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コンコルソ デレガンザ ヴィラ デステ2017&2018: ハイライトとウィナーズ…Part1

2020年3月6日

息をのむようなゴージャスなクラシックカーたち。 コンコルソ デレガンザ ヴィラ デステ2017と2018の最も印象的で美しい受賞車たち。

2018年のコモ湖のほとりにおけるコンコルソ デレガンザ ヴィラ デステの最も印象的で美しい受賞車は?F1レーサー初の出品も!

コモ湖のほとりで催されたコンコルソ デレガンザ(2018年5月25日から27日まで)は、なんと多くのライバルたちで埋め尽くされたことか!今年の美しくて速いクルマのセレクションのために世界各地から集まってきた名車の数々は、聴衆の中にいたエキスパートたちでさえ驚かせた。その中の1台は史上初のクラスエントリーをしたF1レーシングカーだった。それもこの最も有名な車だけが賞賛されるこの伝説的なビューティコンテストで!

しかし、プレミアクラスのレーシングカーでさえ、そのデザインに関して、点数がつけられる。そしてそのエントリーしたのが、6輪を備えたマシンとして1977年のF1レースに一大センセーションを巻き起こした、あの奇妙なTyrrell P34とあってみれば、観衆がエキサイトするのも無理はなかった。また、すべての車両が例外なくパレードに参加しゴールしなければならないことも印象的だった。複雑なテクノロジーを備えたクルマの複雑な起動手順、それ自体がショーだった。音の花火大会は長く続いた。

特別なフェラーリ335スポルトが”Best of Show”を受賞

最も美しい1台として審査員はこの夢のような1958年製のフェラーリ335スポルトを「ベストオブショー」2018として選出。

各分野のエキスパートで構成される審査委員会が決定した。夢のようなシルバーブルーのフェラーリ335スポーツが、その年の「ベストオブショー」に選ばれた。オーナーであるオーストリア人のアンドレアス モリンガーは、1958年にこの地ヴィラ デステでスカリエッティによってデザインされたレースカーに与えられた「トロフェオBMWグループ」を受け取った。これ以上希少なクルマはないだろう。335スポルト スカリエッティはわずか4台のみ作られ、3台のみが現存している。このクルマの価値は、現存する3台のうちの1台の、かつて行われたオークションにおける落札価格が参考となる。2016年、その1台はオーナーに3,210万ユーロ(40億円超)をもたらした。そしてこれまでで最も高価なフェラーリの1台となったのだった。

「Coppa d’Oro」賞はアルファロメオ33/2ストラダーレに

しかし多くの観客に圧倒的な人気があったのは別の車だった。アルファロメオ33/2ストラダーレ。 レーシングとロードゴーイングの2つの世界の間で最もホットでバランスのとれた画期的なモデル、「新しい世界、新しいアイデア:GTストーリー」を生み出したのがアルファロメオ ストラダーレ33/2(1968)だ。 非常にフラットで妥協のないストリートリーガルなレーシングカーは、運転するのに「ほとんどオートバイのような」ものなので、存在感があり正確だ、コレクターでもある、ストラダーレ33/2のスイス人オーナー、アルバート スピース氏は語る。大衆はこれまで以上に一体となって、熱狂的に、この危険なアルファ、名手フランコ スカリオーネによって大胆にデザインされ世界的に有名になったアルファロメオの名車を出迎えた。ストラダーレ33/2は「ベストオブショー」受賞車よりもはるかにたくさんの支持を獲得した。そしてその報酬として、オーナーが切望していた「コッパ ドーロ ヴィラ デステ」賞を獲得したのだった。

その他、1954年にピニン・ファリーナ(Pinin Farina)によって製造された1959年製ジャガーXK120 SEなどの個々の作品を含む、多くの優れたクラシックモデルに加えて、復元されていない車両のクラスが多くの注目を集めた。そこは、家族の世話だけで1世紀以上生き残ったスキャット25/35 HP(1913)のような極めて希少なクルマたちが到着した場所だ。同じ場所にいたにもかかわらず、イソ グリフォGL350(1967)、あるいは、シチリア島から数キロ離れたキャンプ場で、何十年もレストアされないまま生存していたランボルギーニ ミウラP400 SV(1971)などは、驚くほど注目を浴びていなかった。

イタリア北部、コモ湖のほとりで催されたコンコルソ デレガンザ ヴィラ デステ(2018年5月25日~27日)は、世界で最も閉鎖的かつ伝統的なクラシックカーミーティングの1つだ。F1レーシングカーを始め、参加車輛の分野はこれまでにないほど多種多様だった。一切の無粋なロープや柵がないことに注意。これはそういう「大人たち」のイベントなのである。
日曜日に、エキスパートで形成された審査委員会が決定。夢のような、シルバーとブルーのフェラーリ335スポルトが2018年の”Best of Show”を受賞した。4カムシャフトを備えた4リッターV12は、430馬力から時速300 kmを超える最高速度を発揮する。満面の笑みで会話するオーナー?とゲスト? 車にも人にも華がある。
目の肥えた観衆の一番人気はフェラーリ335スポルトではなく、このアルファロメオ 33/2ストラダーレ(1968)だった。ブリティッシュジョークとして、ビューティフルをもじった”brutiful”という言葉がある。猛々しいと美しいを兼ね合わせた言葉だ。車高はたったの99センチの公道用レーサーでもあるスポーツカーは260kmの最高時速を発揮する。
“Coppa d’Oro Villa d’Este”賞のトロフィーを手に喜ぶ、ストラダーレ33/2のスイス人オーナー、アルバート スピース氏と夫人のリタさん。彼らはまた、「最もよく保存された戦後の自動車に対する賞」も受賞した。彼らのアルファの、ほとんどオリジナルのままの状態が、多くの人に感銘を与えた。20年以上の間、このクルマはローマの近くのアルファ ディーラーのショールームに在った。
2018年のコンテストは「湖上のハリウッド(Hollywood on the Lake)」をテーマに開催された。「銀幕のスター」クラスには、このBMW 507(1958)が出場した。1963年にエルビス プレスリーが購入して、俳優仲間であるウルスラ アンドレスに贈ったことで有名だ。彼女は当時007第一作「007 Dr. No」のボンドガールとしてすでに世界的に有名だった。
アメリカ人コレクターは、主題にふさわしい、このアストンマーティンDB5(1964)をヴィラ デステに持ち込んだ。いうまでもなく、ショーン コネリーが、伝説のジェームズ ボンド映画「ゴールドフィンガー」と「サンダーボール」の撮影中に操縦したクルマだ。 40年以上にわたり、このアメリカ人コレクターは彼のリビングルームにこのクルマを置いて眺めているという。「JB007」のナンバーを持つこの車は実際に撮影に使われた車そのものではないが、007ボンドカーとして世界的に有名な一台である。
この素晴らしい小さなクルマが多くの人の目を引いた。映画での出番こそなかったが、非常に魅力的なモデルだ。このフィアット500スピアッジャ(1958)は、元フィアットのボス、ジョヴァンニ アニエリの所有車で、有名なコートダジュールにある彼の別荘とヨット(といっても客船ぐらいの大きさがある)の間を往復する普段の足として、愛用していたものだ。小さなビーチカートはレストアされることなく、当時の姿のまま生き残った。濡れた水着のままでも大丈夫なように籐を編んで作られたシートと、優雅で美しいサイドシル(無垢の木製、なのだろうか?)が絶妙に美しく優雅である。
2018年の参加者リストにも有名な名前がたくさん載っている。自身、元テニスプロで、ボリス ベッカーのマネージャーであった、イオン ティリアックは、クラシックの収集を趣味としている。今年、彼はメルセデスベンツ540KカブリオレA(1937)をコモ湖に持ち込んだ。ちょっと近寄りがたい雰囲気の姿が、赤いメルセデスとミスマッチしていておかしい。
1970年に作られたランチア ストラトス ゼロは観衆から大きな拍手をもって迎え入れられた。マルチェロ ガンディーニが半世紀前にベルトーネのためにデザインした過激なウェッジモデルは、車高がたったの84センチメートルであり、今日でも未来的デザインに映る。ただし実際に乗ってみると、灼熱地獄のように熱く、息苦しく、猛烈な視線に耐えなくてはいけない。
「80年の自動車考古学」クラスでは、このスキャット25/35 HP(1913)がエントリーし、その希少性を観衆に披露した。104年間、このクルマは最初のオーナー一族のもとで守られてきた。2017年に、コレクターのコルラド ロプレスト氏が購入し、細部を修正した。なんともユーモラスなライト周辺の表情と、ラッパが楽しい。
お金が問題ではないなら、このギアのデザインした絶妙なボディをまとったキャデラック シリーズ62のように、特別デザインの車両も楽しめる。1953年、当時世界の超富裕層の1人であったアリー カーン王子は、この高貴なイタリアのシートメタルドレスを身にまとったアメリカの高級自動車をオーダーした。そして妻のハリウッドスター、リタ ヘイワースに贈った。しかし2人はその少し後に離婚する。リタ ヘイワースは、映画『コンドル』や『ギルダ』に出演し、セックスシンボルとして絶大な人気を誇った。アリー カーンやオーソン ウェルズ(ほか)らを含め数回結婚している。
エレガントなハッチバックだが、1949年ベントレーMk IVは巨大なボディを有する。 ロンドンのコーチビルダーであるH. J. ムリナーは、かつてこの軽合金ボディを3体製造した。その優雅さは当時のベントレーにとっては非常に珍しいものだった。職人技としてのクオリティの高さも抜群で、審査員たちはこの車に、「Trofeo Julius Bär(トロフェオ ジュリアス バール)」賞を授与した。ブリティッシュグリーンのボディが、今まさに審査員席に滑り込んでいこうというワンカットである。
パッカードは、自動車の歴史において、残念なことに失われた偉大な名前の1つだ。 かつてパッカードがどれほど人気を博し、世の中を走り回っていたかは、このパッカード スタンダード エイト(1932)のスポーツフェートンボディが証明してくれる。 現在の所有者であるオランダ人のマーク ファン レーベン氏は、86歳の高級車の3番目のオーナーだ。ホワイトリボン、(というにはあまりにも太いが)のタイアが、赤いセンターキャップとワイヤースポークホイールのメッキと素晴らしくマッチしている。
1936年、ピニン・ファリーナ(Pinin Farina)は、穏やかでエレガントなラインを備えたこのシリーズ3のこのランチア アストゥーラをデザインした。全部で6台か作られておらず、この1台もほとんどレストアされていないため、「最高の保存状態の戦前の自動車」クラスの「トロフェオFIVA」賞を獲得した。かたわらのダンテ像や、後方のテラコッタの植木鉢がこの上ない小道具となっている。
このブガッティ59(1934)は、フランスのブランドの名声を後世へと導いた。250馬力を発揮するスーパーチャージャー付8気筒レーシングカーは、かつては工場で使用されていたものだ。現在のオーナーは、毎年のように、このブガッティでミッレミリアに参加している。ブガッティ59は、4台しか生産されなかった、本当に希少なる車である。
このクルマがわかるかどうか、内部の関係者でさえ、その知識が試される。一切のエンブレムが見当たらないし、判別するべきロゴなども、このアングルからではわからないからだ。スカリエッティのイタリア製板金ドレスを纏ったシボレー コルベットだと判別できる人は誰でも、真のエキスパートとみなされる。1959年に作成されたこの組み合わせは、当時のフェラーリモデルを連想させる。
コンコルソ デレガンザ2018のサプライズクラスには、このティレルP34を含むF1レーシングカーが登場した。1977年、ティレルはこのモデルによってF1界にセンセーションを巻き起こした。6つの車輪を備えていたのだから。一見滑稽に見えるが、好成績も挙げている。このP34は、かつて、スウェーデン人レーサー、ロニー ペターソンが乗ってレースしていたものだ。
このフェラーリ250 GTO(1962)は、ヴィラ デステのすべてのクラスのクラシックカーの中で最も価値のあるものの1つであるだけでなく、イタリアのメーカーのレーストラックモデルとしても大成功を収めた。審査員たちは、最も象徴的な車に与えられる「トロフェオ ヴランケン ポメリー(Trofeo Vranken Pommery)」賞を授け、その功績を称えた。
元ランボルギーニ ファクトリーテストドライバーのヴァレンティーノ バルボーニは、もちろんランボルギーニ ミウラP400 SV(1971)のことはよく覚えている。この初期の一台はシチリア島に送られ、1981年まで愛用されていた。そして奇跡的に今日までほぼオリジナルの状態で生き残った1台だ。
このイソ グリフォGL 350(1967)は、2015年までシチリアのさる洗濯屋の裏に隠されていたものだ。その最初のオーナーである実業家は、スポーツカーを56,000キロだけ運転した(日曜日でも、パン屋までの移動にとどめておいたのだ)。2006年に彼が亡くなったとき、彼の子供たちはまったく手付かずのままこのイソ グリフォを洗濯所からサルベージし、2015年に新しいオーナーへ涙とともに売り渡したという。