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自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅 その16 フェラーリの名車たち

2025年7月30日

7日目 2月23日(パート1)

ドイツ車には白かシルバーのボディカラーがよく似合う。私たちはこの国の4大自動車メーカーが運営するミュージアムで白とシルバーの世界を堪能した。旅の最終日に当たり、随行ナビゲーターのアレックスは格別のプレゼントを用意してくれていた。ドイツに限らず広くヨーロッパ各国の名車や希少車を収集したミュージアム、ナショナレス アウト ムゼウム「ザ ロー コレクション」(Nationales Auto Museum – The Loh Collection)である。そこにはレッド、ブラック、グリーンなど様々なカラーを纏った展示車が私たちを待っていた。

フランクフルトを出発したバスは100km余り北上したディーツヘルツァル エヴェルスバッハ(Dietzhölztal-Ewersbach)という小さな町に到着した。日曜日とあって通りには人影一つない。商店もすべて閉まっており、本当に人が住んでいるのだろうかと思うほど町全体が静まりかえっている。小さな角を右折すると突然、超モダンな建物が現れた。今日の目的地ロー コレクションだ。予定よりだいぶ早く着いてしまったとのことで、駐車場のゲートが閉まっていたが、アレックスがすかさず電話で連絡。ほどなく係員が足早に現れて、ゲートを開けてくれた。

ロー コレクションは起業家として成功したフリードヘルム ロー(Friedhelm Loh)という個人が所有・運営するミュージアム。1908年以降、産業用の大型ボイラーを製造していた工場建屋を、ローが2015年に敷地ごと取得、ミュージアムに建て替えて2023年オープンした。建て替え作業に当たっては、現代の建物と融合させつつ、古い工場の歴史的な痕跡を可能な限り残したという。冒頭に掲げた写真に見るように、見上げるほど高く、明かり取りが一面に設けられた天井が往時の姿を留めている。展示スペースは延べ7500平方m、常設展示車は130台。

ロー コレクションはローの個人的な興味から蒐集した自動車を展示する場で、ヴィンテージカーから現代のレーシングカーまで、その守備範囲は多岐にわたる。1台を1つのボックスに収めたショーケース的ディスプレイや、館内の随所に見られるアールデコ調の装飾などにオーナーの趣味が表れている。その中から本稿では、とりわけ興味深いモデルを私の調べがついた範囲内でアトランダムに選んで紹介しようと思う。

1台を1つのボックスに収めたショーケース的ディスプレイ。
館内にはアールデコ調の飾り文字で「CAPITOL」と名づけられた客席数、約50席の映画館も備わる。
もっとも古い展示品がこの1895年製ベンツ ヴィクトリア。

ロー コレクションの中でもっとも古いのが1895年製ベンツ ヴィクトリア。1893年から1900年にかけて製造されたベンツ最初の四輪車だ。単気筒エンジンにはいくつか異なる排気量があったが、ここでは2920ccで5hp/700rpmという代表的な数値を掲げる。この旅行記の「その2」で紹介した1886年の三輪車ベンツ パテント モートル ヴァーゲンと比べると、わずか9年の間に自動車が飛躍的進歩を遂げたことがわかる。ホイールは木製だし、半楕円リーフスプリングによるサスペンションまで備わっている。

1906年製ローナー消防自動車。

ポルシェミュージアムではインホイールモーターしか紹介できなかったローナー電気自動車、それも消防自動車にここでお目にかかれるとは思ってもいなかった。フェルディナント ポルシェ博士が開発した純電動モーター駆動で、後にハイブリッドに改造されたという。

図らずも地元ドイツ車2台からスタートしたが、ロー コレクションで注目なのは、ほかにも沢山ある。まずはマッキナ ロッサ、とりわけフェラーリ。そのF1マシンから紹介しよう。

1964年フェラーリ 1512。今まさにトランスポーターから降ろされて、プラクティスに臨もうとしているシーンを再現している。全長×全幅×全高:3950×1697×768mm。ホイールベース:2400mm。乾燥重量:470kg。

フェラーリ 1512はフェラーリが1964年のF1世界選手権に投入したマシンF158の強化派生型。マシン名「1512」は1.5リッター12気筒エンジンを表す。主任設計者マウロ フォルギエーリは、ベースになったF158にはV8を選んだのに対し、1512にはバンク角180度のV12ティーポ207ユニットを採用した。56.0×50.4 mmのボアストロークから得た排気量はレギュレーション一杯の1489.63 cc。217hp/12000rpmの最高出力を絞り出す。このパワーユニットは、ホンダ RA271に搭載されたV12に次いで、2番目にパワフルな1.5リッターF1エンジンだと言われる。1512は1964年のUS GPより実戦投入された。以降スクーデリアは1964年から1965年にかけて、ツイスティなコースではF158を、スパやモンツァなどの高速コースでは1512を使い分けた。

フェラーリ 312B3-74。全長×全幅×全高:4380×2085×1290 mm。ホイールベース:2507 mm。乾燥重量:582 kg。

フェラーリ 312B3-74は、スクーデリア フェラーリが1970年から1975年までF1世界選手権に投入したF1マシン「フェラーリ 312 B」の最終型で、1974年シーズンを戦ったマシン。前年1973年はスクーデリアにとって惨敗のシーズンだった。312 B3を走らせて全15戦で獲得したポイントはわずか12、コンストラクターランキングで6位に沈み込んだのだ。

エンツォは事態を改善するためチーム監督にルカ ディ モンテゼーモロを就任させ、一度は主任設計者の立場から外したマウロ フォルギエーリを召還した。「こんなマシン(312 B3)しかないのなら、いっそレースになど出ない方がマシだ」。こう言いきったディ モンテゼーモロの強力なリーダーシップのもと、フェラーリはスポーツカーレース活動を一時休止して、1974年のF1シーズンに全力を注入することとなる。

フォルギエーリは312 B3の徹底的な改良に取り組み、フルモノコックからフェラーリ本来の鋼管スペースフレームとアルミパネルで構成されるセミモノコックに戻し、重量配分を改善した。エンジンでは信頼性の強化が最重要課題だった。どんなに速くても最後まで走らなければレースには勝てない。バンク角180度のV12ユニットは80×49.6mmのボアストロークから2991.80ccの排気量を得て、最高出力490hp/12500rpmを生み出した。かくして312Bシリーズの最終型312 B3-74が誕生した。

ドライバーはクレイ レガツォーニと新進ニキ ラウダの布陣。312 B3-74はよく期待に応えた。ラウダは4戦目のスペインGPで優勝、スクーデリアに2年ぶりの勝利をもたらし、9度のポールポジションを獲得した。しかし本当の意味でチームに貢献したのはレガツォーニだった。全15選を通じて手堅くポイントを重ね、シリーズチャンピオンのエマーソン フィッティパルディの55点に肉迫する52点を獲得、ドライバーズランキング2位に着けた。312 B3-74はスクーデリアに上昇の機運をもたらす役割を果たし、翌シーズンより新型312 Tに主役の座を委ねた。

1973年F1世界選手権の主力マシン、フェラーリ312 B3のエンジン。

つづいてロー コレクションに展示されていたフェラーリF1のエンジンの中から2つ紹介する。上の写真は1993年の主力マシン、フェラーリ312 B3に搭載されたバンク角180度のV12ユニット。

フェラーリ312 Bの「B」はボクサー、つまり水平対向エンジンの頭文字だと言われるが、これがしばしば誤解を招く温床となった。実際のところ、312 Bに搭載された12気筒エンジンでは、一対の向かい合うピストンとコンロッドは共通のクランクピンに繋がっている。つまり右バンクのピストンがクランクに押されて上死点に向かうとき、左バンクは同じクランクに引っ張られて下死点に向かう。従って、構造的にこのエンジンはバンク角を180度に拡げたV型エンジンなのである。フォルギエーリは、水平対向エンジンと比べるとクランクケース内の空気膨張が左右で相殺されるので高回転が得やすく、なおかつ重心を低くできる180度V12を選んだのだと思われる。73年の312 B3に搭載されたV12の排気量は2991cc、最高出力は485hp/12500 rpmだった。

こちらは同2000年の主力マシンF1-2000に搭載されたV10ユニット。

1973年の312 B3ユニットでは、空気を吸い込んでガソリンと混ぜ、燃焼、排出する内燃機関の構造が外からもよくわかったのに対して、27年後のF1エンジンは外観からしてずいぶん異なる。F1-2000に搭載されたティーポ049ユニットは、バンク角90度のV型10気筒。96.0×41.4 mmのボアストロークから得た排気量は2996.62cc。最高出力は805hp/17300rpmだった。

前年1999年シーズンのマシンF399が搭載していたエンジン、ティーポ048は同じV10だったがバンク角が80度だった。ティーポ049では重心を低める目的からバンク角を90度に拡げている。同時にシリンダー配置を見直して全長の短縮を図り、さらにエンジンとトランスミッションの油圧回路を統一することで単体重量の低減にも成功したと言われる。