ゴルフ、50歳の誕生日おめでとう!8世代にわたるVWゴルフの高みと低み、そして新型VWゴルフ8 GTEへの展望
2024年4月17日
VWゴルフ:全世代ゴルフの回顧とゴルフ8 GTEへの展望。ビートルからの大変革、8世代にわたるゴルフの高みと低み、そして新型ゴルフ8 GTEへの展望。
ゴルフ、50歳の誕生日おめでとう!1974年3月29日の初代VWゴルフの生産開始は、VWの新時代の幕開けとなった。空冷リアエンジンを搭載した丸みを帯びたVWビートルの後、初代VWゴルフは意図的に急進的な進歩を遂げた。角張ったフォルムに水冷フロントエンジンを搭載したこのモデルは、ビートルとまったく異なるものでありながら、より広いスペースと日常的な使い勝手を提供したのである。そして、初代モデル以来、ゴルフは数々の進化を遂げたが、極めてシンプルで実用的という原則は常に維持されてきた。
ゴルフIをデザインしたのは、ご存じの通り、天才カーデザイナー、ジョルジェット ジウジアーロだ。シンプルで迷いのないライン。初期モデルの小さなバンパー(後期モデルではバンパーが大型化されバランスが崩れてしまう)が素晴らしい。また初期モデルならではの三角窓にも注意。ジョルジェット ジュージアーロも若いなぁ。
1980年代、2代目はエアロダイナミクスの改善やインテリアの拡張など、最初の大きな変化をもたらした。1990年代の第3世代では、フォルクスワーゲンは新しい安全技術を導入し、90年代末の第4世代ではデザインと技術がさらに進化した。第5世代は大幅な技術改良が特徴で、第6世代はこの進歩に基づき、効率性と安全性を向上させた。第7世代は、技術的特徴の面で新たな基準を設定し、現在の第8世代への道を開いた。VWは今回、プラグインハイブリッドの「ゴルフ8 GTE」フェイスリフトについて、100kmを超える電気航続距離を発表した。
VWゴルフの8世代に渡る50年の歴史
Text: autobild.de & 大林晃平
VWゴルフについて
「フォルクスワーゲン ゴルフのゴルフとは、カキーンと打つスポーツのゴルフではなく、パサートやシロッコと同じように、ガルフストリームのガルフから来ている『風』の名称なのであーる」
名門老舗自動車雑誌であるカーグラフィック誌で高島先生にそう教わってから、ゴルフも50周年となった。日本でこれだけ市民権を得て、自動車のメートル原器みたいな立場を今でも持ち続けていることができるのは、カーグラフィック誌と、故徳大寺有恒先生の貢献なのではないかと思っている。
当時のカーグラフィック誌では、水色のLS、黄緑のディーゼルエンジモデルンと2台にわたって徹底的にゴルフⅠの長期テストを行い、毎月誌面に登場していた。黄緑のゴルフディーゼルを担当していたのはCGTV(カーグラフィックTV)でおなじみの田辺憲一さんで、この当時からスライディングルーフを絶賛し、そんな毎号のレポートを心待ちにしていたのを思い出す。
いっぽう、徳大寺有恒先生といえば、ゴルフか911の絶対的な信奉者というのが有名で、特にゴルフは事業(レーシングメイト)を倒産させ、失業していた当時に、奥様の貯金でゴルフⅠを購入し、それに感激して『間違いだらけのクルマ選び』を書いたところ、大ヒットしてベストセラーモータージャーナリストに、というのが良く知られた逸話である。
当時のカーグラフィック誌も徳大寺有恒先生の話も、もちろんゴルフⅠのことで、このゴルフⅠこそが最もピュアで、ビートル亡き後、フォルクスワーゲンの屋台骨となり、今に至っているわけだが、残念ながら僕が生まれて最初に乗ったゴルフはⅠではなくⅡであった。それは1987年頃の話で、当時歯科大に通っていた友人のアベちゃんがゴルフⅡのスリードアCiマニュアルミッションに乗っており、それを運転させてもらったのである。
当時の僕が乗っていたのは家のFFジェミニ ターボディーゼルで、それから乗り比べると糊の効きすぎたシーツのようにごわごわで骨太、走り出すとスムーズになるものの、信号待ちではどこからか共鳴してバイブレーションがすごかった。これが憧れのカーグラフィックで吉田匠さん(長期テストで白い3ドアを担当していて、後付けされたアルパインのカセットステレオがうらやましかった)が絶賛している自動車なのか、とは思ったが、圧倒的に普段乗っている国産車のジェミニと違うということだけはわかった。
まだ滅多に輸入車には乗れなかった(座れなかった)し、同じくらいの大きさなのに、安心感と安定感が圧倒的に違う・・・。でも日本の街中では国産車の方が使いやすいかも、と正直にも思った。
そんな気持ちがフォルクスワーゲン本社に通じたのか(通じるわけもなく、単なる勘違い)、ゴルフⅢはゴルフⅡとまったく違う甘口風味の自動車で、豪華な内装にも驚いたけれど、とにかく乗った瞬間にあまりの変貌ぶりにびっくりした。そして正直言うと、なんだかゴルフっていう車はコレジャナイというのが、ゴルフⅢに抱いた最初の印象である。
ゴルフⅣは15万kmほども走った中古車(GTIをコックスチューンしたものだった)を短期間持っていたことがあるが、コックスでチューンを施されていたからか、エンジンの回り方や高速の安定感がふつうのモデルとは別格の一台であった。実はこの一台はものすごく気に入っていて、トヨタ博物館で行われた小林彰太郎さんのサイン会に乗っていったのも、この赤いゴルフⅣの大古車であった。
「今日は何に乗って来たんだい?」と小林さんに聞かれ、「古いゴルフで来ました」、「そっかぁ」などとお話できたのが、最後のプライベートな会話になるとは、その時少しも思わなかった。
ゴルフⅤとゴルフⅥにはDSGがついたり、いろいろ進化していたりするはずなのに、申し訳ないがあまり印象がなく、そもそもⅤとⅥのどこが違うのかいまだにわからないし、街で見ても見分けることが難しい。まあそれだけ市民権を得て、国産車と同じ土俵の普通の自動車になった、ともいえるがあのゴルフⅡの圧倒的な舶来物の存在感はもはやどこにもなくなっている。
そんなゴルフが突然素晴らしい進化を遂げたのはゴルフⅦで、とにかく昨今の実用自動車の中で迷ったらコレ、というほどの完成度の高い車であった。あまりのすばらしさに親友のタグチさんに1.2を強引に買わせ、そのタグチさんはあまりの満足度に他の車に乗り変えることができないまま、長年にわたりずるずると10万kmを家族一同満喫しながら今も乗り続けている。
現在のゴルフⅧはⅦからするとちょっと今一つ納得できない部分もあるが、今後のマイナーチェンジに期待したいし、おそらく次のⅨ(9)にも内燃機関のゴルフは残るのではないか、と昨今の状況を見ていると予想している。Ⅸはおそらくハイブリッドシステム搭載車だけになると思うが、まだまだゴルフには内燃機関のベンチマークであってほしい。そしてぜひGTIのようなモデルも残っていって欲しい。
手元に79年10月号のカーグラフィック誌がある。特集は4台の高性能ゴルフを並べてのテストで、この記事で僕は初めてGTIというゴルフを知った。そしてその時以来、GTIは心のどこかで憧れの一台として輝いている。その時は雲の上の存在だったGTIだが、45年ほどが経過した今は、中古のGTIだったら買える存在、くらいにはなった。それでも、未だにGTIを購入できていないのは、GTIが純粋な存在でなくなったのか、自分の自動車好きの心が曇ってしまったのか・・・。
半世紀にわたる風と時の流れの中で、人も車も太って大人になってしまったけれど、まだまだ楽しい自動車の世界を純粋に追いかけていかないといけない、ついそんなことも感じてしまった、個人的な長いゴルフの思い出話である。(大林晃平)