イオタの正統な後継車 ランボルギーニ アヴェンタドールSVJ
2020年5月26日
ランボルギーニ アヴェンタドールSVイオタ 。我々はこのホットアスリートをユーロスピードウェイ ラウジッツ(旧名ラウジッツリンク)に持ち込んでテストした。
JとはJota、イオタと発音する。ランボルギーニの歴史に置いて大きな意味を持つ
最初に使われたのはランボルギーニ ミウラだった。当時ランボルギーニのチーフテストドライバーだったボブ ウォレスの指揮下で、ミウラ改良のためという名目で、レースカーとしてのクオリティを備えたプロトタイプスポーツカーとして開発された。その後3万kmほど走行実験が繰り返された後、創始者フェルッチオ ランボルギーニはこのクルマを資産家に売却した。それは彼自身がモータースポーツには何の関心もなく、ただ完璧なGT作りを追求したかったためでもあった。その後イオタは数人の手を経て、最後はミラノ東部の開通前のブレシア高速道路で走行試験中に事故で大破、全損した。
そしてイオタは神話となった。その後、何台かのアスレチックイオタが作られた。少数のSVがランボルギーニ自身によって作られ、一部は他の製作所からのイオタ風モデルだった。その後にもランボルギーニはこのJという略語を数回使用したが、いずれも中途半端なモデルに終わっている。
やはりウォレスの作ったイオタが際立っていた。生産モデルの370psは440psにまでアップされ、ドライサンプ潤滑システム、2基の60リットルタンクを備え、車重は生産モデルの1300kgよりはるかに軽い900kg以下。残忍な力と優れたハンドリングを備えた「J」の潜在能力は極めて高いものだった。
Text: Ralf Kund