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【ひねもすのたりワゴン生活】コットンテントの誘惑 その3

2021年5月30日

憧れのオアシスと出会った秋葉原の雑居ビル

空前のブームで、各地のキャンプ場はカラフルなテントで埋め尽くされています。そのほとんどは軽くて強靭な最新素材だけれど、コットンの魅力に惹かれる人々も…。私もそのひとりで、十代の半ばに出会って50年近く…今も、この少し手間のかかるパートナーをクルマに積み込んで、至福のひとときを過ごしています。

 大学生活の頃には、あのオレンジ色の三角テントをほとんど目にしなくなっていた。円形のドーム型が主流になっていたが、組み立てが容易で、風に強く、畳めばコンパクトになったからで、アルミやグラスファイバーなど軽量で強靭なポール素材の普及や、化学繊維生地の進化が大きかったのだろうと思う。
 キャンプ場では、大型のスクエアなテントも目にするようになってはいたけれど、多くはなかった。コールマンなど欧米の有名ブランドが以前より手に入りやすくなっていたものの、高級品のイメージが強く、ランタンやツーバーナーは、ガラスのショウケースの中に飾られていることも珍しくなかった。年配者の間ではまだ「舶来品」なんて言葉が生きていた時代だ。
 例の我が相棒は、現在のレベルから考えれば、撥水も防水も心もとなく、縫製部分のシールも充分ではなかったから、ちょっと強めの雨が降れば水が浸入したし、寒い季節には室内の結露がひどかった。しかし、大型テントで過ごす楽しさを教えてくれ、この類のキャンプを楽しむコツを身につけることができたので、かけがえのない存在だった。
 その後出版社に就職し、月刊誌の編集に忙殺される日々となり、キャンプに出かける機会も減っていったが、年に何度かは気の置けない仲間を誘って奥道志や河口湖に向かった。結局、そのオーナーロッジテントは10数年を共にして、友人のもとへ旅立った。なぜかといえば、新たな相棒がやってきたからだ。
 30年ほど前のある日、知人から、コールマンのファミリーセールに誘われた。秋葉原の雑居ビル…そのワンフロアに出かけてみると、キャンプ用品が所狭しと並べられ、来場者でごった返していた。見たこともない巨大なウォータージャグや、国内未発売のサンプル品、山のように積まれたクーラーなど、すべてが眩しかった。端の方にはテントがいくつか張られていて、その一番奥にひときわ目立つ大型テントがあった。
 アメリカンテイストたっぷりで、スクエアなシルエット…。そう、あの記事で見たテントだ。いや、正確には、その復刻であるオアシスデラックスⅡだったが、むき出しの太い金属フレームが、扇子の骨のように、体操のバランス競技のように左右に広がって生地を支えている。触ってみると、生地は想像よりもずっと厚かった。
 この時、すべて合点がいった。あの写真から漂っていた言いようのない迫力、オーラは、この分厚い素材のなせる業だったのである。写真でそんなことが伝わったのか…と疑われてしまうかもしれないが、帆布のような生地と薄いナイロンでは、シワの寄り方ひとつ取ってもまったく違うし、生地の弛み具合だって表情が異なる。それらがグラビア写真を通して伝わっていたのだろう。
 これだ…。ついに逢えた。

1990年代初頭、コールマンのカタログに登場したオアシスデラックスⅡ。秋葉原の雑居ビルで圧倒的な存在感を放っていた

 そのひと張りは、展示の現品限りで販売されていたが、他のテントは家族連れやカップルが入れ代わり立ち代わり覗いていくのに、私以外、中を覗き込もうとする人はいなかった。ある意味、異様な雰囲気を醸していたのかもしれない。定価は26万円…もちろんアウトレット価格にはなっていたけれど、溜息が出た。
 しかし、身近に見ると、思っていたより大きな気もするし、そうでもない気もする。やっぱり無骨だなぁ…とも思えたし、意外と細かい部分に気を遣っていることに感心もした。そんな矛盾のような想いが交差したのは、雑誌で見たあの大自然のワンシーンが一人歩きして、長い間自分の中で膨らみ続けていたことと、こうして実物と出会ったのが都心のビルの一室だったというギャップに頭が混乱したからかもしれない。
 恋い焦がれていたあのテントが目の前にある。触ることができる。室内を歩き回ることもできる。そして、自分のものにすることができる…。
 5分…10分…20分…。その周りを歩き回ったり、生地を引っ張ってみたり、フレームの強度を確かめたりした。ちょっと離れて眺めても見た。気分を落ち着かせようと、他のコーナーをチェックし、また戻ったりもした。
 しかしその日、私はあれほど欲しかったテント、オアシスを家に持ち帰らなかった。いや、持ち帰れなかった…というほうが正しいかもしれない。

【筆者の紹介】
三浦 修

BXやXMのワゴンを乗り継いで、現在はEクラスのワゴンをパートナーに、晴耕雨読なぐうたら生活。月刊誌編集長を経て、編集執筆や企画で糊口をしのぐ典型的活字中毒者。

【ひねもすのたりワゴン生活】
旅、キャンプ、釣り、果樹園…相棒のステーションワゴンとのんびり暮らすあれやこれやを綴ったエッセイ。