ホイットニー ヒューストンの愛してやまなかったポルシェ911カブリオ物語
2022年2月6日
ホイットニー ヒューストンが所有していたポルシェ911がアンマーランドにやってきた理由。ロルフ ヒルヒナー氏は、IT企業家として資産家となった。趣味は車、もっとも好きな映画は「ボディガード」だ。そこで彼は特別な歴史を持つポルシェを購入した。ホイットニー ヒューストンの愛車であった白い911カブリオである。その全容をレポート。
ロルフ ヒルヒナーは、いつも変わった取引をしている。
2011年、ニーダーザクセン州アンマーラント出身の起業家は、チロルにある2つの山、「アシャンプー(Ashampoo)1」と「アシャンプー(Ashampoo)2」を自分の会社の名前にしようと考えたことがあった。「残念ながら、オーストリアの国家が拒否権を発動したのです」とヒルヒナー氏は笑いながら語る。
そして2008年、彼は「グンペルト アポロ(Gumpert Apollo)」を入手した。独テューリンゲン州アルテンブルクで、20台ほどしか製造されなかったスーパースポーツカーだ。ヒルヒナー氏は、当時設立したばかりの自動車販売会社、「Netcar.de」の宣伝にこの車を使った。
友人のディーラーがホイットニーの911コンバーチブルを提供してくれた
そんな時、独ノルトライン ヴェストファーレン州の中古車ディーラーの友人から電話がかかってきた。彼は(音楽の)歴史を持つポルシェを持っているという。それは、アメリカの生んだ伝説のディーバ、故ホイットニー ヒューストンの白いポルシェ911カブリオだった。ヒルヒナー氏が現在所有している車が決して不足しているというわけではない。今現在、愛車を十数台所有し、普段はメルセデスの「Sクラス」に乗っている。しかし、「ボディガード」の大ファンである彼は、どうしてもそのクルマを手に入れたかったのだ。彼はその友人に、「君はどうか知らないが、僕は年をとってからよく泣くんだ」と、語っていたという。
長旅を続けるヒューストンポルシェ
彼女の愛車の「964」は、1991年4月26日、ニュージャージー州にあるニッピー社に納車された。それはマンハッタンに通じるジョージ ワシントン橋の真上にある、ホイットニー ヒューストンが経営していた会社だ。「ニッピーは彼女のニックネームだったんですよ」とヒルヒナーさん。
年月は流れ、2004年にポルシェは売却され、まずフロリダへ、そしてルイジアナへと渡った。
2012年、テキサス州のオークションに出品された。
そして2021年、再びオークションに出され、49,500ドル(約575万円)で販売された。そこからドイツに渡り、新しいウィンカーへの交換や、エンジンのオーバーホールが施され、高額な値段が付けられた。
「地獄のマシン」フェラーリ328GTSはヒルヒナー氏の世界ではない
ヒルヒナーはその価格上昇に気づいていたが、気にも留めていなかった。
これまでの人生で、クルマにはずいぶんお金をかけてきた。「フェラーリ328GTSも持っていたことがありますが、私には不向きでした」。あんなとんでもないクルマがあれば、ドライバーのドライビングスタイルがガラリと変わるかもしれない、と使用しながら気づいたと言い、「実際はもっと安全運転を心がける必要があるのですが、あのクルマはそんなことを考えさせもしませんでした!」と当時を振り返りつつ語った。
ホンダNSXの新車を172,000マルク(約1,150万円)で購入
ロルフ ヒルヒナー氏は、もう少し控えめで、まあ、控えめであることを好んでいる。
彼にとっては、隣人がどう思うかは関係ない。しかし、むしろ特別な作品にこそ興味がある。
「2001年式の1.2リッターTDIのアウディA2を2台購入しました。それから、VWのXL1を持っていますが、これは売り物です」と、教えてくれた。しかしその「XL1」は経済的なモデルではあるものの、購入者にとってはそうではない。ヒルヒナー氏はこの2シーターのために84,500ユーロ(約1,100万円)を要求している。数台のフェラーリを経て、1993年、ヒルヒナー氏は、日本製スーパースポーツカー、「ホンダNSX」の新車を購入した(新車価格: 172,000マルク=約1,150万円)。「今まで乗った車の中で最も美しく、最高の車だった」と語るヒルヒナーは、ドイツ向けに生産された最後の1台を含め、長年にわたって4台の「NSX」を所有していた。
約100台の車が出入りした
1980年代後半にアンチウイルススソフトの販売を始めたヒルヒナー氏は、「今までに全部で100台くらいは出入りしたと思う」と言う。彼はどうして、そんなにも多くの「カーウイルス」に手を出すのか?「1972年、私は文法学校を3回落第して退学になり、メットマンにあるワルター ホフゾンマー氏のガソリンスタンドで働くことになったのです。ワルターがビートルを買ってきて、まだ残っていた色で塗ってくれたんです。それでカエルグリーンのVWになったんです。その頃からクルマに夢中になり始めました」とヒルヒナー氏は懐かしそうに思い出を語った。
現在、「ビートル」は「SL」、「Z4」、「カルマンギア」と珠玉の名車に変貌を遂げ、ガレージに置かれている。あ、あと、イタリアの高級ヨットブランド「Riva」社とのコラボレーションにより誕生した「フィアット500」の特別モデル「リーヴァ」も愛車の1台だ。そして、そのきっかけは、「2019年末に、起業家の友人から、マヨルカ島に係留されている古いリーヴァのヨットの半分を買わないか?」と誘われたことだった。ヒルヒナーさんの奥さんは、残念ながらクルマへの情熱は「ゼロ」だが、小型ヨットなら乗りこなせるかもしれない、と思ったのである。「基本的に、私の世界(自動車)とは全く違う。でも、結構楽しいんですよ」とヒルヒナー氏は言って笑う。
一方、自称大富豪のヒルヒナー氏は、友人と共同で経営する従業員130人の会社で、主に電子メールマーケティングを行う会社(「クレバーリーチ」)の運営事業から撤退している。そのかわりに、船を走らせたり、ホイットニーのポルシェを買ったり、飛行機を飛ばしたり(同社は小型機を3台所有している)、他のことに使う時間が増えている。
次のプロジェクトは「修道院のガレージ」だ
現在、クリエイティブ・ヘッドが計画しているのは「修道院のガレージ」だ。古い赤レンガでできた建物で、高さ3mの木製の門、中庭、回廊がある。修道院の庭にある水踏みプールも。
「普段は修道士が泊まるところに、私の車を停めておくんです。すでに計画書は作成されており、2023年の着工を予定しています。おかしいと思う?」ロルフ ヒルヒナーの発想は自由奔放そのものだ。遊び心も。
ホイットニー ヒューストンのポルシェ911カブリオ
映画「ボディガード」の挿入歌も有名ではあるが、個人的には“I Wanna Dance With Somebody”がカーステレオの中で流れていた、あの頃を思い出す。そんなホイットニー ヒューストンがビバリーヒルトンで亡くなってからちょうど10年。今回の「911」はそんな彼女の愛車であるという。残念ながら細かい詳細な部分、例えばシフト周りの写真とかがないのは残念だが、写真を見る限り、きわめて上品でいい感じのボディカラーと内装コンビネーションである。まあこの「911」をガンガン乗り回すという使い方ではなく、さらっとお洒落にロデオドライブとかマリブビーチあたりを走るような乗り方だったのだろう。
白いボディの「911」を見ると、なんとなくそんなホイットニーの姿を連想してしまうし、48歳という若さで天国に行ってしまった彼女が本当に残念である。今生きていたら、どんな車を選んでいたのだろうか。
Text: Holger Karkheck
加筆: 大林晃平
Photo: autobild.de