メルセデス・ベンツの万能作業車「UNIMOG(ウニモグ)」は働くクルマの頂点だ
2023年5月31日
もう一つのメルセデス・ベンツ「UNIMOG(ウニモグ)」を肩の凝らない画像中心に紹介しよう。「UNIMOG」の意味はドイツ語UNIVERSAL-MOTOR-GERÄTの頭文字を取ったもので、即ち「多目的作業車」の略。筆者はかねてからこのウニモグをぜひ紹介したいと期を狙っていた。
ウニモグを始めて見たのは1973年5月ウニモグの映画を観たことだった。大いにこの「怪物」に興味をもったのである。当時の映画の解説は次のように伝える。『走るだけでは驚くにあたらない。この車は1000種にも及ぶ特殊な仕事をやってのけるのが目的。それがウニモグの価値なのだ!・・・』と。さらに、興味を持ったのが昨年2022年12月12日のAUTO BILD JAPAN Web Facebookにウニモグの記事が掲載されていたからである。
聞きなれない人でも何か親しみを持つ名前・ウニモグ
ウニモグは従来のトラクターの概念を全く破った革命車であり、そのユニークな雄姿は多くの性能と特徴を生み出している。特に「多目的作業型ウニモグ」と「高機動型ウニモグ」の2種類があり、目的によって使い分けられる。つまり、アタッチメントをつける事で草刈り、除雪、凍結防止散布等の様々な作業ができるのが「多目的作業型ウニモグ」、悪路やオフロード(舗装されていない道路)を走る事を得意とするのが「高機動型ウニモグ」で、主に災害救助として活躍しているのは後者だ。
ウニモグの性能と特徴
高速道路では90km/hを走破し、特別装備の前進24段と気の遠くなるようなミッションやクローリングギア(低速ギア)を持ち、赤ん坊のよちよち歩きよりも遅く走る事も可能だ。事実、標準走行モードは「ウサギ」、低速走行は「ロバ」、超低速走行は「カメ」と、モードを切り替える絵柄入りのスイッチが付いており非常に解り易い。また、電空式シフトを採用した独自のトランスミッションは、標準で前進8段、後進6段からなる多段式ギアを採用し、あらゆる作業環境に適合する。
特筆すべきは、ドライバーが常に最適なシートポジションで運転できる可変式ステアリング・ハンドルを採用し、左右のハンドル位置を任意に使い分ける事が可能ということだ。さらに、45度の山登りは楽々と、38度の傾斜地、34度の脱出角度、44度の侵入角度と51度の脱出角度、横ばいは何のその、階段を登り神社の参拝も可能だ!また、ある時は雪の中はもちろん、大人の腰位の水中水泳で魚をギョッと驚かせる(1.20mの渡河走行深度)!
独自のスラスト・チューブ構造は斜め30度までスイングする柔軟なフロントアクスル/リアアクスルで実現。四輪駆動、四輪ノンスリップ装置からなる足回りは、道なき道を走破。即ち、スピードは乗用車並み、頑丈さはダンプトラック並み、1000種類以上の豊富な作業用アタッチメント、4ヶ所の装着ポイントにより1台で多種多様な用途に利用可能で、ジープなんぞは足元にも寄せ付けない機動性を兼ね備えた車両と言える。もちろん、これだけではなく、ウニモグには前後にPTO(動力取出軸)、レバー1本で1トンもある作業機の昇降を自由にする油圧機構を持ち、まさに弁慶の如く、軽々と身に付け、萬屋(よろずや)としてその目的を遺憾なく発揮する。
一方、高速クルージングの「アーバンウニモグ」は魅力的だ。迫力ボディにパワフルなメルセデス・ベンツのターボチャジャー付き6L・ディーゼルエンジンを搭載。シングルキャビンのU1400、ダブルキャビンのU1450は共に136馬力、100km/h以上の高速クルージングも可能だ!
日本国内でも実力をいかんなく発揮!
1972年冬季札幌オリンピック及び1998年冬季長野オリンピックでは道路除雪車として大活躍し、高速道路会社のトンネル壁面清掃や照明器具の保守、高速道路での維持管理車、JRA(日本中央競馬会)では馬場のメインテナンスとして、今では欠く事のできない車両でその作業現場をよく見かける。さらに、テレビの山岳中継車として記憶にまだ残っている浅間山荘事件をはじめ、ニューストピックスの現場実況の報道をいち早く家庭に送る役目にも大活躍。また、山林火災工作車として山地林道の火災パトロール、警察の災害警備用車両、消防車として時には人命救助にも大役を果たし、鉄道の保守用軌陸車としても使用されている。
最近では2011年春、当時のダイムラー社から東日本大震災の被災地支援目的にトラックタイプのU4000、U5000が各2台ずつ、計4台が日本財団に寄贈され復興に偉大な力を発揮した(筆者が2015年4月に石川県金沢市にある日本自動車博物館を訪問した時には、玄関入口に展示されその雄姿を見て感激したものだ)さらに、2015年9月の関東・東北豪雨での災害救助では、災害現場で動ける車両はウニモグだけだった。
以上、ウニモグの活躍分野のほんの一部を紹介したが、この他、あらゆる広い分野でウニモグは「モクモク」と働き続け、果てしない可能性は止まるところのない魅力をのぞかしている。
ウニモグ誕生の歴史と日本の輸入販売
1945年秋、ドイツ・シュトゥットガルトに本拠を置く当時のダイムラー・ベンツ社で航空エンジンの開発責任者をしていたAlbert Friedrich(アルベルト・フリードリッヒ)が農業用車両として最初に図面を描いた。その後、工学関係者と農学関係者の緊密な協力によりウニモグの原型的なデザインを元にして、原料不足その他、様々な困難を克服して進化してきた。
1946年にErhard und Söhne社(エルハルト&ゼーネ社)の手で最初の6台が完成した。1948年、ウニモグの生産はドイツ南部のGöppinngen(ゲッピンゲン)にあるBöhringer社(ベーリンガー)に委ねられ、当社は1950年秋までに600台のウニモグを生産。その後、需要の伸びとベーリンガー社の生産規模の限界に鑑み、生産はダイムラー・ベンツ社の一部門として採用される事が妥当であると決定された。この決定にはダイムラー・ベンツ社製ディーゼルエンジンOM636が搭載されている事が重要な要因でもあった。
1951年6月にはダイムラー・ベンツ社のトラック工場であるGaggenau工場(ガゲナウ)からメルセデス・ベンツのウニモグ第一号が誕生した。これを機に、当初の2本角を持った雄牛の頭を象ったエンブレムは、メルセデス・ベンツのスリーポンテッドスターに置き換えられU401シリーズから装着された。
2002年にはガゲナウ工場の生産拠点を欧州最大のメルセデス・ベンツトラック工場であるWörth工場(ヴェルト)に移し、新工場で生産されたウニモグが8月26日にロールアウトした。同時に、この年はウニモグ新時代の幕開けでもあり、51年間に亘り累計32万台を生産したガゲナウ工場との別れを意味した。ウニモグの生産拠点だったガゲナウにある新ウニモグ・ミュージアムでは、2年の改築を経て2倍の展示スペースとなり今まで造られたさまざまなウニモグを観る事ができ、しかも試乗体験もできる。
さて、気になる生産台数であるが、ウニモグ・ミュージアムにあるウニモグ系譜をよくみると2021年までの累計では40万台となっている(32生産シリーズ/約350製造モデル/18製造モデルを伴う高性能農業用トラクターとしての4MB-Tracシリーズ)。
日本では、ヤナセがウニモグの販売を開始したのが1959年5月であった。翌年4月には、北海道の営林局に4台が配車された。当初の輸入元はヤナセの関係会社であったウエスタン自動車であったが、2005年11月以降はワイ・エンジニア株式会社(株式会社トノックスグループ)が輸入元となっている。最近では昨年2022年末に千葉県競馬組合の舟橋競馬場にウニモグが4台納車され、現在までの累計輸入台数は約1850台となっている。
まとめ
ウニモグの基本デザインは単に各要求を満たすのみならず、将来持続的に亘って基本設計変更を行わないで済む事を目的に設計されたのだった。ウニモグの基本的デザインの選択装備品について、ほとんど変更する必要がなかった事は、その最初のデザインが如何に優れていたものであるかを実証して余りあると言える。強いては、ウニモグは用途に応じてその目的を十二分に発揮し、今日ではあらゆる分野においてその活躍が最も期待される車両であると言える。
ウニモグの詳細はワイ・エンジニア株式会社のホームページをご参照ください。
TEXT:妻谷裕二
PHOTO:ウエスタン自動車、ワイ・エンジニアリング、Unimog Community&Museum、妻谷コレクション。
【筆者の紹介】
妻谷裕二(Hiroji Tsumatani)
1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味はクラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。