気筒で、ドイツ航空宇宙センターで空力実験された結果、この写真のようなボディをまとうことになった。コックピットも中央だが燃料タンクも中央に設置されているが、これはもちろん超高速時の重量バランスを少しでも整えるためである。なお、この写真の「タイプC」は、2000年にアウディがあらためて作り直したレプリカモデルで、世界を転々として展示されていた。
Photo: Werk

ルノー エスパス: 現代のヨーロッパ初のコンパクトバンであり、唯一のプラスチックボディを持つバンでもある。エスパスを実際に発明したマトラ社は、その経験をすべて生かした。フランス製の7人乗りは、家族のスペーストラベルを変え、バスであると同時にステーションワゴンでもあり、可変シートやバジリカのような空間感覚など、それ以上のものでもあった。
大林晃平: 今ではミニバン(とSUV)天国のような世の中になっているが、この「エスパス」が登場したころは革命的な一台であった。それまでのバンの派生ではなく、物スペースのユーティリティーカーという新しいジャンルとなり、トヨタの「エスティマ」にも多大な影響を及ぼしたといえる。マトラ製造というのもエンスージャストにとってはポイントが高い部分だが、日本でも数台が並行輸入され、自動車に興味を持つ愛好家に珍重され、デザイナーの由良卓也氏も持っていたほど、デザインも優れていた。
Photo: Werk

メッサーシュミットTg500: 正式なナンバープレートを持つドラッグである。実は、このキャビンスクーターの中のロータスは、タイガーと呼ばれる予定だったが、すでに商標登録されていた。19.5馬力のスクーターは疲れたムツゴロウのようだったが、360キロの車体はグレイハウンドのように疾走した。しかし、価格はVWと同じくらいで、失敗作となった。わずか290台しか生産されなかった。今となっては貴重な存在である。
大林晃平: 本当にキュートで楽しい自動車は何か?と聞かれたら僕ならばこの「メッサーシュミット」とか「イソ イセッタ」のような自動車の名前を即座に挙げたい。信頼性、メンテナンス、安全性といった部分に関しては現代の観点から考えれば問題点も多いかもしれないが、なにものにも似ていない(メッサーシュミットは「ハゼ」に似ているとは昔から思っているが)、なんとも魅力的な形ではないか。こんなクルマに乗せてもらえるとしたら、どんなに高性能なハイエンドスーパースポーツに乗るよりも、どんなに高価なリムジンに乗せてもらうよりも、僕はずっと嬉しいし、一生の思い出にすると思う。
Photo: Werk

フォード マスタング: 「ルート66」にまつわる幻想の生みの親だ。少なくとも、アメリカのカーシーンの新参者にとっては。マスタングは常にポップで、決してアバンギャルドではなかった。しかし、ポニーのステアリングを握ったスティーブ マックイーンのような気分になれば、そんなことは問題ではない。
大林晃平: カウボーイ姿の2人が両側に立っていても、まったく違和感がないこの写真、さすがは、ポニーカー。アメリカ車の中でも「マスタング」はやはり特別な意味を持つ。その証拠に映画にもスティーブマックイーンの「ブリッド」をはじめ、「ジョンウイック」、「60セカンズ」、「007ダイヤモンドは永遠に」などなど数多く出演し、大切な役を演じてきた。そんな「マスタング」なのに、最新モデルではEV、しかもSUV(!)になってしまうとは。なんとも諸行無常なことである。
Photo: Goetz von Sternenfels / AUTO BILD

タトラ87: このボディに搭載されたリアの空冷V8はまさに圧巻。新帝国の高速道路用に設計された流線型のタトラは、当時最高速度160km/hを記録した。
デザイナーのハンス レドヴィンカはフェルディナンド ポルシェの友人であり、ビートルの形がポルシェに似ているのは偶然ではない。確かに危険な走りをしたが、それにしても愛すべき車だった。
大林晃平: タトラの名前は、ハンス レドヴィンカというやや難しいが意外と覚えやすいデザイナーの名前とセットで覚えておくと、「自動車くちプロレス」の時に威力を発揮するといえる。そしてタトラが生まれた背景をちょろっと知っておくとさらに無敵だ。おまけの情報としては、チェコスロヴァキアにある「タトラ山脈」から名前が付けられたとか、本来は三菱ふそうのような「大型トラック」のメーカーであり、その後には共産国圏の路面電車も作っていた、というところまで覚えておけば満点。蛇足ながら自動車の解説も付け加えておけば空冷エンジンです。
Photo: Werk

パナール ダイナZ(Panhard Dyna Z): 「DS」の2年前に地球に降り立ったデス スペースシップ。アルミボディ、660キロ、リッターあたり15.3kmの燃料消費量、130km/hの連続速度。「ダイナZ」は、レーシングカーの効率性とセダンの快適性を併せ持ち、6人乗りであった。
テクノファンのフランス人はこの車に憧れたが、その数は少なかった。アウディは50年後に同じことを試みたが、「A2」でも、時代には早すぎた。
大林晃平: パナールの空気レンズという都市伝説がある。この話を知っているか否かで、エンスーかどうかを判別されてしまう、という有名な話だが、あなたは知っているか?
それはなんでもパナールのヘッドライトのレンズのカーブは逆にへこんでいて(つまり凹になっているということ)、高速で走るとそこに空気の渦が自然発生し、より遠くまで投射することができるんじゃ、わっはっは。というものだ。「そんなこと現実的にはそんなことありえませんよ」と一流メーカーに勤務するエンジニアは一蹴したが、ウィキペディアもGoogleもない当時は、こういう楽しい話題も都市伝説も生まれる良き時代であった、ということに僕は魅力を感じるのである。
Photo: Getty Images

Photo: dpa

ブガッティ ロワイヤル: 良いものを超えて、絶対的なものが存在することを示した1台だ。1926年、皇帝や王のためのスーパーカーはロワイヤルと呼ばれ、それまでのどの車よりもパワフルで、高級感があり、6.5メートルの車輪を持つ最高級の車だった(13リッター直列8気筒、300馬力!)。
6台製造されたブガッティ・ロワイヤルはすべて現存している。もし手放すオーナーがいるとすれば、約2,000万ユーロの支払い義務がある。
大林晃平: 著しく乗る場所と乗る人を限定する自動車というのはこういうものだ! 今後ブガッティがどれほどのスーパースポーツカーを発表し、何十億円で販売しようが、この「ロワイヤル」の隣に並べてしまえば、ただの子どもの足こぎ自動車ほどの存在感だろう。それほどにこの時代のブガッティは特別な存在だった、というよりも空前絶後の自動車を生み出していた。この「ロワイヤル」しかり、「アトランティック」しかり。もはや自動車というよりもルーブル美術館に所蔵される美術品とか、イタリアの遺跡群のようなもの。一般人はそっと見せていただくだけでありがたい、と思うべきだ。
Photo: Bernard Canonne

日産スカイラインGT-R: それはジャパニーズユーモア(日本人的洒落)だ。日産は「GT-R R32」の最高出力を280馬力としているが、実際の出力はその2倍はあるだろう。それも道路上で、絶妙なバランスで。
「R32」で買い物をする人もいるが、帰りにはポルシェのドライバーのエゴを打ち砕くことも。
大林晃平: この「R32スカイラインGT-R」が生まれた1989年は、日本車のヴィンテージイヤーと呼ばれている。「レクサスLS400」、「ユーノスロードスター」、そしてこの「R32」。今でもそれらは世界的に高い評価を得ているし、不思議なことに30年を経過しても、まったく古臭く見えない。
そんな中でもこのR32型「スカイラインGT-R」は、世界に「日本車が高性能舞台へデビューする」といった狼煙を高々と掲げた一台といえる。直列6気筒エンジンツインターボと日産ご自慢の4駆動「アテーサ」、四輪操舵システム「ハイキャス」と組み合わされ、当時アウトバーンを舞台に行われたジャーナリスト向け大試乗会では、「ポルシェを追い回す初の日本車登場」のようなインプレッションをドキドキしながら読まれた方も多いだろう。世界を舞台に「GT-R」が初めてスーパースポーツカーと認められたのは、この「R32」からである。
Photo: Werk

VWゴルフ: それは、私たちのクラシックなラインナップの最後の車だ。私たちを現代に飛躍させた最高級の一台。1974年、ゴルフはビートルを継承し、ドイツ車史上最も過激なモデルチェンジを行った。リアのボクサーエンジンに代わって、フロントに直列エンジンを搭載し、プラットフォームフレームに乗った40年代の丸い流線型の家に代わって、ジウジアーロがデザインした自立型のハッチバックボディ、さらに水冷と前輪駆動を採用した。そしてゴルフはすぐにドイツのナンバーワンカーにのし上がった。そして、私たちの心の中に永遠の地位を得たのだった。
大林晃平: 「フォルクスワーゲン ゴルフ」がなければ今の世の中にFF2ボックスカーというものが、これだけ普及しなかったのではないかと思う。そして、「フォルクスワーゲン ゴルフ」がなければ今のフォルクスワーゲングループ自体もないだろう。「ビートル」以降、いつの時代もフォルクスワーゲンと言えば「ゴルフ」。他の車種は全部「ゴルフ」を中心に回っている衛星みたいなものであり、言い方を変えればすべて「ゴルフ」の派生車種である。看板商品のカレーだけが売れる老舗の洋食屋。ハンバーグもシチューもコロッケも美味しいのに、あまり選んでくれないもどかしさ…、それこそが、永遠にフォルクスワーゲンを悩ませる命題であるともいえよう。
Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD

Text: Lukas Hambrecht, Matthias Brügge
Photo: Lena Barthelmeß

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