DTM のクイーンたち@富士インターナショナルスピードウェイ
2020年5月9日
サーキットのシークレットスター
彼らは人目を惹く女神たちであり、時にはレーシングドライバーたちよりも注目される。
レースクイーンと呼ばれている。
その日本人はとても親切な人だ。常に礼儀正しく、決して失礼ではありません。 消極的、ほとんど恥ずかしがり屋。 グリッドガールたちが近くにいない限り…。そのシャイな日本人はグリッドガールたちが出てくるや豹変する。そして突然失礼な野郎になる。目は殺気立ち、ひじを思い切り伸ばして、グリッドガールたちの最高の写真を撮ろうとする。
というか、彼女たちは日本ではレースクイーンと呼ばれている。その呼び名のほうがより適切かもしれない。なぜなら、チャーミングで、カラフルで、派手な非常に短い衣装を身にまとった甲高い声の持ち主たちがサーキットのシークレットスターだからだ。彼女たちを特集した雑誌があり、テレビ番組への出演があり、モデルとして契約をしていて、独自の大ファン層を持っている。彼女たちは週末のレースの目玉であり、スポンサーたちでさえ独自のレースクイーンを雇っている。
欧米のグリッドガールとは対照的に、彼女たちはイベントのためだけに雇われているだけでなく、チームと年間契約を交わし、シーズンを通してチームと同行しているのだ。グリッドの中は彼女たちをお目当てにやってくる人々でたびたび混雑する。写真を撮ることが目的だ。はたから見れば、レースの勝敗や、ピットのクルーのことなど、まるで眼中にないみたいだ。
ロイック・デュバルはその現象を熟知している。彼は日本でレースをし、2006年から2012年にかけてスーパーGTで戦い、2010年にはチャンピオンになった。「それは精神を高揚させる要素の一部で、ショーの一環なんだよ」と彼はAUTO BILDモータースポーツに語った。「彼女たちはここでは本当に敬われているよ」。#metooとそのサポーターたちが、薄着でグリッドに立つのはナンセンスだと叫びかねない時代に、DTMやスーパーGTにはグリッドガールが立ち続ける。F1はグリッドガール制度を廃止した。
「それはモータースポーツの一部だと思う、たとえ世界が変わっても。女性がそばに一緒にいてくれるのはクールです。車は魅力的だし、魅力的なクイーンたちがそばにいればより素晴らしい」。その現象をデュバルは一生懸命説明しようと試みる。「レースクイーンのためだけに来て、完全に興奮して、プレゼントを贈る人々を何度も見ました。クレイジーな経験です。しかし、私は日本のファンがカメラのシャッター音をカチカチたてるのを聴くのが好きです。彼らはそこにいて、200パーセント満足して帰ります。そのことが彼らにとって本当に特別なことなのです。そしてそれは彼女たちにとってもそうなのです。」特に彼女たちが本当に崇め奉られているとき。「スタンドにはグリッドガールたちのポスターさえありました」とドイツ人レーサー、ルネ・ラストは語り、「私のものは1枚もありませんでした」と付け加えながら笑った。他にも楽しい事実がある。レーシングドライバーの妻になった女性、またはガールフレンドのほとんどは、以前はレースクイーンだった。
日本ではファンがその年のレースクイーンオブザイヤーを選出することになっている。これまた楽しいイベントだ。「欧州とは少し異なります」と述べるのはドイツ人DTMレーサーのマルコ・ウィットマンだ。「とてもクールだと思います。ヨーロッパでは時代遅れではないかと言われます。しかし、女性たちがそのことを好意的に受け入れ、国がそれをサポートするならば、それはそれでいいのではないでしょうか。批判されるからといって、すべてを変更するというのはナンセンスです。」
Text: Andreas Reiners
Photos: Andreas Reiners