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【ひねもすのたりワゴン生活】9日間、2000㎞のぐうたらワゴン旅 その9

2022年1月9日

そして、思い出の丹波篠山へ。

 8年前、取材行で写真家と2人、東京からクルマを走らせた先に広がっていたのは、里山という言葉が似合う穏やかな山村だった。いや、商店が並ぶ賑やかなエリアや幹線道路もあって、静かで品のある山間の街と言ったほうが近いかもしれない。その時は締切が迫っていたので、取材を終えたらさっと帰途につこうと思っていたのだけれど、着いてみたら想いは一変した。
 長年の経験で、その土地が自分に合うか否かは一瞬で分かる。分かるというより、身体が「ここに居たい!」とざわつくのである。大げさに言えば、「ここに居ろ!」と命じられる…という感じだろうか。この時も、そんな感じに包まれて、そのまま1,2泊してみたいと思った。人々が出入りする店で飯を食い、酒を飲み、話に耳をそばだてたかった。八百屋で地の作物を手に取ってみたかった。しかし、一刻も早く入稿しなければならなかったから、街に立ち寄ることも叶わず、インタビューを終えると一路東京へ向かったのである。
 さて、撮影の合間、取材先のご両親に特産の丹波黒豆の話を話を伺っていると、土地が疲れてしまうので、連作ができないのだという。しかし、少し先にある一角、宮内庁献上の豆を作る畑だけはなぜか毎年収穫できるのだと笑った。土って不思議ですねぇ…などと相槌を打ったものの、「そんな話を聞いたら、居ても立っても居られなくなるじゃないか…帰れなくなるじゃないか…」と、またまた心がざわついた。

大嘗祭に供えられる黒豆はこの地で作られていた

 だから、丹波篠山に行かない?と声を掛けられた時、そんな思い出が一気に湧き上がってきて、心が小躍りした。あの道、畑、山は変わらないだろうか。後ろ髪を引かれた街並みはどんな姿をみせてくれるのだろう…。旅とは不思議なもので、こうして縁と縁がつながり、愉しさや豊かさも結ばれていく。
 神戸から丹波篠山は思ったより近かった(とはいえ、元々位置関係すらまったく分かっていないのだからアバウトな話ではあるのだけれど)。桜の季節が迫っていたからだろうか…篠山城も賑やかで、臨時駐車場からの街歩きとなったが、とにかく風が優しい…空気が柔らかい…車から降りた途端に、あの時の直感が正しかったことを実感した。
 街並みは、昨今各地に現れるコンセプト至上主義の人工的な観光地と対極で、素朴で、ありのままの美しさがあった。もちろん、観光案内所や土産センターなどはよく見る姿だったけれど、それは致し方のないことだ。
 そんなことよりも、地元の人々が、明らかに観光客…よそ者の私に過分な愛嬌を振りまかず、かといって隔たりを感じさせることもない。…その塩梅がとても自然で心地よかった。
 取材の時に、この地は猪が獲れるという話が聞いていたのだが、歩きながら目を遣る先々にそれを想わせる光景が現れるのは新鮮だった。あの北大路魯山人が料理に目覚めるきっかけとなったのは、子どもの頃、義父に命じられて買いに出かけた猪肉だったという。自分なりに選んだ肉が褒められて、彼は「味」というものに興味を持ち、己の味覚に自信を持ったのだとか。ここならそんな味に出会えそうな気がした。
 しかし、この日の昼餉は「蕎麦」を選んだ。神戸を発つ時、美味しい蕎麦屋がある…と聞いたからである。西の方々がうどんに一家言持つように、東に住む者にとって蕎麦は譲れない食のひとつ(笑)。正直なところ、関西を訪ねても自ら蕎麦屋を訪ねたことは少ないけれど、篠山と聞いて興味が湧いた。
 美味かった。ちょっと戸惑ってしまうほど美味かった。蕎麦の香り、のど越しもよかったし、つゆも神田あたりのような切れのよさがうれしかった。ここに宿をとって、のんびりと散歩をして、昼下がりから蕎麦前で一献…なんてできたらどんなに幸せだろう。ますます丹波篠山が好きになった。
 通りに戻り、連なる店を眺めて行った時だ。八百屋の軒先でくすんだ灰色の芋が目に入った。伊勢芋だ。店先にごろりと無造作に置かれ、手書きの値札が貼られている。三重で和菓子屋を営む友人が、良質な伊勢芋を捜すのに苦労する…と言っていたのが頭を過った。

思いがけず美味い蕎麦に出会った喜び
この旅に出る時、丹波で蕎麦を手繰ることになるなんて夢にも思わなかった

 神戸に戻った夜、義姉はそれをすりおろした。その粘度に驚いたが、そのまま団子にして海苔で巻いて揚げてくれた。熱々を頬張ってみると、舌から喉へ旨み、コクが滲んでいく。そして、追うように鼻の奥へ仄かな土の薫りが広がっていくのだった。それはまさに土地の豊かさを感じさせるもので、あの黒豆畑の話をしてくれたご両親の笑顔が浮かんだのである。

視線を感じて見上げたら………(笑)

 まだ始まったばかりのクルマ旅…しかし、試合開始2,3ラウンドでKO寸前、フラフラなほどの楽しさを味わっていた。

【筆者の紹介】
三浦 修
BXやXMのワゴンを乗り継いで、現在はEクラスのワゴンをパートナーに、晴耕雨読なぐうたら生活。月刊誌編集長を経て、編集執筆や企画で糊口をしのぐ典型的活字中毒者。

【ひねもすのたりワゴン生活】
旅、キャンプ、釣り、果樹園…相棒のステーションワゴンとのんびり暮らすあれやこれやを綴ったエッセイ。