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AUTO BILD KLASSIK編集部が選ぶ50台の最も美しいクラシックカー 後編

2021年7月9日

我々はクラシックカーが大好きで、愛してやまない。
年を追うごとに、より多くの車がクラシックカーとして成熟し、Hナンバーを取得し、クラシックカー愛好家の注目を集めるようになっている。
クラシックカーに乗るということは、毎日の過酷な通勤や、冬の塩分を含んだ道路を走ることから解放されることを意味する。

多くの人にとって、最も美しいBMWの一つであり、80年代の夢の車、それがBMW M5(E28)だ。

走行距離が少なくても、暖房の効いた駐車場や高額なメンテナンスが必要なクルマは?
車両価格以上のコストでレストアされるべき車は?
30年以上経過した車すべてがそうではない、それだけは確かだ。
しかし、夢のようなクラシックカーライフを送るために「アウトビルトクラシック(AUTO BILD KLASSIK)」チームが、価値のある50台を選ぶ。
老朽化した技術を誇張して維持することに価値がある車。
外が晴れていても、作業場で手を汚す価値のある車。
そのためには、時には自分のシャツを脱ぐことも必要だ。
それらはすべて、我々が愛する、あるいは全力で愛したいと思う1台のクルマのためにあるのだ。

夢のようなクラシックカー50選

我々はそれを知っているし、あなたたちも知っている。
現在の自動車の大半は、日常的にはスマートなパートナーであるかもしれないが、我々の目には個性がないように映る。
我々が好きだと思う50台のクラシックカーの価値観を押し付けるつもりは毛頭ないが、それでも「ジャガーEタイプ」、「ランドローバー」、「メルセデスW116」など、絶対に見逃せないクルマはある。
以下、フォトギャラリーでは、人生のための、あるいは夢のための、「アウトビルトクラシック(AUTO BILD KLASSIK)」編集部の選んだ、50台の素晴らしいクラシックカーをご紹介する。
豊富な知識を備えた通人の集まりである、「アウトビルトクラシック)」編集チームならではの、新旧取り混ぜた、ユニークで楽しいラインナップとなっており、思わず微笑んだり、驚いたり、なるほどと納得したり、今まで知らなかったクルマが登場したりと、存分に堪能できる内容となっている。
エンジョイ!

Photo: Werk

ランボルギーニ ミウラ: 説明は省略というか不要だろう。新しいスーパーカーの世界を創造するビッグバンだったのだ。一度でも運転したことのある人は、あの寂しい峠道に何度も戻りたいと思うものだ。
ドライバーの後ろに横置きされた12気筒エンジン、フラットなボディに特徴的なプラスチック製のまつげがついた跳ね上げ式ヘッドライト、軽量化のためのパンチングフレーム。そして、急に意地悪になることもあるハンドリング。
大林晃平: 世界一美しいスポーツカーは、このミウラという評価はもう永続的なものなのだろう。フランク シナトラ、サミー デービスJr.、パーレビ国王をはじめとする世界中の王族などなど、この車を愛した者は多い。冷却性と騒音問題はつねにミウラにつきまとい、耐久性とか快適性などは期待すること自体が間違い。でもミウラのような車は美しいなぁ、格好いいじゃん、それで十分。もうこういうストレートに美しい、ごてごてエアロパーツなどを持たないスーパースポーツカーは二度と現れないのだろうか?
Photo: Sassen

ロイド アレクサンダーTS: マジで? そうなの!? なぜなら、すべてのスポーティなスモールカーの祖先だからだ。まだハッチバックも発明されていなかった。25馬力と傾斜したリアアクスルを持つ1958年の「アレキサンダーTS(ツーリングスポーツ)」は、「ビートル」を脅かすのに適していた。この車は、A地点からB地点に移動するだけではなく、小さな人たちが楽しめるようになっていた。
大林晃平: ロイド? なにそれ? な人のためにちょっとだけ解説しておくと、ロイドは、ドイツのロイド海運会社の子会社であり、ドイツの著名な工業地帯である、ブレーメンで作られたドイツ車である。この写真の「アレクサンダー」は、ロイドの中でも非常に多く作られた車種で、ざっと17万台以上が作られている(驚くほど多い)。残念ながら会社そのものが経営破綻してしまい、1960年代には姿を消してしまったが、この写真のモデルはなかなか上品なカラーリングで素敵な小型車である。
Photo: Bernd Ahrens

Photo: Uli Sonntag

BMW M5(E28): 羊の皮を被った狼。スーパーカー「M1」直系のエンジン「M88/3」は徹頭徹尾、黒子に徹する。「ビジネスマンズエクスプレス」の先駆けだ。
現在では、現行M5の560馬力に感動する人はいないが、1985年のM5の286馬力と251km/hの最高速度が巻き起こしたセンセーションはすさまじいものであった。フェラーリ328のエンジンよりも高出力である。
大林晃平: 「羊の皮を被った狼」という有名なフレーズは、この「M5」のようなクルマのために本来ある。そもそもの歴史は「M535」にさかのぼるが、とにかく普通の5シリーズにBMWのモータースポーツ部門特製のエンジンを積んだ車、それが本来の「M」なのである。当時はもちろんMTのみ、また見分けるポイントはバッチと太いタイヤくらいだったため、バッチをとって「普通の5シリーズを装う」といった粋人が多くあらわれた。このころの「M5」に比べると、今の5シリーズは化け物のように高性能で、その姿も迫力満点、ちっとも「羊の皮をかぶっていない狼」、なのである。
Photo: Werk

メルセデス・ベンツ450SEL 6.9: こんなにも真剣にクレイジーなものはない。70年代最大のエンジンを搭載したW116と呼ばれるブリキの権威は、企業の上司や首相のためのメルセデスだ。
「ユーバーSクラス450SEL 6.9」として、この高級セダンはシュヴァーベンの技術的な強さを象徴していたが、すぐにファンを獲得したにもかかわらず、後継車は出なかった。ハイドロニューマチックサスペンション、ロングホイールベース、エアコンが標準装備されていた。
大林晃平: 個人的にメルセデス・ベンツのセダンで、圧倒的に好きなのがこの「6.9」だ。普通の「450SEL」でも十分高性能なのに、特別な靴ベラで押し込んだと言われた6900ccエンジンを積み、外見は「6.9」のバッチのみのが判別点、と魅力満載。もちろん性能は圧倒的で、下手にアクセルを踏むとあっという間にホイールスピンしたという。
日本には正規輸入されなかったが、少数が並行輸入され、また「6.9」のバッチがたくさん輸入され、450SELとか280SEに貼るのが流行ったという。本国ではバッチを外すのが流行ったというのに……。
Photo: Goetz von Sternenfels / AUTO BILD

Photo: Angelika Emmerling

アウディ スポーツ クワトロ: 新しい世界を切り開いた。アウディのスポーティなイメージは、何よりもスポーツクアトロに支えられている。306馬力の「スポーツ クアトロ」は、220台しか生産されなかった。当初の価格は204,000マルク(約1,380万円)という天文学的な価格だった。
世界ラリー選手権でランチアとプジョーに一泡吹かせるために、リンゲグループが「ショートワン」を送り出す以前は、アウディとその顧客は、よく言えば価値に保守的であると考えられていた。
大林晃平: 戦うための車。ラリーで優勝するためにはなりふり構ってなんかいられないよ、という言葉が聞こえてきそうだ。実際にこの写真だけで見ると、ものすごくショートホイールベースで、どことなくチョロQのようにアンバランスに見えるが、実際に車を目の当たりにすると、そんなことを思う隙のないほどぎゅっと凝縮された情熱、のようなものを感じる。格好ではなく性能、そして成績。これほどまでに割り切ったアウディは今までにない。
Photo: Lena Barthelmess

モーガン+8: このデザインは、歴史のあらゆる崖を越えて、シミジミと進むことができた。1936年にモーガンが初の四輪車を発表して以来、モノはほとんど変わっていない。1968年からは、ローバー製のV8エンジンを搭載したモーガンが登場した。このワイルドなロードスターの化石が十分にポップでないとしたら、あなたはこの世界にはタフすぎる。+8のドライビングは五感に過剰な刺激を与えてくれる。
大林晃平: 今でもモーガンは文字通り昔ながらの手作り工房である。この「+8」は8気筒モデルだが、モーガンといえば、言うまでもなく木のフレームで作られている、というのが有名。しかし、もちろん自動車すべてが全部木であるわけもなく、ちゃんと(?)鉄のはしご型フレームを持ち、随所に木を部分的に使っている(当たり前ではある が、クルマ一台全部木というのはさすがに無理すぎる)。ちなみに80年前になんで木を使ったかというと、そのころは木こそが「軽量な素材」であったがため、である。
Photo: Bernd Hanselmann

Photo: Werk

ウニモグ: その名に恥じない普遍的な機械だ。1940年代末、シュヴェービッシュ グミュントにあるエアハルト&ゾーネ社で、トラクターとトラックを合体させた独創的なモデルが考案された。そして、メルセデスが買収するまでは、ゲッピンゲンのベーリンガー社で製造された。
これまでに製造されたウニモグの半数以上が今でも走っている。「不滅」という言葉は、万能の天才ほど似合うものはない。
大林晃平: 「ウニモグ」、これこそがメルセデス・ベンツの中のメルセデス・ベンツ。まごうかたなきメルセデスの頂点は「Sクラス」でも「ゲレンデヴァーゲン」でも、「マイバッハ」でもなく。「ウニモグ」である。「ウニモグ」とは「Universal Motor Geret」の略であり、日本語で言えば多目的動力装置、ということ。そうメルセデスの本当の姿は、こういう働く自動車であるべきなのだ。写真はかなり前の「ウニモグ」だが、今でももちろん「似たようなもの(シリーズU219/U319など)」を新車で購入可能。自動車をとことんこき使って作業する職種の方は、どうぞ迷わず「ウニモグ」をお買い求め下さい。1000種類とも言われる専用アタッチメントがあなたの要求と期待を裏切りません。
Photo: Markus Heimbach

Photo: Werk

フィアット500ジョリー: この車ほど人生を甘くしてくれる車はない。ギア社は、当時のフィアット副社長アグネリの要請を受けて、ブリキの切れ端を使って、フィアット500に籐の椅子を載せた風通しの良いビーチカーを作り、日当たりの良いマリーナの前に置いた。
その後、日よけ付きのバスケットが量産されたが、わが国(ドイツ)ではVWビートルよりも高価だったため、顧客にはあまり喜ばれなかった。
大林晃平: 小粋でお洒落なビーチカーの最高傑作がこれ。ちゃんとメーカーが作っていっていたというのがなんとも良いセンスである。オナシスやハリウッドスターもこぞって購入し、自分の敷地内でちょっとそこまで、と乗っていたらしい。ワイパーもないし、もちろん雨が降れば、はいそれまでよ。でもそんな実用性を語ること自体、野暮ってもんです。お洒落なサンダルに実用性や耐久性など不要であるように、あくまでもさらっと乗って、さらっと降りる。あとは召使いが整備して次の夏まで車庫で保管、そういう自動車なんですから。
Photo: Angelika Emmerling

Photo: Werk

シェルビー コブラ: フェラーリに悪魔のような排気量の怖さを教えた。テキサスの養鶏業者であるキャロル シェルビーは、60年代に最も毒のあるヤンキースポーツカーを作った。
それは、ACエースというリーフストラングの島型ロードスターに、フォードの棚にあった太いエンジンをボンネットに積むというものだった。特に、「シェルビー コブラ427」は、7リッターV8で500馬力を発揮した。
大林晃平: 映画「フォードvsフェラーリ」でも主役を張った(?)コブラ。乗りこなすのにはもちろん豪胆な精神力と強大な左足の力と腕力が必要。今のフェラーリと違い、免許取り立ての人には絶対に無理。でも本来スポーツカーというのは乗り手を選ぶものなのではないだろうか。男らしい自動車の最右翼。レプリカも世の中に多数あるが、いずれにしろ乗りこなせたならば、あなたはまごうかたなき「漢」である。
Photo: Alexandra Lier

マクラーレンF1: 90年代にスーパーカーの頂点に立ったマシンだ。最高速度370km/h、秒速103mは、20年後の「ラ フェラーリ」でも実現していない。
1997年のル マン優勝車に搭載された600馬力の12気筒エンジンは、BMWが供給したもの。奇妙なことに、「F1」はドライバーが中央に座る3人乗りであるため、イギリスからの輸出のための改造費を節約できたという逸話もある。オリジナルの価格は140万マルク(約9,500万円)!
大林晃平: ゴードン マレーの最高傑作はこの「F1」なのではないだろうか。一切の妥協を許さず、徹底的に利益を度外視して作った自動車。今度の「T.50」であっても、この「マクラーレンF1」の持つ絶対的な世界には近づけないものがある。完璧、完全なスーパースポーツというのは、まさにこの「マクラーレンF1」のためにある言葉ではないだろうか。
Photo: Uli Sonntag

オペルRAK: オペルはかつて、ロケットの束の下に4つの車輪をボルトで固定するほどクレイジーだった。1928年4月、ロケットを搭載した最初のオペルがサーキットを疾走し、センセーションを巻き起こした。そして、1928年5月23日、アダムの孫であるオペルの「ラケッテンフリッツ」は、120キロの爆薬を搭載した「RAK 2」で、ベルリンのアヴスアウトバーンを時速230キロで疾走した。世界記録には届かなかったが、何千人もの観客はとにかく気に入ってくれた。
大林晃平: こういう破天荒なモデルがオペルにあったことには、驚くほどしかない。いくら現代のブガッティが1000馬力で400km/hを記録したところで、そんなラグジュアリーな体験などこの「RAK」の前ではお金持ちの余技である。1920年代にはこういった「ロケット自動車(ロケット汽車も存在した)」が記録を達成するために多く存在したが、とにかく偉いのはそのドライバーである。命を懸けて勇敢に記録に挑むドライバー、ロケットに点火された瞬間「やっぱりやめておきゃよかった」とか、後悔しなかったのだろうか・・・。
Photo: Werk

ランチア ラムダ: 他の車よりも軽く、軽快で、回転数も高く、低重心で、独立したフロントサスペンションを持ち、両輪にはブレーキが付いていた。そして、各ホイールにはブレーキがついていた。
自動車産業がまだ原始時代にあった頃、ランチアは明日の車を持ってきた。独立したボディ、キングシャフトエンジン。ラムダは、ベントレーのトラックをはじめとする競合他社を圧倒した。
大林晃平: 伝説のジャーナリスト、故小林彰太郎先生が、「無人島に一台のクルマと島流しにあうとしたら、迷わずラムダを選ぶ。一生分のタイヤをそえて」、と記されているのを今でも覚えているが、ラムダのどこにそれほどの魅力を感じ、一生の伴侶に選んだのだろう。どうして「オースティン セブン」ではなく、「ブガッティ」でもなく、ましてや「シトロエン エグザンティア」でなく「ラムダ」なのだろう、とずっと疑問に思っていた。
その回答はおそらく自分で所有し、自分のガレージで、自分の手を汚し、悪戦苦闘しながら魅力的な機構のひとつひとつをパズルでも解くかのように検証しなければ、本当の核心には到達できないだろう。だが、この写真を眺めていたらどことなくその佇まいが小林先生に似ていることに、今、気が付いた。
Photo: Markus Heimbach

ファセル ヴェガHK500: 先鋭的なルックス、サウンドがここにフィット。さあ、ゴッサムシティを走ってジョーカーを追いかけよう。フランスの高級ブランドは、当時のジェットセットのために車を作っていた。パリで10年間だけ作られたが、アンティーブでもよかった。1958年、クライスラー製の5.8リッターV8を搭載した洗練された大型クーペは、ファセル社の創業者であるジャン・ダニノスが自らデザインしたフォルムを備えていた。
大林晃平: 「ファセル ヴェガ」を愛していた女性がいた。雰囲気も佇まいもこの車に本当にぴったりで、「ファセル ヴェガ」の名前を聞くたびに、その人のことだけ思い出してしまう。ノーブルで、崇高な雰囲気を持ちながらもどこか妖艶、そんな「ファセル」は、乗り手を激しく選ぶ車だと思う。誰もが似合わない、オーナーを限定する自動車、今の世の中にこういった雰囲気のクルマはない。そして「ファセル」の成り立ちを理解したものだけが許される世界なのだろう。
Photo: Lars Busemann

Photo: Privat

メルセデス・ベンツ300SLガルウイング: 1950年代のボディビル時代を象徴する存在。誰もが知っている300SL。W198を1400台生産して60台しか国内に残らず、そのほとんどをアメリカに輸送していた時代のこと。
1950年代の夢の車を運転するのは、目にも耳にも楽しいものだということは、ブリキのガルウイングの下から車内を覗かせてもらったことのある人なら誰でも知っている。その点は、今も何も変わっていない。そして、それがこの車の走りなのだ。
大林晃平: ゲルマン民族の誇り。「Eタイプ対300SL」は、「スピットファイア対メッサーシュミット」であったともいえる。メルセデス・ベンツの歴代のクルマの中で最高の一台とは?と聞かれた時に、セダンであれば「6.3」だとか「いや6.9だ」、「500Eに決まってる」などと意見が分かれるだろうが、スポーツカーといえば「300SL」と圧倒的に票が一致することは明らかである。
その「300SL」のエンジンは生産車として、世界で最初の(ガソリン)燃料噴射エンジンであり、言うまでもなく6気筒であった。その名の通り3リッターの直6エンジンは215馬力を発生し、4MTと組み合わされ、当時の最高の高性能車であった。
もちろんガルウイングドアやルマン、石原裕次郎と力道山、といった300SLの名声を、ここまで高めるためのアイテムは多数あるが、シルバーがもっとも似合うメルセデスは、永遠にこの「300SL」であろう。巨人軍の「3番」みたいなものである。
Photo: RM Auctions

アルファロメオ1900スプリント: ピニンファリーナのデザインは、もちろんフェラーリだけのものではなかったし、ほかにもベルトーネ、ギア、ヴィニャーレなどのアーティストも、ミッレノベ(アルファロメオ)のためにシートメタルドレスを仕立てた。
幸運なことに、彼らは後にアレーゼで楽しい105シリーズのクーペを製造していたため、いまでもこんなクルマを見つけることもできる。
大林晃平: アルファロメオに特別なボディを仮装する、最近(でもなく、もうネオクラシックではあるが)では、そんな例に「SZ」などもあったが、その昔はもっと優美で本当に飾っておきたいようなデザインのクルマが多数あった。この「1900」もその一台であり現在の世の中で見ると、なんともほっとするような暖かいデザインだ。特にリアの曲線美は文句なしのバランスだし、アルファロメオのグリルも完成されたプロポーションといえる。エンジンも言うまでもなくDOHCであるし、先進的なサスペンションを持つなど、60年前の車とは思えないほど、当時のアルファロメオは進んでいたのである。

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