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日産 R35 GT-Rが18年の栄光に幕 ― サーキットに刻まれた足跡

2025年8月30日

2025年8月26日、栃木工場。ラインオフセレモニーで静かに姿を現した1台のGT-R。それは「Premium edition T-Spec」、ボディカラーは象徴的な“ミッドナイトパープル”。この瞬間、2007年から続いたR35 GT-Rの18年間の生産がついに幕を閉じた。

累計約48,000台。数字以上の意味を持つその存在は、市販スポーツカーでありながら、世界のサーキットで戦い続けた“挑戦者”だった。

GTとRの融合が生んだ革新

「誰でも、どこでも、どんな時でもスーパーカーを楽しめる」――R35の開発コンセプトは従来の常識を打ち破るものだった。ニュルブルクリンクでの圧倒的な速さ、雨や雪でもドライバーを楽しませる安定性、市街地では快適にクルーズする懐の深さ。グランドツアラーとレーシングカーの要素を併せ持つ稀有な存在として、新しいカテゴリーを築き上げた。

GT-RのV型6気筒ツインターボエンジン「VR38DETT型」は480馬力から600馬力へと性能を上げていった。

心臓部である「VR38DETT」は横浜工場の“匠”9人がすべて手組みで製造。精密に組まれたV6ツインターボは、耐久レースを想定した剛性と出力を兼ね備え、公道でもサーキットでも同じ顔を見せた。

年次改良で進化し続けた18年

R35は通常のモデルチェンジの概念に縛られなかった。発売当初は480ps。そこから改良を重ね、2017年以降は570ps、そしてNISMO仕様では600psに到達。GT3マシンと同規格のターボチャージャー、軽量バランス取りされたクランクシャフトやコンロッドが採用され、市販車でありながらレーシングユニットに限りなく近づいていった。結果、年を重ねるごとにスペックは向上。18年間で衰えるどころか、むしろ“熟成”を遂げた稀有なスーパーカーだった。

GT-Rの真価は、サーキットで証明された。

サーキットで刻んだ記録。
SUPER GT:GT500クラスで5勝、GT300クラスで3勝。
ブランパンGTシリーズ:2013年 Pro-Amクラス優勝。
バサースト12時間:2015年、強豪を押しのけ優勝。
スーパー耐久:5度の総合優勝を獲得。

国内だけでなく海外のレースシーンにも「GT-R」の名を輝かせた。

ニュルブルクリンクでは、2007年に7分38秒。翌2008年には7分29秒で“7分半の壁”を突破し、その後も記録を短縮。2013年にはGT-R NISMOで7分08秒679を叩き出し、量産車の常識を覆した。

国内でも筑波サーキットで59秒078を記録。さらに2016年には、特別チューンのR35が時速304.96km/hでドリフト走行し、ギネス世界記録に認定された。サーキット、ストリート、そしてギネスの舞台でも、常に「限界」を更新し続けたのがR35だった。

エスピノーサCEOの言葉と未来への布石

セレモニーで日産CEOイヴァン エスピノーサはこう語った。
「これは永遠の別れではありません。GT-Rは必ず戻ってきます。」

GT-Rの生産が行われていた栃木工場でR35 GT-R 最終生産車のラインオフ式が行われた。

GT-Rの名は、ただの車名ではなく“称号”だ。R35が築いた膨大な知見は次世代GT-Rの礎となり、新たな基準を生み出すだろう。

伝説の終焉と始まり

18年間にわたり、市販車でありながらサーキットの覇者であり続けた「日産 R35 GT-R」。その存在は、世界のモータースポーツファンに“日本のスーパーカー”の意義を改めて示した。

今、R35は歴史となった。しかしその魂は受け継がれ、次のGT-Rに結晶する。ファンが望むのはただ一つ――新しい伝説が、再びサーキットのアスファルトを切り裂く日だ。

Text:アウトビルトジャパン
Photo:日産自動車