不世出の天才ドライバー センシティブな青年 アイルトン セナの素顔とプライベートライフ
2020年3月9日
フォトギャラリー:アイルトン セナ ダ シルバ(Ayrton Senna da Silva)
彼は史上最も才能のあるレーシングドライバーの一人と見なされ、全世界のアイドルになった。彼の死から26年が経とうとしている。 ブラジルのF1スターの物語。
おそらく最も才能のあるF1ドライバー、アイルトン セナ ダ シルバ(1960-1994)。ブラジルの恥ずかしがり屋で敏感な少年はヨーロッパにやって来て、F1で戦った。そして1988年、1990年、1991年にタイトルを獲得した。
カリスマレーサーは、急速なキャリアの過程で多くのブラジル人のアイドルとなり、国民全体の英雄であり誇りとなった。イモラでのレース中にセナのウィリアムズF1マシンがコンクリートの壁に衝突した1994年5月1日に、これらすべてが突然かつ悲劇的な終わりを告げた。数時間後、フォーミュラワンの星は死に、記憶だけが残った。
アイルトン セナ(1960-1994)は、F1ワールドチャンピオンを3回獲得しただけでなく、彼の成功と彼のカリスマ性により、世界的アイドルでもあった。F1のスーパースターが死亡事故で亡くなったとき、ブラジル中が泣いた。
70年代の終わりにシャイな少年はヨーロッパに来て、サーキットで戦い始めた。彼の最初のF1シーズンは、1984年、弱小トールマンチームから始まった。
しかし有名なチームは、若いブラジル人の膨大な才能をすぐに認識する。1985年、セナはロータスに移り、その2年後、エンジンパートナーとしてホンダを獲得した。日本製のV6ターボ搭載のロータスを駆って、セナは1987年にドライバーズチャンピオンシップでセンセーショナルな総合3位を獲得した。
その後、アイルトン セナはマクラーレンに移籍し、大ブレーク、大成功を収める。1988年、彼は英国の伝統的なレーシングチームと契約し、以降6年間で35の勝利と3つの世界タイトルを獲得した。
ホンダ製V6ターボエンジンの横でVサインをするセナ。その後ろには誇らしげなエンジニアたちが並ぶ。
成功トリオ:チームメイトのアラン プロストとマクラーレンのチーム ボス、ロン デニスとセナ。
モンツァでの勝利。セナは1992年のイタリアGPで優勝した。写真の右には、ベネトンで3位になった若き日のミハエル シューマッハの笑顔がある。
ファンは彼を愛していた。勝利したセナはブラジル国旗を手にポーズをとった。世界チャンピオンは非常にカリスマ的な男であり、長年にわたって国全体のヒーローだった。
惜しもく2位に終わった1991年の日本GPで、勝者のゲルハルト ベルガーと3位のウィリアムズのドライバーのリカルド パトレーゼとお互いを祝福しあう。チームメイトのベルガーは死ぬまでセナの親しく近しい友だった。
一方で、セナが常にライバルだと考えていた、フランスのアラン プロストとの関係はまったく異なっていた。コース上で、マクラーレンパイロットの2人は激しい決闘をした。 2人の「戦争」は、ワールドチャンピオンを決めた、1989年の日本グランプリで、チームメイトと無駄に争い、衝突し、お互いをコースの外へ押し出した。セナはクラッシュ後もレースを続行できたが、その後失格となった。
氷の沈黙。記者会見で、2人の乱闘者はお互いを無視した。
FIAチーフドクター、シド ワトキンスとセナ。2人は親友だった。ワトキンスは、1994年にイモラでセナが死んだ場面に駆け付けた最初の一人であり、致命的な重傷を負った友の命をなんとか助けようと努めた。ほぼ無駄と知りつつ…。
以下、セナの素顔と人間性が見て取れる印象的な写真の数々だ。
Text: AUTO BILD MOTORSPORT
Photos: Media & Marketing Network