自動車史上もっとも美しいクルマ100台 Part1
2020年5月1日
デザイナー、歴史家、エキスパートで構成される国際審査員が、デザインを軸に、自動車史上、最高傑作車のリストを作成した。 さて、その美しく興味深い100台とは…。
第100位: アルファロメオ カングーロ
ベルトーネの従業員として、ジョルジェット ジウジアーロはアルファロメオTZレーシングカーのストリートバージョンとして、このクルマをデザインした。1964年のパリサロンに出展され、2000年代にレストアされた。
第99位: BMW i8
2013年にガソリンエンジン1基と電気モーター2基を搭載したモデルとして量産が開始された。 アドリアン ファン ホーイドンク率いるチームは、通常のミッドエンジンプロポーションに加えて、バタフライドアと洗練されたディテールをi8に与えた。
第98位: フォード タウナス17M (P3)
このP3により、ウェス ダーバーグとウーヴェ バーンセンは、1950年代にすべてのフィンとモールディングを引退せしめた。1960年、それはショッキングだった。流線型で、滑らかな曲面だった。 フォードはそれを「理性のライン」と呼び、一般的には「バスタブ」として知られた。
第97位: ドライエ175クーペ・ド・ヴィル
1920年代から1930年代にかけてジャック ソーチックはパリのコーチビルダーとして大成功をおさめ、その名をはせた。そして1949年、彼はこのタルガルーフのクーペ・ド・ヴィルによって、その存在を再び世に示したのだった。
第96位: マセラティ ボーラ
ジウジアーロが1968年に自分のデザイン会社(カロッツェリア)であるイタルデザイン(ItalDesign)を創立した頃に、マセラティからマセラティ初のミドエンジンモデルのデザインの依頼があった。彼のデザインしたボーラは1971年から量産化された。
第95位: ボルグヴァルト イザベラ
カール F. W. ボルグヴァルトは彼自身が、自分の会社(ボルグヴァルト)のチーフデザイナーだった。1954年、彼はこのモデルで成功をおさめる。無駄をそぎ落とし、装飾も少なく、デザインのギミックも駆使しない正攻法で。しかし、多くのデザイナーは、このデザインはクーペよりもセダンに向いていると指摘する。
第94位: フィアット ディーノ スパイダー
同じブランド、同じベースで作られたにもかかわらず、フィアット ディーノ クーペ(1967)とスパイダー(1966)はまったく異なって見える。ジウジアーロはベルトーネでさりげなくクーペを描き、ピニンファリーナはその膨らんだ形のスパイダーをデザインした。原案は1965年のピニンファリーナ自身のデザインスタディ、「フェラーリ ディーノ ベルリネッタ スペチアーレ」だった。
第93位: オースチン ミニ
ここではデザイナーはエンジニアだった。アレック イシゴニスは、ほぼ彼の最初のスケッチどおりの、エンジンを横置きした前輪駆動の小型車を発明した。1959年から2000年まで、数えきれないほどのミニが工場から出荷された。その形状が合理的であると同時に、人々に大きな喜びを与えるクルマであった。
第92位: フィアット124スパイダー
1963年、当時ピニンファリーナで働いていたトム ジャーダは、コルベットC2を見て、そのアレンジ版を描いた。彼は自分の描いたモデルを「ツバメ」と呼んだ。ピニンファリーナはショーに出展、スパイダーはGMのボスたちよりもフィアットのボスたちに気に入られた。
第91位: アルファロメオ ジュニア ザガート
当時、長方形のヘッドライトが求められていた。しかし、まだ存在していなかった。そこで、ザガートのナンバーワンデザイナー、エルコーレ スパーダは、フロントノーズの奥まった位置に4灯式ヘッドランプを配し、その前面をプレクシグラス板で覆った。みごとに引き締まったホットなモデルとして完成した。
第90位: モンテヴェルディ ハイ450SS
ペーター モンテヴェルディは本当にすべて自分でミドシップ ハイ450SSをデザインしたのだろうか? それともトレヴァー フィオーレのデザインしたアルピーヌA310をイタリアのカロッツェリア フィッソーレで見て盗んだのだろうか? 美しい車に関する、終わることのない、醜い議論だ。
第89位: デ トマソ マングスタ
これこそ1966年、ジウジアーロがギア(Ghia)のデザイナー時代に描いたイソ(Iso)のあるべき姿だった。
第88位: トヨタ2000GT
西洋人はもう我々をあざ笑ってはいけない! 1960年代の始め、ヤマハのプロジェクトで、デザイナー、アルブレヒト フォン ゲルツと野崎 喩はそれぞれにスポーツカーをデザインした。後年、トヨタがヤマハのプロジェクトを購入し、2台のデザインの良いところを組み合わせて、1965年に生まれたのが、日本初のスーパースポーツカー、2000GTだった。
第87位: フィアット パンダ(初代)
小さなクルマなのに室内にはたくさんのスペースがある。安くて、スマート、引き算のデザイン。フィアットに成功をもたらした1980年のジウジアーロの傑作。
第86位: フェラーリ テスタロッサ
ドライバー後方のフラットな180度V型エンジンの2列の赤いシリンダーヘッド(名前の由来)の間には、水平に置かれた12個のピストンが存在する。1984年のピニンファリーナにしては驚くほどアグレッシブなかたちの創作物は高さがわずか1.13メートル。素晴らしい。
第85位: フィアット600ムルティプラ
100台のもっとも美しいクルマ中、唯一のバン(Van)だ。1956年、設計者のダンテ ジアコーサは、運転席と助手席をフロントアクスル上に置くことによって、3.53メートルの車内に6人を収容できるモデルをデザインした。キャブオーバー式乗用車の最初の1台。
第84位: フェラーリ512S ベルリネッタ スペチアーレ
フィリッポ サピーノがピニンファリーナに在籍していたのは短い期間だったが、彼が1969年に、研究のためにデザインした、この非常に角張ったウェッジシェイプのスタイリングは、次世代のトレンドとなった。
第83位: オペル カピタン カブリオ グレーザー
独ドレスデンのコーチビルダー、グレーザー・カロッセリーが1939年にデザインしたコンヴァーティブルボディのカピタン。
第82位: リンカーン コンチネンタル
1939年からの第一世代リンカーン コンチネンタルは、ヨーロッパのグランドツアラーに対するエドセル フォードの答えだった。 V12を搭載したコンチネンタルは、流線型の達人、ユージン ボブ グレゴリーの手によってデザインされた。
第81位: ランボルギーニ350 GT
フェルッチオ ランボルギーニはベルトーネの元デザイナー、フランコ スカリオーネを招聘し、最初の生産型スポーツカーのデザインを託した。そして1964年、このトータルなビジュアルの美しさとインディペンデントサスペンション(独立懸架)を備えた350 GTは当時のフェラーリのモデルを古臭いものにした。
第80位: ロールスロイス ファントム I ヨンケーレ クーペ
1930年代の半ば、1925年製ファントム Iを購入したある人が、ベルギーのコーチビルダー、ヨンケーレに託した。ヨンケーレに託されたミッションとは、コンヴァーティブルをズタズタにして何か新しいものを創造しろというものだった。結果は歴史上もっとも印象的(衝撃的)なスタイルを身にまとったロールスロイスの誕生である。大きなテールフィン、2つのサンルーフ、そしてほぼ真ん丸なドア…。
第79位: メルセデスGモデル
1970年代、ダイムラーの商用車部門はカーデザインマネージャーに助けを求めた。チーフデザイナー、ブルーノ・サッコは即座に商用車部門をカースタイリング部門に統合した。そしてその最初のプロジェクトがGモデルだった。
第78位: フェラーリ458
当時のフェラーリのデザインディレクター、ドナート ココの指揮下で、ピニンファリーナは2009年にミドエンジン フェラーリ用のダウンサイズモデル、458を作成した。200km/h時に、140kgのダウンフォースが発生。グリルのウィングは高速時に変形する。
第77位: メルセデス Sクラス (W126)
周りの森林が死につつあるように見えるときに、どのようなSクラスを描けばいいのか? W116よりも控えめで、滑らかで、軽い。 ブルーノ サッコは1979年にW126を世に送り出した。
第76位: アルファロメオ モントリオール
そのプロポーションとBピラー上の排気口により、1967年のマルチェロ ガンディーニのデザインは、まるでミドシップにエンジンを搭載しているモデルのように見える。1970年、モントリオールの量産化が始まった。
第75位: ドラージュV12ラブールデッド
1937年、ジャン アンドリューが木製(!)のモデルを作った。そしてジャン アンリ ラブールデットがドラージュのシャシーを使ってボディを完成させた。写真はドラージュV12ラブールデッドに勝るとも劣らないドラージュD6 70(1936年製)
第74位: キャデラック エルドラード
たぶん、自動車メーカーでデザイン部門を最初に作ったのはキャデラックだろう。1927年のことだ。カルトとなったテールフィンの黄金時代は1948年に始まり、絶望的なほど楽観的な1959年のエルドラード ビアリッツで頂点に達した。今日、多くのデザイナーは、その宇宙的スタイリングがまやかしの手法だとして批判的だが、いっぽうで非常に好むデザイナーがいることもまた事実だ。
第73位: オペル ディプロマート Aクーペ
このエレガントなベーシックデザインを有するモデルは、GMのビル ミッチェルの下でデザインされた。インテリアはハブキャップやレタリングなどのアタッチメントとともに、リュッセルスハイムのオペルのアドバンスドスタジオで製作された。
第72位: AC エース
デザイナーのジョン トジェイロは、1956年にコブラと呼ばれる永遠のアイコンの基礎をつくりあげた。
第71位: フェラーリ330
ピニンファリーナのデザイナーで、のちにチーフスタイリストとなるアルド ブロヴァローネは、1966年にフェラーリ500スーパーファーストのフロントと、初期型275 GTSのリアを組み合わせて、スリムで小さく、控えめと言ってもいいようなクルマを作った。
第70位: ベントレーS1コンチネンタル
すべてのS1クーペは、コーチビルダーにボディワークが委ねられていたが、そのほとんどはH. J. ムリナーの手によるものだった。 このスポーツサルーンは1955年に登場した。