【日本の名車試乗レポート】トヨタ セリカのことをほとんど誰も知らなかった?興味を示さなかった?しかし我々は今やセリカに心を奪われている!
2025年8月5日

トヨタ セリカ タイプTA22(1973):なぜトヨタ セリカは単なる代替車を超えた存在だったのか。私たちはいつもマンタ、カプリ、シロッコに目を奪われていたのでセリカのことはほとんど誰も知らなかったが、今やセリカに心を奪われている。
最も重要な点を最初に明確にしておこう。それは「DER(ドイツ語で男性の定冠詞)」ではなく「DIE(ドイツ語で女性の定冠詞)」だ。我々は「DER」ではなく「DIE Celica(Miss Celica)」と呼ぶ。この夢は女性的なものだ。「ジュリア」、「コルベット」、「DS」、「エリーゼ」、そして「アルピーヌ」と同じように。そう、つまり、「セリカ」は「DIE」なのだ。
1970年秋、小さなスポーツクーペの歴史が日本で始まった当時、トヨタはドイツ市場にはまだ参入していなかった。1963年からデンマーク、スウェーデン、イギリス、ポルトガル、スイス、オランダではトヨタの車が販売されていたが、ドイツではまだだった。
この状況は1971年2月に変わった。ケルンの70平方メートルの小さなオフィスで、7人の従業員がトヨタ車の輸入を開始したのだ。1972年末には従業員は83人、販売店は332店舗に増え、売上高は初年度の720万マルクから1972年には4,250万マルクに急増した。1973年5月、ドイツ市場向けの2万台目のトヨタ車がアントワープ港に到着した。積まれていたのは「セリカ」だったのだろうか?
その可能性はあるが、赤いレディはそれより前に到着していたのだ。初登録は1973年1月31日、基本モデルは「LT」で、排気量1,588cc、出力79馬力だった。

今、セリカのデュアルヘッドライトが、どんよりした午後の光をほんの少しだけ明るく照らしている。さっきまで、雨粒が塗装を滑り落ちる前は、そのボディがきらめき、輝いているのがはっきり見えた。なんて!すばらしいクルマなんだ!
「セリカ」が登録から52年経ってもこのような良好な状態を保っているのは、ヒルデスハイムにある同名のトヨタ自動車販売店のオーナーであり、自動車整備士のマイケル シュダー氏(49歳)のおかげだ。
トヨタ セリカを完全にオーバーホール
シュダー氏は、数十台のトヨタのクラシックカーを所有しており、セリカは一度完全にオーバーホールされている。彼は言う「錆が最大の課題です。70年代の車ではよくあることです」。しかし、このスポーツクーペは他の問題も抱えていた。セリカのパーツはトヨタのパーツカタログから削除されており、シュダー氏は修復のためにシールやエンブレムを香港までたどって探した。しかし、腐食したサイドシル(フェンダー下部のパネル)の代替品はそこにもなかった。
解決策は、類似の部品を見つけて加工することだった。シュダー氏はメルセデスで「W201(メルセデス190、通称「ベビーベンツ」)のサイドシルを発見。形状が似ており、いくつかの調整で適合させた。「セリカ」のホイールベースが2.43mであるため、両側にそれぞれ24cmの板が残った・・・。

そして4.17mの全長は、初代の「フォード カプリ」よりも2cm短く、「オペル マンタA」は4.34mで17cm長く、1.36mの全高は「セリカ」よりも5cm高い。「カプリ」だけが、1.29mと2cmだけ低くなっている。
率直に言えば、70年代のスポーツクーペのターゲット層である、初めて自分のお金を持って(まだ)子供がいない若い人たちは、この車に乗り込み、降りるのも簡単だった。今日のシルバー世代は、そうはいかない。
しかし、それは問題ではない。今はこの車に乗って、すぐには降りるつもりはない。「ディスコ」時代(「ライトアウト!スポットオン!」)の、木目調のメーターパネルと引き出すライトボタンという、風変わりな魅力。サイドサポートがほとんどないヘッドレスト一体の小さなシートは、コーナリングで右に左に体が揺れてディスコフロアで人と接触するような感覚だ。ラジオの上にある、かわいい小さな丸い計器は、燃料残量と水温しか表示しないが、その配置だけで、まるで飛行機、あるいは少なくともポルシェに乗っているような気分にさせる。
エンジンはすぐに始動し、音も豊かで調子は良好
ただし、後方を照らさないでほしい。「マンタ」や「カプリ」の後部座席に身を屈めたり、1974年以降の「シロッコ(はい、VWは当時すでに遅れていた)」の後部座席に乗ったりしたことがある人は、痛みの意味を学んでいる。1.64mを超える乗客は足を曲げなければならず、2列目では頭を下げないと頭が天井に当たってしまう。少なくともトヨタは、シートのくぼみを臀部に合わせて成形しており、よく考えられている。

トヨタのパンフレットによれば、イグニッションキーを回すと次のようなことが起こるはずだ。「点火。エンジンは即座に始動し、サウンドは力強く健康的な響きを奏でる。スポーツステアリングは手に馴染み、操作性が抜群だ。クラッチを繋ぎ、1速!クラッチがしっかりと噛み合う。アクセルを踏むと、加速とともに身体がシートに軽く押し付けられる。2速!3速!スピードメーターはすでに100km/hに近づいている。4速!素晴らしい!」
70年代のパンフレット作家たちは、ちょっと大げさに表現しすぎではないか?いいえ!現代風に短く表現しても「猛烈な加速、雄鹿のような咆哮!」だ。しかも、まだ5速には入れていない。5速は79馬力のベースモデルに標準装備されており、燃費向上のため、またはトヨタの表現では、「エンジンとトランスミッションを保護するだけでなく、エンジン音も抑え、回転数を抑え、ガソリンを節約します」だ。
最高のポニーカーのスタイル
長いボンネットと短いリアエンドを備えた、最高のポニーカーのスタイルを持つこの天国のようなボディを心から愛する一方で、「セリカ」には他にも2つの魅力がある。まず、960kgという軽量さは、当時の「マンタ」や「カプリ」と同等だ。次に、ドイツの競合車同様、後輪駆動を採用している。ただし、「セリカ」より4年後に発売された「シロッコ」は前輪駆動だった。

FR(フロントエンジンリアドライブ)、さらに軽量で、当時の基準では十分な86馬力のエンジンを搭載。ドライバーの心、これ以上何を求めるだろうか?
ちょっと待って!86馬力って言ったよね?それなら「ST」じゃなくて「LT」になるし、108馬力なら「GT」になる。基本的にエンジンは同じで、1.6リッターの直列4気筒だ。「LT」は自動始動装置付きのレジスターキャブレターを搭載し、7馬力強く450マルク高価な「ST」はダブルキャブレターシステムとスターターケーブルを採用している。1973年9月以降に108馬力の「GT」が発売された際、エンジンは2本のオーバーヘッドカムシャフトとソレックスのダブルキャブレターを搭載し、100km/hまでの加速は「LT」の13.6秒に対し、10.9秒だった。
結論として、トヨタのマイケル シュダーは自分のセリカ「LT」をチューニングしたのだ。そのエンジンは86馬力の「ST」だ。
結論:
どうして私たちは、こんなにも長い間セリカの存在を忘れてしまっていたのだろう?おそらくそれは、1970年代初頭のトヨタが、他の日本車と同様に、ドイツの堅実な品質に対する“エキゾチックな代替品”に過ぎなかったからかもしれない。だが今は違う。今、初代セリカはその軽快さ、後輪駆動、そしてスタイルとエレガンスで人を魅了する。本当に残念なのは、生き残っている個体があまりにも少ないことだ。
Text: Andreas May
Photo: Sven Krieger / AUTO BILD