モデナのマセラティスペシャリスト カンパーナ・オノーリオ社

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マセラティのスペアパーツが日本で容易に入手できるようになった。とりわけ比較的古めのマセラティの維持に苦労されているマセラティオーナーにとって、スペアパーツの入手に一筋のルートが広がったともいえる。その供給元となるイタリアのカンパーナ・オノーリオ社を、自らマセラティを乗り継いでいる筆者がレポートする。

カンパーナとは1947年にイタリア、モデナにて創業された歴史あるボディショップの一つ。
ご存知の通りモデナといえば、マセラティ本社の所在地であるエミリア=ロマーニャ州の中規模都市だ。モーターヴァレーと称されるほど機械工業が発展した恩恵により第3のイタリア(イタリアはほぼ3つに区分され農業中心の南イタリア、ミラノ・トリノを中心とする富裕層の北イタリア、中部イタリアは第3のイタリアと呼ばれた)と認知されたエリアにあり、フェラーリを始めとするスーパーカー誕生の地として知られている。カンパーナはそのモデナ市の旧市街から西方郊外の商工業地域に位置している。マセラティ本社からもクルマで行けば15分程度で行ける距離にあり、地の利を生かした常に強い提携関係があるのだ。カンパーナという名前は、今年4月に幕張メッセで開催されたオートモビルカウンシル2021で、マセラティクラブオブジャパンのスタンドに展示されていた「ギブリⅡ・カンパーナ・スペチアーレ」を見られた方々にも記憶に新しいと思う。このモデルはマセラティ社から公式にホモロゲーションモデルとなる予定だったが、マセラティが急転直下のフェラーリ傘下となったために、この計画はキャンセルとなった。現存するのはこの日本にあるたった1台だけだ。

カンパーナの創業は終戦直後の1947年。オノーリオとエラスモのカンパーナ兄弟は、馬車や自動車の製作修理をしているモデナのカロッツェリア・バケッリ社とベルトリーニ社で、見習工として雇われ、そこで修理の基本的な経験を積んだ。兄弟はバケッリ社、ベルトリーニ社をはじめ顧客からも信頼を得るようになり、ついに自らカロッツェリア・カンパーナを立ち上げたのだ。当初は戦後の混乱期の中、壊れた車両を修復・改造して業務用運搬車やオート三輪車などを製作していたが、戦後の経済復興に伴い生活必需用の自動車にニーズが高まり、フィアットの商用車をカスタマイズする仕事も増え、そのために従業員も増員して、事業は拡大していった。その後独立前から付き合いのあった同じ地元モデナのスタンゲリーニ社からのボディ製作を担うことになる。カンパーナが初めて製作したスポーツカーは、フィアット500トッポリーノにBMW2気筒エンジンを搭載したバルケッタで、スタンゲリーニとの長く続いているコラボレーションによって完成したものである。しかし、オノーリオとエラスモの兄弟は次第に道を分かち、オノーリオはスポーツカーに傾注し、エラスモはトラックに目を向けることになった。スポーツカー制作のオノーリオの評価は次第に認められ、マセラティとの提携関係も強まっていった。既にシトロエン傘下となった1968年頃には、ボローニャにあったマセラティディーラーが、最初にカロッツェリア・カンパーナを公式なボディワークショップとして承認している。時を同じくして塗装設備を増設したことによりフェラーリとのコラボレーションも開始されている。その後、デトマソ、アルファロメオ、ランボルギーニからのリクエストを請負うまでに至ることになった。デトマソ・パンテーラをグループ4参戦用にコンバートしたり、ランボルギーニ・ジャルパのボディ塗装なども請け負ったことなどが、カロッツェリア・カンパーナの名前を世に知らしめるきっかけとなった。当時デトマソグループのコントロール下であったマセラティは、ビトゥルボ以降の各モデルのテスト車両をカンパーナが製作することになるのだが、マセラティ本社が唯一の正式なボディショップと指定したのは、実はアレハンドロ・デ・トマソなのだ。同時にカンパーナが30年以上前に製作したマセラティ、フェラーリ、スタンゲリーニ、アストンマーチンの各スポーツカーのレストアも始めることとなった。その評価は次第にコレクターの間でも高い支持をうけることになり、自動車雑誌や自動車ジャーナリストはこぞってカンパーナに注目することになった。他のコーチビルダーもカンパーナのビジネスの展開に倣い追随することになる。

現在の工場は、モデナ旧市街から西方郊外の商工業地域のヴィア・ティートリヴィオに移転して、社名はカロッツェリア・カンパーナからカンパーナ・オノーリオに変更。工場の敷地面積は1万平方メートル以上を有する巨大な自動車修理工場だ。工場内には、前述の塗装設備や耐水テスト設備、ボディフレーム修復機などは、マセラティからのどんなリクエストでも対応できる設備がある。さらに全世界からクラシックマセラティのレストアはもちろんフェラーリやアルファロメオなどの各モデルのレストアも万全の体制で作業が可能である。あらゆる車種の修理を行うボディーワーク部門(ヴィンテージカー、ロードカー、 レーシングカーのレストア)と、ワークショップ部門は様々なサービスを顧客に提供する事業を展開している。そのためISO9001-2000を取得し品質の向上に常に取り組んでいる。 マセラティに関して、1958年から現在までマセラティ社から引き継いだ機械類および車体のスペアパーツを倉庫に保管しており、マセラティのオリジナルの金型と図面を使用して、市場に出回っていない部品を忠実に再構築し、約30,000コードのカタログを維持し提供している。

現在、マセラティをはじめとするイタリア車のパーツは、現行モデルをはじめとする比較的新しいモデルは、部品の供給体制は安定している。しかしながらそれより以前のいわゆるネオクラシックといわれるマセラティは悲惨な状況であることは間違いない。バブル期80年代後半からビトゥルボマセラティが大ヒットにより大量に日本で売れた。コンパクトなボディ、ウッドを多用した豪華なインテリア、ハイパワーエンジンに、バブル景気に沸いていた日本人の心を捉え、多くのマセラティオーナーが誕生したのだ。ところが俄かにビトゥルボを手に入れたオーナーは、定期的なメンテや消耗品の交換もしないまま乗り続けた結果故障して手放した。結局、中古車市場に出回ったビトゥルボにベストコンディションは見当たらず、挙句の果てに適当な修理をされたビトゥルボは評判をますます悪くした。しかし今でもデトマソ傘下のビトゥルボで初めてマセラティの魅力の虜となったマセラティファンは決して少なくない。やっと手に入れた彼らのビトゥルボマセラティであるが、日々レストアへ多難の道を歩むことになる。さらにマセラティをはじめとするイタリア車専門店でさえパーツ探しに一苦労している。最悪のケースはパーツが無かったら不動車となったビトゥルボからパーツを移植するという悪循環。その結果またこの世から1台のビトゥルボマセラティが消滅する運命にあるのだ。

このような背景の中、日本のマセラティオーナーにとってうれしい知らせが入った。 イタリア発のクラシックカーに関するウェブサイトRuote Leggendarieが一役買っているのだが、パーツ供給とレストアに関して神奈川県のRTREと福岡県のイデオートサービスがカンパーナ・オノーリオ社とパートナーシップを締結したのだ。これにより、1958年以降に製造されたマセラティをはじめビトゥルボマセラティのスペアパーツが日本でも比較的容易に手に入る可能性が高くなったということだ。
パーツの入手だけでなく、イタリアに自分の愛車を送り、かつてそのボディを製造したカンパーナにレストアしてもらう。その際に自分もイタリアに渡り愛車がレストアされる様子を見学したり、愛車が作られた町を散策してみても面白いかもしれない。

【筆者の紹介】
長山 隆一
何故、この国で魅力的なイタリア車が誕生するのか?マセラティに乗ってそう思った。それを探求するにはイタリアに行って、ドップリ浸からなければならないと思い、イタリアに行くようになった。世界遺産、自然、文化、街並み、料理、クルマ友達を沢山つくって、様々な体験をする。その時初めてイタリア車の魅力が解るはずだ。イタリア車を中心にイタリア情報を発信します。