AUTO BILD KLASSIK編集部が選ぶ50台の最も美しいクラシックカー 前編

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Photo: Werk

オペル カピタンP-LV: オペルは経済的奇跡の時代に、素晴らしく豪華な運転手付きの車を作っていた。リュッセルスハイムの大型車は、当時のドイツで最もアメリカ的な車であり、ドイツ人が海外に憧れを抱いていた好景気の時代の嗜好に合致していた。
「カピタン」のボンネットの下には、排気量2.6リッター、90馬力の6気筒エンジンが搭載され、(今日の基準から見ても)信じられないほど滑らかな走りを実現していた。
大林晃平: オペルの中でも「カピタン」は大きく豪華でラグジュアリーな車だった。つまりこれはメルセデス・ベンツでいうところの「Sクラス」のようなものである。そしてその中身はアメリカに寄った内容のもので、乗り味は鷹揚で優しいものだったと当時の自動車誌のインプレッションには記されていたことを覚えている。そんなオペルも今やステランティスグループの一員で、プジョー・シトロエンと兄弟車になる時代となった。カピタンがそのことを知ったら目を丸くするだろう。って、ライトは最初から丸いですが(おあとがよろしいようで・・・)。
Photo: Bittmann

ヴォワザンC-25エアロディーヌ(Voisin C-25 Aérodyne): 彼は信念を持って変わった。元飛行機メーカーのヴォワザンは、パリの高級住宅街に住む裕福で奇抜な人々のために車を作っていた。彼の代表作である「エアロディーヌ」は、ドライバーが硬さを調整できる準適応型サスペンションを持ち、上部にはバキュームで開くルーフを備え、フロントにはバルブレスエンジンが控えめに鳴り響く。それに比べると、ブガッティはほとんど普通の車のようだ。
大林晃平: 飛行機を作っていたメーカーのクルマをコレクションしていた(サーブ、三菱、スバル、ブリストル、ホンダと揃えていた)、日本の著名モータージャーナリストであった故川上 完氏が、どう願っても手に入れることのできなかったヴォワザン。そんなヴォアザンは言うまでもなく高価で限られた人に向けての自動車である。正統派で美術品のようなブガッティと比べると、ヴォワザンは芸術家の作った前衛的な自動車といえる。そんなヴォワザンではあるが、日本にも存在しているというから驚きである。ちなみに当時にヴォアザンを持っていたオーナーは、フランス大統領、ルドルフ ヴァレンティノ、ジョセフィン ベイカー、といった大スターだったという。
Photo: Goetz von Sternenfels / AUTO BILD

ランドローバー: 1947年以来、ランディは時間も含めてすべてを制覇してきた。そう、ローバーのエンジニアたちのモデルは、アメリカの「ウィリス ジープ」だったのだ。
ジープとは異なり、コベントリー製の角張ったオールコンカー(全地形制覇)は、大陸から暴君を追い出すためのものではなく、林業家や羊飼いを田舎の泥道の危険から守るためのものだった。その最後の子孫が日の目を見るのは、2015年になってからである。
大林晃平: 野生の王国とか、ジャングルクルーズに行くのなら迷わずこれ。最後期の「ディフェンダー」と比べても、一層プリミティブで余計な飾りなど皆無。白洲次郎からエリザベス女王までが運転した「ランドローバー」。先日のフィリップ殿下の葬儀では、葬儀車に改造されて棺を運んでいた。ロールス・ロイスでもベントレーでも、レンジローバーでもなく、「ランドローバー ディフェンダー」であったことが、あまりにもイギリスらしい出来事であった(日本でランドクルーザープラドが天皇陛下の棺を運ぶなど、ありえないだろう)。
Photo: Werk

マウザー シングルトラックカー: 明らかに、車の中にこれ以上オートバイが増えてはいけない。ベルサイユ条約によりライフル銃の製造が認められなくなったマウザー社は、グスタフ ヴィンクラーが開発した「シングルトラックカー」を製造した。この「シングルトラックカー」は、ツンダップとゴンドラリフトを衝突させたような形をしている。
スピードが出ると、ドライバーは訓練用の車輪を引っ張って、名前からもわかるように、1本のトラックを走る。そして、それはあなたが落ちるまで楽しい。
大林晃平: マウザー(モーぜル)というのは本来銃器メーカーで、1872年にマウザー兄弟が設立した会社であった。もちろんライバルはあのワルサーであり、ボルトアクションライフルの設計に多大な貢献をしたのだという。有名なところではルガーP08、モーゼルリボルバー、M57サブマシンガン、M1918対物ライフル、MG151機関銃、MK30mm機関砲などがある。と、銃の説明ばかりで申し訳ないが、このクルマのことはさっぱりわからないので、このくらいでご容赦いただきたい。
Photo: Goetz von Sternenfels / AUTO BILD

Photo: Werk

ポルシェ911 2.7 RSカレラ: このギャラリーではランキングを設けていない理由は、ランキング不可能だからだ。事実はこうだ。ブラッシュアップされた「2.7」ほど、すぐに病みつきになってしまうクルマはない。過激な「カレラRS」は、誰もが密かに憧れるポルシェなのだ。
「911 2.7 RSカレラ」は、世紀のスポーツカーの50年の歴史の中でも、宝石のような存在であり、軽やかで、パワフルで、回転数にムラムラするような、最高のエスカレーションステージにあるオリジナルの「911」だ。純粋なドクトリン以外の何ものでもない。
大林晃平: 長い長い「ポルシェ911」の歴史の中で、究極の一台として、永遠に記憶されるであろうモデルがこのナナサンカレラ。数え切れないほどのモデルの中でも、圧倒的に人気が高く、だれもが知っている「911」といえばこれ。実際にはポルシェの歴史の中で、過渡的な時期であるがゆえに生まれた偶然の産物的な一台だが、それでもただレーシーなクルマではなく圧倒的に乗りやすく、日常にもロングドライブにもまったく問題なく使えるのだという(その証拠にこの写真のクルマにはサンルーフも備わっている)。
Photo: Götz von Sternenfels

マツダMX-5: 基本的には、史上最高の英国製スポーツカーだ。まるでマツダのエンジニアがノーフォークで休暇を過ごしているかのように、クラシックな島のロードスターの精神が彼らの周りを駆け巡っているかのように。彼らはそれをマーマイトの空き瓶で捕まえ、広島に運び、そこから独創的な車を生み出した。コーリン チャップマンが作ったような耐久性のある非ロータスだ。
大林晃平: 日本の生んだ文化遺産以外の何物でもないであろうユーノスロードスター。このクルマが出ていなければ、オープン2シーターという自動車は絶滅していたかもしれない。だれもがオープン2シーターに乗れる時代が再び来るとは、このクルマ以前に誰が予想していただろうか。もしマツダのラインナップから「ロードスター」が消える日が来たら…。そんな日は来ないと信じていたいし、なくなってしまったら本当にもう楽しい自動車文化はオシマイである。
Photo: Christian Bittmann

プリムス ロードランナー スーパーバード: 背中に付いているハンドルが、マッスルカー時代のピークを示していた。クライスラーはフォードからNASCARのタイトルを奪いたいと考え、ダッジとプリマスはストックカーに空力的な鼻とXXLサイズのスポイラーを装備し、ルール上そうしなければならないのでストリートバージョンを生産し、販売した。オーバルトラックでは、リチャード ペティらの「ウィングカー」が、ヘミエンジンのパワーで300km/hを超えた。
大林晃平: 80年代の初めにはまだアメリカでちゃんとこれが走っていたというのだから、世界はというか、アメリカは偉大でおおらかで、いい国だった。うしろのハンバーガー店や、たなびくアメリカ国旗と絶妙にマッチしているが、こういうハリウッドの暴れん坊スターみたいなクルマが世の中から消えてしまってやっぱり寂しいのである。エンジンは言うまでもなく「ヘミ(HEMI)」のV8。どこから踏んでもトルクの塊で加速する、「マッスルカー」とはこのことである。
Photo: Getty Images

Photo: Werk

ミニ: みんなに愛されていた。スイングしているロンドン、ラリーのエース、そして金の盗人。ミニはブリットポップだ。ただし、オアシスのように突然終わることはなかった。
なぜミニが50台の中に選ばれ、「ビートル」や(ハードトップの)「フィアット500」がないのか? それは、BMCのチーフデザイナーであるアレック イシゴニス卿が、現代のシティランナバウトを「ミニ」で発明したからである。大人4人が3メートルの車に乗ることができるのは、横置きエンジンと前輪駆動のおかげだ。
大林晃平: 「ミニ」とは本来この車のことを言う。ミニだからミニ、そして本当はこのクルマだけに「ミニ」という言葉を使ってほしい。かわいい姿に惚れて乗ってみれば、上下に間断なくゆすられる乗り心地、腕力を試されるステアリング、バスのようなステアリングホイールの角度、決して軽くないクラッチなどなど、もはや時代遅れの面があったとしても、それこそが「ミニ」と一体になって楽しく走るという行為なのである。今もこの「ミニ」を所有している人は、3ナンバーの巨大な「ミニ クロスオーバー?」なんだそりゃ、と言いながら、ずっといつまでも愛用してほしい。
Photo: Klaus Kuhnigk

BMW 328: BMWは、1930年代にすでにダウンサイジングで成功していた。当時、「328」ほど小さくて扱いやすく、速いスポーツカーは他になかった。1936年から1940年にかけて、BMWは「326」から改良された2リッター直列6気筒を搭載した464台をアイゼナハで製造し、80馬力をフルに発揮した。「ミッレ ミリア」など、多くのレースでの成功はこのスポーツカーの功績である。
大林晃平: 「BMW 328」、といっても、もちろん3シリーズの高性能モデルではなく、これこそが本当の「328」。小さくて軽快、そしてBMWらしい高品質。本当のBMWのオープン2シータースポーツカーというのはこういうもの。この色は珍しいが、バイエルン地方の青空のように美しい。一時期スイスの自動車メーカー「スバッロ」によってレプリカモデルも作られ、日本にも輸入されていたことがある。
Photo: Privat

Photo: Stefan Lindloff / AUTO BILD

ロータス セブン: コーリン チャップマンの「こんなものをキットで提供したい」というアイデアだけで、それに値する。ドライバーを乗せても0.5トンにも満たない車重は、ミニマムなクルマに最大のドライビングプレジャーを与えてくれる。
「ロータス セブン」のボンネットには、最初はフォードのエンジンが積まれていた。ルーフ? ドア? 燃料計? ドライバーはそれらを必要としない。セブンの目的はただひとつ、「走る機械」であること。それ以外のものためには、他のクルマがある。
大林晃平: かつて、とある自動車編集部では、迷ったら、セダンであればメルセデス・ベンツ、スポーツカーであればセブンに乗って、セダンとはどういうものであるか、スポーツカーとはどういうものであるか、原点に戻って再確認するというのが鉄則だったという。
「スーパーセブン」の魅力それは言うまでもなく軽さである。軽さこそがすべてであり、自動車にとって最良の高性能とは軽いこと、それを教えてくれる存在こそがセブンなのである。運転するという目的だけの自動車、そんなクルマがあるということを喜びたい。
Photo: Stefan Lindloff

フィスカー カルマ: 夢の車がない未来への不安を取り除いてくれた。たとえ、そのブランドが現在、自己改革に苦しんでいたとしても・・・。デンマークのヘンリック フィスカーは、絵に描いたようなプラグインハイブリッド車「カルマ」で、電気駆動のスポーツセダンがどれほどセクシーに見えるかを私たちに示した。
大林晃平: 「カルマ」とはなんぞや、ということでちょっと解説すると、GMの2リッター直列4気筒エンジンの直噴ガソリンターボエンジンを発電用として載せた、プラグインハイブリッドシステムを持つ自動車である。その第一号車はレオナルド ディカプリオに納車されたはずで、もう10年ほど前の話であった。
今回50台の中の一台として、どうして選ばれたかは不明だが、フィスカー自体は経営破綻してしまっているので、今はもうこのクルマを買うことはできない(と思っていたら、中国のテクノロジーグループと組んで、新型のEVを2023年にも発表するらしい・・・)。
Photo: Werk

ジェンセンFF: 四輪駆動はでこぼこ道だけのものではないことを証明した。それは、アウディがクワトロを開発するずっと前に実現していた。ガラスドーム型のリアエンドを持つスポーツカーのフォルムはヴィニャーレ、V8エンジンはアメリカの自動車メーカー、クライスラーが開発した。
ジェンセンは、ウェストブロムウィッチで、4輪でアスファルトをグリップする最初のスポーツカーを製造しただけでなく、ABSを搭載した最初のスポーツカーも製造した。
大林晃平: ジェンセンといえばヒーレー……ではなく、今回選ばれたのは「FF」のほうである。ものすごい湾曲で、製作することの大変さが偲ばれる、「ギャラン ラムダ」もびっくりのラウンドガラス、フルタイム4輪駆動システム、世界最初のABSのついたスポーツカー(知らなかった。世界で最初についたセダンはメルセデス・ベンツSクラスだが)、そしてヴィニャーレのデザイン、と話題は満載。もちろん当時の価格はとびきり高価で、限られた人のための自動車であったことは言うまでもない。そんな「ジェンセンFF」の欠点は右ハンドルしかなかったことで、それが仇となり輸出ができず、300台ちょっとで生産を打ち切らざるを得なかった。
Photo: Stephanie Gehrt

Text: Lukas Hambrecht, Matthias Brügge
Photo: Lena Barthelmeß