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【このUFOならぬNSUなんぼ?】ウェッジシェイプカーの先駆け「NSU Ro 80」ピニンファリーナデザインのワンオフモデル その価格は?

2024年10月9日

NSU Ro 80 2 Porte +2 (1971) :当時最も先進的な車の1台だったNSU Ro 80。ピニンファリーナによる2 Porte +2は、Ro 80とはほとんど認識できないくらいのデザインで造られた。このワンオフモデルがオークションに出品された!

「NSU Ro 80」は、ウェッジシェイプカーの先駆けとされている。1967年の「IAA(フランクフルトモーターショー)」で発表された際には、その斬新なデザインだけでなく、刺激的な技術的詳細にも注目が集まった。空力特性に最適化されたボディに加え、2枚の円盤状のロータリーピストンエンジンと先進的な安全機能は特に注目に値する。「Ro 80」は、ロードホールディング、安全性、快適性、動力性能といった面で新しい基準を打ち立て、空気抵抗係数(Cd)も、0.35という、当時としては驚異的な値に抑えていた。「NSU Ro 80」は、1967年、ドイツ車としては初の「(欧州)カー オブ ザ イヤー」に輝いている。

「Ro 80」の時代を超越したデザインは、クラウス ルテが担当した。彼のデザインは、1980年代に登場したウェッジシェイプを先取りしており、後のアウディの数多くのモデルに影響を与えました。そのデザインが評価され、「NSU Ro 80」はロンドンのデザインミュージアムによって「世界で最も影響力のある50台の車」の1台に選ばれた。

しかし、未来的だったのは外観だけではない。駆動システムも未来的だった。「Ro 80」のボンネットの下には、2つのローターを持つロータリーエンジンが搭載されていた。これは、マツダのロータリーエンジンとはいくつかの点で異なる。最高速度180km/hを出すのに十分な115馬力を発生する。

技術的にはすべて標準仕様だ。2 Porte +2は標準のRo 80をベースとしているため、駆動システムには変更が加えられていない。このワンオフモデルが公道を走れるかどうかは疑問だ。

しかし、ヴァンケル(ロータリー)エンジンは燃費が悪いだけでなく、耐久性にも問題があったことも事実だ。初期の顧客車両の多くは圧縮の問題を抱えており、NSUは非常に協力的で、エンジンを無償で交換していた。しかし、「Ro 80」の評判だけでなく、革新的な技術として注目されていたロータリーエンジンの評判も落ちてしまった。「アウディ100」にロータリーエンジンを搭載するというアイデアは却下され、「Ro 80」の後継車は結局生まれなかった。

NSU by ピニンファリーナ

1977年までに、正確には37,406台が製造され、そのうちの1台がイタリアのピニンファリーナに納入された。デザインスタジオは「Ro 80」の後継車のデザインを任された。標準的な「Ro 80」をベースに、「2 Porte +2」が誕生した。このデザインを担当したのは、「フィアット130クーペ」や、素晴らしい「フェラーリ512Sモデューロ」のデザインも手掛けたパオロ マルティンだった。

このピニンファリーナによるワンオフモデルは、Ro 80とはほとんど認識できない。ルーフの構造は独創的である。

「NSU Ro 80 2 Porte +2」は、1971年のトリノモーターショーで初めて公開され、ワンオフモデルは大きな話題となった。このモデルは量産車をベースにしていたものの、オリジナルのデザインはほとんど残されていなかった。その名の通り、この「NSU」は大人2人と子供2人が乗れる2+2の車として構想された。リアドアはそのまま残されたが、完全に再設計された。走行方向とは逆方向に開くドアだが、フロントドアが開いているときのみ、開くようになっている。これはBMW i3やマツダRX-8と同様の機能だ。

賢い折りたたみ式ルーフ

ルーフ構造もまた素晴らしいもので、ルーフの大部分が後方に折りたたまれ、トランクリッドの上に置かれる仕組みは、例えば「フェラーリ575スーパーアメリカ」を彷彿させる。利点としては、折りたたみ式ルーフでもトランクの容量は変わらないところだ。

ほぼ新品:アナログ式スピードメーターは2kmを示している。この1台は一度も運転されていない。

この1台限りのモデルのラジエーターグリルはブラックでオフセットされており、ピニンファリーナはルーフラインを反映したシルバーのツートンペイントも選択した。特に目を引くのは、Cピラーとリアサイドパネルに多数設けられたエアベントで、これは視覚的な目的のみであり、フロントにはヴァンケル(ロータリー)エンジンが搭載されている。

カラフルな内装:鮮やかなオレンジ色のファブリックは、1970年代らしい。コックピットは良好な状態のようだ。

その後、各種の展示会で展示された後、1994年にはオランダで開催されたNSUの大規模な集会で「Ro 80 2 Porte +2」が展示された。その1年後、風変わりな車コレクターであり部品ディーラーでもあるルディ クライン氏が、彼のコレクションの最後の1台として、友人であるトーマス タフェット氏からこの唯一無二の車を入手した。同年、NSUはカリフォルニアのカーミーティングに1~2回登場した後、アウディ博物館に恒久貸与された。

この車の推定価格は高い?それとも安い?

オレンジ色の内装が目を引くこの唯一無二のこの車は、オークションハウス「RMサザビーズ」の「ジャンクヤード: ルディ クライン コレクション」の一部として出品されている。「Ro 80」は、道路走行不可のオリジナルの状態であり、推定価格は60,000~80,000米ドル(約900万円~1,200万円)相当だ。価格よりも、これは、NSUまたはピニンファリーナのファンにとっては、またとない機会だ。

Text: Jan Götze
Photo: © 2024 Courtesy of RM Sotheby’s