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【クラシック オブ ザ デイ】メルセデス Gクラス ゲレンデヴァーゲンの伝説は45年前に始まった 19枚の写真付

2024年7月23日

メルセデス・ベンツ Gクラス:メルセデス Gクラスより個性的なクルマは?1979年に市販モデルとして登場して以来、メルセデス Gクラスは、おそらく最も個性的なグリルの星を持つ車である。オフロードのレジェンドは、45年前に道路、ダートトラック、砂漠を制覇した。

「Gクラス」より個性的なメルセデスは?1979年に発売されたこの全輪駆動モデルは、自然のあらゆる力(錆を除く)だけでなく、流行やファッションの変化にも何十年もの間逆らってきた。

2018年に死去した開発マネージャー、エルヴィン ウォニッシュの指揮の下、ダイムラーの商用車部門は1970年代半ばにシュタイアーダイムラープフと共同で、軍隊や林業で使用される不滅のオフロード車を開発した。1975年に量産が決定され、1979年に最初の市販車両が製造された。

Gクラス:クライミング(登坂)スキルで名を馳せる

「Gクラス」の歴史は45年前、まばらな装備と比較的控えめなエンジンレンジから始まった。かつてはディーゼルもガソリンも72~150馬力だった。これでも中核となる任務には十分だった。というのも、クライミングアーティストの本領は悪路で発揮されるからだ。あらゆる大きさの倒木や岩を軽々と乗り越え、最もタフなオフロードコンディションでも、1メートルごとに感動を与えてくれる。

オフロードの伝説: Gクラスは軍用および林業用の作業車として開発された。これはキャンバスルーフモデルだが、一度外すと小一時間かかるほど装着作業は大変。

リーフスプリングの代わりにコイル構造が採用され、リジッドアクスルにはトレーリングとトランスバースコントロールアームが装備されている。初期にはまだプルレバーで操作していたオフロードリダクションと3つの100%ロックが、どんな地形でも推進力を保証する。生産開始から22年後の2001年、この全輪駆動のアイコンは、当時世界で最も重要な自動車市場であったアメリカで発売された。2002年と2003年は「Gクラス」の歴史上最も売れた年となり、大きな成功を収めた。

セレブに人気のオフローダー

特にセレブリティにとって、黒、白、シルバーの恐竜のようなこの車は、カルト的な人気を博し、長い間待ち望まれた。1980年以来、バチカンはローマ法王用に、”パパモビル”として輝く白い「Gモデル」を保有している。

おそらく最も有名なGクラスは、ドイツ生まれのローマ法王ベネディクト16世を乗せたパパモビルだろう。いうまでもなく防弾ガラスで、狙撃からパパを守る。ステアリングホイールまで白い革なのに注意。ゲレンデヴァーゲンのパパモビルは複数台あり、これは後期パパモビル。

この頑丈なベンツは、軍用車としても常に「成功」してきた。ドイツ連邦軍だけでなく、数十年にわたって「ウルフ」の名で「Gクラス」の在庫を保有していた軍隊もある。軽装甲の「Gクラス」は、世界各地の危機的状況でも使用された。

首長のおもちゃになった3軸車

「メルセデス Gクラス」の3軸バージョンは、オーストラリア軍のために開発された。このモデルをベースに、2013年には壮大な「メルセデスG 63 AMG 6×6(544馬力、760Nm)」が開発され、首長たちのお気に入りのおもちゃとなった。

エクストリーム:メルセデス G 63 6×6 AMGは、オーストラリア軍向けの3軸Gクラスがベース。わが国にも「正規輸入」され8,000万円で売られた6×6。走行中にも空気圧を変えられるシステムもついていたが、言うまでもなく燃費はひどく2km/ℓ程度だったという(まあ軍用車両なんて、たいていそんなものだが……)。

2018年、「W463」シリーズの「メルセデスGクラス」は、W463Aとしてフルモデルチェンジされた。素朴なドアハンドルを除けば、先代と変わらない部分はない。最大の違いは、全幅が12センチも拡大したことだ。

大林晃平:
1979年3月1日、ジュネーブショーのプレスデイの日にメルセデス・ベンツ ブースでデビューしたゲレンデヴァーゲンを多くのジャーナリストやエンジニアが取り囲んでいたが、「もちろん」ランドローバーの技術者たちが多くおしかけ、詳細にゲレンデヴァーゲンをチェックしていたと当時CG編集長だった故小林彰太郎は記している(1979年CG5月号P43)。もちろんその中にはスペンキングもいたが、ランドローバーのスタイリスト(デザイナー)のディヴィッ ペイシユは、小林氏に「デザインが醜悪なのが唯一の救いだよ」と本音を漏らしたという。ゲレンデヴァーゲンはそれほどまでにランドローバーのスタッフを興味津々(あるいは戦々恐々)とさせる存在であったと言えるが、その醜悪な自動車が45年経過した現在、世界中のセレブリティや、成金などのあこがれの自動車になろうとは彼らは想像もつかなかっただろう。

そういう僕もその79年のカーグラフィックでゲレンデヴァーゲンを見た時には正直無骨で格好いいスタイルとは思わなかったし、これほどまでに世の中に知られることになろうとは微塵にも思わなかった。でも機能的なスタイルや、殺風景と言っても良い内装などは、「これこそが実用車としてのメルセデス・ベンツの王道」であるとも思ったし、ゲレンデヴァーゲンとW123 300TDのどちらかをもらえるとしたらどっちをもらおうか、という無駄な夢想をしながら記事を舐めるように読んだ。

その後、日本には5ナンバーで乗ることのできる300GDが正規輸入されたが、ものすごく高価なのに無骨で質素で、しかも呆れるほどアンダーパワーだったこともあり、ほぼ街で見かけることはなく、東京の街で見かけた時には小躍りしたほど嬉しかった。

その後、ガソリンエンジンモデルの230GEが輸入され、わずかながら280GEなども入ってきた時、幸運にも1週間ほど280GEと過ごす機会があり、生まれてはじめてゲレンデヴァーゲンという自動車に乗ることができた。その感想は重くて、ごつくて、アクセルがひたすら重い自動車、という印象で、少なくとも街中と高速道だけを走っている間には良いところなど見つけることのできない「硬派のオフロードヴィークル」に感じられた。

ゲレンデヴァーゲンが急速に市民権を経て知られるようになったのは、その後、パートタイム4WDではなく、W463とよばれるフルタイム4WDになってからのことで、300GEという内装がW124風で本革シートさえつくようになったモデルからで、街で見かけることが多くなったように思う。個人的にはあか抜けないチェック柄のシート生地に、シフトレバー周りがむき出しになっているようなゲレンデヴァーゲンが本物だと思っていたため、ウッドパネルと本革シートの内装には違和感があったが、ライバル(かどうかはちょっと今でも怪しいが)と言われるレンジローバーにもヴォーグとかカウンティという厚化粧内装が標準装備になって人気を博していたから、ゲレンデヴァーゲンもそうならざるを得なかったといえる。

その後のゲレンデヴァーゲンは無理に高性能エンジンを詰め込まれ、内外装ともに厚化粧化の一途をたどり、新しいモデルが出るたびに違和感を覚えたし、AMGモデルが出た時にはその存在のアンバランスさに眩暈さえ感じたが、今や街で見かけるゲレンデヴァーゲンのほとんどすべてがAMGなのだから驚くというか呆れるというか……。とにかく今の街を行く、一度も悪路(ゲレンデ)を走ったことのないゲレンデヴァーゲンの大多数は、AMGバッチがつき、極太のタイヤを履いたスタイルが定番となっている。

個人的なことを白状すれば、実は(これほどまでに難癖付けながら持っていたと告するのも恥ずかしいが)、G350dの中古車に3年ほど乗っていたことがあるのだが、正直言うと運転しにくく、とうぜん燃費も悪く、どうして世の中の人はこれに喜んでやせ我慢しながら乗っているのだろう、と乗るたびに思ったことも事実だが、ボディのつくりと周囲を睥睨するような感覚は、「まごうかたなきメルセデス・ベンツ」で、この部分に人は魅力を感じているのかもしれないな、とも理解した。

先日発表されたBEVのG580 with EQテクノロジー(名前はなんとかならなかったのか)の車重は3トンを超えているし、街中で見かけることがごく普通になっている現行モデルのG63でさえ2.5トンを超える車重である。これは79年デビュー当時の1,775㎏~という車重に比べると驚くほど重い。

内装は豪華な皮内装がもはやデフォルトで、布の内装はその名もプロフェッショナル(通称Gプロ)という、装備が少ないくせに普通のモデルよりもずっと高価な、偏愛趣味人向けモデルでないと選べない。

そしてそのスタイリングと言えば・・・。45年前のジュネーブショー会場で、ランドローバーのデザイナーが「醜悪なのが救い」と発言した、あのオリジナルに年々厚化粧を加えたもの、つまり見方によっては「より醜悪な」ものだ。だからどうして「ゲレンデヴァーゲンの醜悪さが45年もわたって、加速しながら愛されてきたのか誰にも正確には答えられない。だがきっとゲレンデヴァーゲンはこの醜悪さを保ったまま、最後の最後まで作られることは間違いのない事実である。ゲレンデヴァーゲンの一番の魅力は、この誰にも似ていないスタイルがあってこそなのだから。

フォトギャラリー: メルセデスGクラスの45年

鋳鉄のベンツ:メルセデスGクラスは1979年に発売された。2024年、このオフロードの恐竜は45歳の誕生日を迎える。
1970年代半ば、ダイムラーの商用車部門は、シュタイアー・ダイムラー・プフと共同で真の自動車用キャンターを開発した。1975年にシリーズ生産が決定され、1979年に最初の市販車両が製造された。この写真のような細いタイヤで手鏡のようなドアミラーのものこそ本当のゲレンデヴァーゲン。
初代のディーゼルおよびガソリン仕様の最高出力は72~150馬力だった。このパワーは、特に悪路でその真価を発揮するクライミングアーティストの本領を発揮するには十分だった。ほとんどどんな場所でも問題なく走破できる。車重などもデビュー当時は1775㎏からと比較的軽かった。
リーフスプリングの代わりにコイル構造を採用し、リジッドアクスルにはトレーリングとトランスバースコントロールアームを装備。日本にも導入されたカブリオレモデル。最終的には電動で動くようになった。今でも中古車市場ではかなりの人気者で、価格は上昇中。
1979年当時のベース価格は32,600ドイツマルク(約280万円)で、当時のメルセデスSクラス(W116)のベースモデルよりも安かった。当時のホイールベースは2,400mmと2,850mmの二種類だが、2,850mmで2ドアという変わったモデルもチョイスできた。写真は2,400mmモデルだが、ウインチがついている。
特にセレブリティの間では、黒、白、シルバーの恐竜はカルト的な人気を博し、長い間待たされた。1980年以来、バチカンは煌びやかな白のGモデルを”パパモビル”として保有している。上記のローマ法王が搭乗しているパパモビルと異なり、これは初代。ベース車両も全く異なるし、防弾ガラスの形状も大きく違う。
一方、世界を股にかけて活躍するグンター ホルトルフは、メルセデスGクラスと独自の経験を積んできた。1988年、ブルーのGD 300に「オットー」の名を冠したこの車は、長い年月を経て色あせ、世界中を旅した後、80万km以上を走破して「メルセデスミュージアム」に収蔵された。本当のゲレンデヴァーゲンの正しい使い方はこういうの。港区だけをはいずりまわらされているゲレンデヴァーゲンはやっぱり不憫である。
1985年のパリ・ダカールラリーをはじめ、Gクラスはその長いモータースポーツ人生の中で、数え切れないほどのタイトルやチャンピオンを獲得してきた。その1年前には、優勝したポルシェチームのサポートカーとして2位を獲得している。ボンネットの下にはポルシェ928の高性能エンジンが搭載されていた。パリダカールにももちろん出場していたが、その中身は言うまでもなく市販車とは別物と言って良い。
エクストラロバストのベンツは、常に軍で「成功」し続けている。ドイツ連邦軍だけでなく、数十年にわたり「ウルフ」の名でGクラスを保有してきた軍隊もある。NATOに正式採用されていたこともあるが、その場合シートは黒白のチェック柄だったと聞く。
こういう姿で使われているよりは、泥一つない姿で紀伊国屋や玉川高島屋の買い物車として使われている方がまだ良い、とは思う。
この重装甲車は世界各地の危機的地域でも活躍しており、Gクラスは警察でも使用されている。本来ゲレンデヴァーゲンはこういうプロフェッショナルな使われ方でこそ本領発揮。この手の特殊仕様のミニカーも実に多い。
メルセデスGクラスの生産が開始された秋には、オーストラリア陸軍のために3軸モデルが開発された。これらのモデルから派生した壮大なメルセデスAMG G 6×6が開発され、一夜にして首長のお気に入りのプレイモービルとなった。メルセデスG 63 AMG 6×6が544馬力と760Nmのパワーで砂丘の頂上を駆け上がると、実績のあるオフロード愛好家でさえ息をのむ。日本にも8,000万円で正規導入された6X6。中古車市場に出てきた場合、もちろんそれ以上の値段が付く。
2018年、W463モデルシリーズのメルセデスGクラスは、同じくGクラスとモデルシリーズ呼称463を冠する後継モデルW463Aに置き換えられた(さすがにメルセデス・ベンツもW463のままでは紛らわしいと思ったのか、W465と呼ばれることとなった。中間のW464は他の車種に使用してしまったため、一つ飛びになっているそうだ)。

ぱっと見はさほど変わって見えないのだが、素朴なドアハンドルを除けば、すべてが新開発だ。最大の違いは全幅の拡大で、約12センチ拡大した。全長は4.82メートル、ホイールベースは2.89メートルで、全長はさらに5センチ伸びている。

Text: Stefan Grundhoff
Photo: Daimler AG