1. ホーム
  2. エッセイ
  3. 自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅 その5

自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅 その5

2025年5月1日

3日目 2月19日(パート1)

18日夜、シュトゥットガルトのホテルに投宿した私たちは、翌19日朝、ポルシェ・ミュージアムに向かった。バスがだんだん目的地に近づいていく。その私たちにミュージアムは早くもサプライズを用意していた。前方に3本の尖塔が突然現れ、頂上に3台の911が貼りついているではないか! まるで天空に向かって飛翔するかのようだ。これから訪れるミュージアムでの新たな発見を予兆するような幕開けだった。

ポルシェミュージアムを訪れた我々を3台の911が迎えてくれた。

ポルシェ・ミュージアム訪問者に配られるパンフレットに見る建物の外形。ガラス張りのファサードと白の壁面から成る建物そのものもユニークで、全体が半ば宙に浮いているように見える。角張った外形は、丸みを帯びたポルシェのボディとのコントラストを表しているという。総計5600平方mに及ぶ展示スペースには常時80台のポルシェが展示されている。

ドイツの博物館はどこもそうだが、ポルシェは特に自社のアーカイブ管理に力を入れているように思う。歴史的資料の量は膨大だ。ファイルを横に並べると2kmに達する。写真とスライドは250万点。書籍4500冊。フィルムをすべて上映するのに要する時間1700時間。細かな展示品の合計点数2万5000。これらすべてを社内のコーポレート・アーカイブ(Corporate Archives)という組織が保存しているという。

「普段は入れないミュージアムのワークショップに、皆さんをご案内しましょう」
今日、私たちのガイドをしてくれるミュージアムのスタッフは自己紹介を済ますと、そう言った。歴史的に特に価値のあるコレクションや、顧客が所有する希少な個体などは、ミュージアム自身が新車当時の姿へ修復する作業を行う。だから展示車はどれも動態保存されており、イベントに出場したり、媒体の試乗に貸し出されたりできる状態にある。そのワークショップを見られるという。この日2番目のサプライズだ。

「スタッフ・オンリー」と記されたドアを抜けると、そこは外科手術室的な清潔さに保たれた、一流のプロの仕事場だった。自分は今、様々な古いポルシェが現役時代の姿に甦る現場に立っていると思うと、胸の高鳴りを抑えられなかった。

ミュージアム・ワークショップ内の撮影は禁止だったので、パンフレット記載の写真を紹介する。ご覧のようにフロアは清潔そのものでオイル一つこぼれていない。右側の“ディスプレイケース”には、作業を終えた完成車が整然と保管されていた。

356か911か、あるいはレーシングカーか。はたまたフェルディナント・ポルシェ博士がポルシェ設計事務所を設立する以前の作品なのか。ポルシェ・ミュージアムは様々に異なる観点から見学できるので、どこに視点を置くかによって注目すべき展示物も変わってくる。本稿では私の個人的興味から、356、レーシングカー、試作モデルよりそれぞれ1台を取り上げようと思う。

356の第1号車。現役時代は複数のオーナーの元を転々とし、一時期かなり損傷が激しかったが、現在は完璧に往時の姿に復元されている。ボディの塗色もオリジナル通りの淡いブルーグレーだ。

この写真を見てピンときたあなたは相当な356マニアに違いない。プレートナンバーに注目いただきたい。そう、これは356の第1号車なのだ。

第二次世界大戦終結後も、フェルディナント・ポルシェ博士率いるポルシェ設計事務所の面々は、オーストリアの寒村グミュントに疎開していた。本拠を置いたシュトゥットガルトの街は戦災著しく、新興の設計事務所が戻れる状態ではかったからだ。かくして356の第1号車356.001はこのグミュントで生まれた。

専用の鋼管スペースフレーム上に構築され、エンジンをミッドシップに搭載するなど、のちの356とは基本的な設計が異なるワンオフに近い造りだった。エンジンは1100ccのビートル用を流用したが、シリンダーヘッドは大径バルブに対応する専用品を用いていた。

1948年3月、ローリングシャシーの実走テストが始まる。6月に軽快なオープントップボディが架装された。同年6月8日、オーストリア当局への車両登録が済み、晴れて「K45.286」のプレートナンバーが交付された。

ポルシェは1948年7月4日、ブレムガルテンで開催されたスイスGPにて356.001を正式に発表。多くのジャーナリストから好評を得た。それから1週間後、フェリー・ポルシェのいとこヘルベルト・カエスが駆る356.001は、インスブルック公道レースにてクラスウインを遂げている。

1948年9月、ポルシェは喉から手が出るほど欲しい資金を調達するため、356.001を売却した。その後、この356は複数のオーナーの許を転々とするが、1958年、ポルシェ本社が買い戻すことを決意。当時のオーナーとの交渉には広報部長のリヒャルト・フォン・フランケンベルクが尽力したという。

以降、356.001はポルシェの篤い庇護のもとにあり、ポルシェ・ミュージアムの大切な財産となっている。

Text:相原俊樹
Photo:相原俊樹ほか

【筆者の紹介】
相原俊樹:自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。