写真で楽しもう 2022年に還暦、50歳、40歳、30歳を迎えるクルマ×28台

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Alfa Romeo Giulia Nuova Super 1600, Produktion von 1992
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説明? 要らないですよね? 老いも若きも懐かしみながら思う存分楽しんでください。

【還暦(60歳)を迎えるモデル】

ビル ミッチェルは、サメの形をしたスポーツカーを夢見ていた。その夢を実現したのが、スプリットリアウィンドウを備えた4輪のスティングレイ、「シボレー コルベット スティングレイ」だった。
大林晃平: 「コルベット」という名前が本当にピッタリのショット。この当時のモデルがもっとも繊細で美しい。ホイールデザインもアメリカ車とは思えない(失礼!)繊細さ。この後に出る「C2コルベット」は、ラリー シノダ(シノダといっても日本人ではない)のデザインとなるため、かなりテイストが異なってくる。
Photo: Werk
伝説的なセクシーさと、罪深いほどの高価さ。伝説のコロンボV12を搭載したグランツーリスモ、「フェラーリ250GTO」は、史上最も高価な車のひとつと言われている。スカリエッティは、60年前に魅力的なアルミニウムのボディワークを生み出した。
大林晃平: 「GTO」も登場から60年、といってもまったく古さを感じさせないのか、それとももっと古いクルマと思っていたのか、人によって印象は異なる。昨今では「世界一落札価格の高い自動車の定番」だが、ホンダジェット3機分くらいのお金が必要だ。
写真のクルマにはミラーがついていないが、この当時の「GTO」では「よくあること」で「これが正しい姿」で、気にしてはいけない(そもそも手作りなので、ディテールの処理やサイズなどは一台一台異なっているという)。
またなんとなくいつも見慣れている「GTO」と違う感じなのは、フロントの3ツのエアダクトを閉じた状態の写真だからで、この部分や気候などに合わせて付属の蓋でとじられるようになっている。
Photo: dennisimages.com
その成功は、今日までアルファロメオブランドのイメージを形成し続けている。「ジュリア」にはクラシックな美しさこそなかったものの、60周年を迎えるエッジの効いたスポーツサルーンは、弾力性のある高回転型エンジンと5速ギアボックスの標準装備で納得のいくものだった。
大林晃平: こういうのこそアルファロメオの中のアルファロメオセダン。最初の「ジュリア」は社内デザインであったが、なんとも格好いい。運転しているヒゲオヤジも嬉しそうだ。60年前にも関わらず、ちゃんとDOHCの1.5リッターエンジン搭載で、92馬力を発生。最高速度160km/hを誇った。
Photo: U. Sonntag
ロータスのドライバーは60年間、純粋なパワーではなく、それを動かすための質量が重要であることを知っている。現在の視点で見ても、「エラン」は完璧なハンドリングを実現している。90年代には、マツダのMX-5のデザインに影響を与えた。
大林晃平: 知人でもう一心不乱に「エラン」を愛している人がいる。一生売らないし、しょっちゅうエンジンを下ろしてオーバーホールしているような人だ。そんなエランの魅力はもちろん大きさと軽さ。全高に至っては大きくなった小学生なみの1.2メートル弱、車重は600kgちょいしかない。ボディはもちろんFRPだが、フルモノコックFRPのエリートとちがい、鋼板シャシーの上にFRPが載っている。
Photo: Charlie Magee
ウイスキーを飲みながらドリフトをする男性のための車? それは恐らくないだろう。しかし、「MGB」のシャシーは他の多くのライバルに比べてはるかに優れていた。それに比べて、「トライアンフTR6」はトラックのような走りをする。「MGB」は長い間、定番として定着している。ファンは1年のうち12ヶ月、ブリティッシュライトウェイトに乗るのが大好きだ。還暦、おめでとう!
大林晃平: これぞブリティッシュオープンカー。前出の「エラン」とは対照的に、900kgと比較的重いが、日常にもガンガン使えるのはこっち(それが証拠に、ちゃんと写真のクルマにはラジオアンテナもついている)。写真はツアラーと呼ばれるオープンモデルだが、後に追加されるクーペはピニンファリーナデザインだった。
Photo: Markus Heimbach
トライアンフの「スピットファイア」を買う人は? 車の修理が目的で、車が動かなくなってもいいと思っている人? 真面目な話、貧乏人のための「Eタイプ」は評判よりも信頼性が高い。2022年には、そんなスピティが還暦仲間となる。
大林晃平: 「MGB」の好敵手たる「トライアンフ スピットファイア」。この時代のイギリスにはこういう2シーターオープンカーが多数存在していたのである。曲線の美しいボディは、なんとジョヴァンニ ミケロッテイ作。言うまでもなく「スピットファイア」という名前の由来は戦闘機から。
Photo: Christian Bittmann

【50歳を迎えるモデル】

「ルノー5(サンク)」の50年。自分の青春を謳歌できたフランスの大人気モデル。あんなにたくさん街の中を走り回っていたのに、とんと見かけなくなった。「サンク」はもういない。サビで腐れはてたのか。
大林晃平: 写真の5ドアは後に追加されたモデルで3ドアが最初に発表された。マシュマロのようにふんわりしたシートと、実用的だがなんとも優しいデザイン(そういうところが、バウハウス調のフォルクスワーゲンとは違う)。良く自動車雑誌で使われた「フランスのエスプリうんぬんかんぬん」という表現は、本来こういうクルマのためにある。リアシートの子どもたちも、そろそろ還暦か。
Photo: Werk
1972年にマセラティが発表した「メラク」は、「ボーラ」にV6を搭載しただけのものだった。「メラク」で、イタリア人は低価格帯セグメントに進出したいと考えていた。190馬力のミッドエンジンスポーツカーは、決してオーバーパワーではなかった。
大林晃平: 「メラク」のデザインは言うまでもなくジョルジェット ジウジアーロ。フライングバットレス構造(こういう単語を覚えておくとウンチクバトルで役に立つのでぜひ覚えておこう!)のボディデザインなど、見るべきところは多いが、もっと注目すべきは「シトロエンSM」のエンジンとメーターパネルを持っていることで、さらにブレーキシステムとリトラクタブルヘッドライトにもハイドロニューマティックのメカニズムを採用している。だが、そんな複雑なことをすりゃあ、トラブルが発生するのは当たり前で、新車をテストしていた日本の老舗自動車雑誌でも、いきなりLHMが漏れて走行不能に陥るという顛末と相成った。
Photo: Werk
「フィアットX1/9」とラリーレジェンドの「ランチア ストラトス」との関係は、紛れもないものだ。どちらもベルトーネの「ドアウェッジデザイン」を採用しているが、フィアットは普通の人にも手が届くようになっている。50年前と同じように、今も。
大林晃平: 日本にも決して少なくない数が輸入された、にも関わらずもう見る機会は皆無になってしまった一台。言うまでもなく一番の大敵は信頼性で、特にボディのサビは、新車のうちにジーバード処理(錆止め)を施しても、ちゃんと錆びた。特にAピラーとBピラー部分は錆びやすく、ひどい場合だと1~2年くらいで塗装が浮いてきたという。
Photo: Angelika Emmerling
1972年は「80」に始まり、1994年にアウディはミッドサイズを「A4」と改称して終了した。欲望と永遠の若さを追求したブランドだからだ。ブルジョアの車がたくさんの荷物を運ぶというイメージは、それまでの「アウディ80」の成功を害するものではなかったが、それ以降はマーケティングコンセプトに合わなくなってしまったのだ。
大林晃平: 当時のクルマが小さかったのか、傍らのジャーマンレディがジャガイモの食べ過ぎでデカいのかわからないが、とにかく当時の「アウディ80」はコンパクトな自動車だったのだ。端正でてらいのないボディデザインはもちろんジョルジェット ジウジアーロ。以下はどうでもいい情報だが、松任谷正隆氏の購入した初の輸入車だ。
Photo: Werk
1972年、初代BMW 5シリーズ世代の「E12」は、「ニュークラス」として知られる115シリーズの流れを汲むものだった。この高級セダンは発売当初から成功を収め、1987年まで「E28」としてさらに発展した形で販売された。特に注目されたのは、「Ur-M5」と呼ばれた218馬力の「M535i(1980)」だった。
大林晃平: 今見ても格好いい「5シリーズ」とはこういうもののこと。モナコの港に乗りつけたお金持ちマダム、といった設定の写真の赤いクルマもドンズバに決まっている。それもそのはず、基本デザインは当時ベルトーネのチーフデザイナーであったマルチェロ ガンディーニ。日本にはバルコムトレーディングが正式輸入していたが、なんとフェンダーミラーを無理矢理付けられ、美しいボディラインが台無しになっていた。
Photo: Werk
大型ベンツの中で最も権威のある「W116」シリーズの「Sクラス」も50周年を迎える。中年の危機を感じさせず、価格は上昇している。
大林晃平: 「Sクラス」と呼ばれるようになったメルセデスベンツの最初のモデル。安全と高性能を突き詰めた一台で、写真に写っている「泥で汚れても視認性の落ちない凸凹テールランプ」なども初採用。後期モデルでは、高性能モデルの「450SEL 6.9」やターボディーゼルエンジンの「300SD(アメリカのみ)」も追加された。ちなみに世界で最初にABSが採用されたのもこの「W116」だ。
Photo: Sven Krieger
これまた、50歳を迎える「フィアット126」は、イタリアの国民的ヒーローである「フィアット500」の精神を受け継いでいる。2000年までポーランドで生産されていたリアエンジンの名機。排気量0.6リットルの小型2気筒エンジンで23馬力を発揮する。現代でも十分通用しそうなデザインだ。
大林晃平: 「チンクエチェント」の後に登場したイタリア庶民のための愛すべき自動車。ロボット二等兵のような顔つきだが、プレスの入り方などものすごくスタイリッシュだ。だれかこういうスタイリッシュな小型車、もう一度作ってくれないかなあ・・・。
日本にも正式輸入されており著名モータージャーナリストが自腹で購入したが、直進安定性に欠け、面白いほどまっすぐ走らなかったという(誉め言葉である)。
Photo: Werk
1972年に登場した「プジョー104」は、ヨーロッパで最も背の低い4ドア車で、姉妹車には失敗したアヒル(2CV)の後継車「シトロエンLN」があった。2台とも、これまではクラシックとして影に隠れた存在だった。アニバーサリーおめでとう!
大林晃平: 1リッターしかないクルマで、ディンギーを牽引?と日本人はつい思ってしまうが、これが当時のヨーロッパでは普通のライフスタイルだったのである。ディンギーの模型で遊びに興じる二人もかわいいが、二人の大人も女性だけというのも興味深い。のちのち「106」に発展する「シンプルで小粋なデザイン」はこの「104」が発祥といえよう。
Photo: Werk
50歳を迎える「アルファロメオ アルフェッタ」は、ベルトーネの手による小型サルーンの角張ったラインが特徴的だった。エンジンをフロントに、ギアボックスとクラッチをリアアクスルに配置したもので、「トランスアクスル」とも呼ばれ、完璧な重量配分を実現している。
大林晃平: 「アルフェッタ」の名前の由来は「小さなアルファロメオ」(といっても結構大きいが)。メカニズム的にもダブルウィッシュボーン式のサスペンションや、ド ディオンアクスルといった、自動車好きをコロッといかせるような響きの機構を多数持ち、エンスージャストにも愛された。残念ながら錆びることと、排気ガス対策によるパワーダウンは避けられなかったが、アルファロメオの歴史上大切な一台といえる。
Photo: Werk

【40歳を迎えるモデル】

ベントレーのターボ。「ミュルザンヌ ターボ」とその後継機である「ターボR」は、英国の自動車貴族の間で好調な販売をもたらすとともに、若いユーザーを発掘した。
大林晃平: まさか「ロールスロイス シルバースピリット」ベースのクルマにターボなんて!とその当時は思ったが、ベントレーの歴史を振り返ればちっとも不思議でないばかりか、これが正しい姿である。そしてこのモデルからロールスロイスのクローンに過ぎなかったベントレーは息を吹き返し、ロールスロイスとは別の道を歩み始めるのである。
ちなみにこのころの「ロールスロイス ベントレー」はトラブルが頻発するため、整備の度に100~200万円の整備費用がかかっても驚かないでいただきたい。
Photo: Werk
信じられないことに、エアロダイナミクスの世界チャンピオンである「アウディ100 C3」も早や40歳を迎える。
大林晃平: なんだかピンク色のタイツばかりが目立って、どういう趣旨の写真なのかよくわからないが、「曲線」という部分をフォトグラファーは強調したかったのかもしれない。肝心の被写体である「アウディ100」は当時世界最小のCd値を記録。クアトロシステムと相まって、まっすぐにハイテク路線を進むことになる。その仕掛け人はもちろんフェルディナンド ピエヒ提督であった。
Photo: Aleksander Perkovic
1982年には、大きなポニーの乗り物はとっくになくなっていた。とはいえ、シボレーは80年代初頭に「カマロ」に現代的なボディを与え、さらに技術を微妙に発展させている。一方、弟の「ファイアーバード」は「ナイトライダー」のKITTとしてキャリアを積み、デビッド ハッセルホフのソブリンを壁に向かって演じた。
大林晃平: 一世代前の、バート レイノルズにピッタリだった、「ファイアーバードトランザム/カマロ」からすれば大人しくなったものの、それでもまだまだ良き時代のアメリカのクーペ。おそらく日本のコインパーキングでは、ドアが大きすぎて乗り降りできないだろう。基本的な信頼性(隣の街まで止まらずに走ること)やエアコンの効きは抜群。ちょっとのことなど気にせず、おおらかに行きましょうぜ旦那、という良き時代のアメリカ車最後の一台。
Photo: Werk
日本のターボのパイオニアも、2022年に40歳の誕生日を迎える。「三菱スタリオン」は、強制的な誘導により170馬力を発揮した。1990年には、全輪駆動のハイテクレーサー「3000GT」に変更された。
大林晃平: 「スタリオン」とは「種馬」のことだという。そんな名前を車につけちゃうなんて、と当時は思ったが、今思えばなんとも良い時代だったのだ。アニメ文化のようなボディデザインも、派手派手な内装やシートもご愛敬。プラグインハイブリッドや会社統合、のような話題ばかりが進行する今の三菱よりも、「スタリオン」のほうがなんだかとっても楽しそうではないか。蛇足ながら写真のクルマは輸出仕様であり、国内では採用されていない、電動シートベルトの機構付きのクルマが輸出仕様だけに存在している。
Photo: Werk
1982年に発売された「ボルボ760」は、スウェーデン製のしっかりとしたボディに、ボルボの良さを凝縮したモデルだ。以上。
大林晃平: ボルボといえば堅実で安全なクルマ、というのを形であらわすとこういうことになる、というデザインが「760」だ。三角定規と水平器で描いたようなスタイルだが、大きく明るいグラスエリアも悪くないし、少しでも太陽光をと考える北欧らしい形である。乗ってみれば意外とアメリカンなクルマで、見た目ほどの剛性感も感じられず、ふんわりふんわり。でも、本当はボルボというのはそういう平凡でありながら、長持ちすることが一番重視される実用車なのである。
Photo: Werk
1982年、アルファロメオは、オープンエアのクラシックカーのリアに、信じられないほど現代的なプラスチック製のスポイラーを装着し、専門家たちを刺激した。アルフィスティたちは、「スパイダー」のことを「エアロダイナミカ」と呼び、それ以降は「ラバーリップ」と呼んでいた。ショックなのは今やまごうことなきクラシックカーということだ。おめでとう。
大林晃平: そもそも「アルファロメオ スパイダー」の登場は1966年であり、そこからはひたすらマイナーチェンジと、大幅マイナーチェンジと、ビックマイナーチェンジを繰り返し、1990年代まで生き延びたのであ~る。と、生粋のアルフェスタは言うかもしれないが、一般的な市民にとっては見分けがつかないし、どれも立派な格好いいオープンカー。
最初のスパイダーそのものは、セルジオ ピニンファリーナに代替わりする前の、バティスタ ピニンファリーナ最後の息がかかったモデルと言われ、そういう意味でもこれは永遠に語り継がれる名車なのではないだろうか(と、ちょっとだけヨイショ)。
Photo: Uli Sonntag
70年代末には「ベビーベンツ」の計画が成熟し、1982年には最初の「190」がディーラーのショールームに並んだ。「W201」は、メルセデスの古典的な美点をすべて組み合わせ、それを全長4.4メートルに圧縮したモデルだ。
大林晃平: メルセデスベンツに今でいう「Eクラス」と「Sクラス」しかなかった時代、ものすごい歳月と費用と手間をかけて開発されたのが「E201」だった。いまさら言うまでもなく大ヒットし、今でいう「Cクラス」のレールを完全に敷いた。内容的にも革新的なサスペンションや、「Sクラス」にも見劣りしないボディなど見るべき部分は多く、今でも「W124よりもこちらのほうが名車」という意見も多い。だがもうそろそろそんな「W201」も維持にはかなりのお金がかかる時代となり、ちゃんとレストアしようとすると当時の新車価格以上にかかります。
Photo: Uli Sonntag

【30歳を迎えるモデル】

バイエルンのアバンギャルドな「BMW Z1」は、ウェッジシェイプや開閉式ドア、「テクノバイオレット」のような現代的なエクスタシーを感じさせる色合いなど、突拍子もない先進性を30年前にすでに持っていた。
大林晃平: 30年前とは思えないこのスタイル。今の「Z4」よりも未来的で格好いい、といったら怒られるだろうか。写真のアディダスのTシャツを着たドライバーのように、ドアを開けたまま風と路面を感じることも可能。その代償としてサイドシルは高く、ヨイショっと足を思い切り持ちあげないと乗り込めない。足を骨折している人には不向き。
Photo: The new automobile / Lena Barthelmeß
スターウォーズ: BMWは、初代「7シリーズ」で立派にラグジュアリークラスのデビューを果たした。しかし、バイエルンは王座を狙って、1987年に戦後初の12気筒を搭載した「E32」を発売した。それを見たメルセデスベンツは4年も経たないうちに、V12を搭載した「メルセデス600SEL」を世の中に送り出したのだった。「750iL」、誕生日おめでとう。
大林晃平: 「BMW735」と「750」の簡単な見分け方は、キドニーグリルの幅の大きさで、写真は幅の大きい「750」(735はもっと幅が狭い)だ。話題のV12は確かに高性能だったが、ギチギチにエンジンベイに押し込んだ結果、熱によるトラブルが頻発し、しょっちゅう片バンク(つまり6気筒)になるトラブルが発生するなど信頼はいまいち、だった。さらに燃費も東京都内で使うとリッター3キロくらいだった例もあったという。
Photo: AUTO BILD TEST & TUNING / Ulrich Sonntag
言葉では言い表せないほどの美しさだ。「F40」は、80年代のピンナップカーだ。念のためにおさらいしておくなら、最高速度324km/h、0-100km/h加速4.6秒、エンツォの下で開発された最後のフェラーリだ。壮大な目的を持って作られたピニンファリーナデザインのフェラーリのアイコンモデル。信じられないことだが、来年には、クラシックカー認定を受けて、「F40」がHナンバーで走っていることだろう。
大林晃平: フェラーリの特別限定スペシャルの中で、もっとも有名でもっとも格好いいのはこれ(か、288GTO)。最初は350台程度と言われた生産台数は、人気に気を良くしたフェラーリが大奮発して増産した結果、最終的には1300台以上作られたという(F40は意外と台数が多いのだ)。欠点はドッカンターボによる運転の難しさと(崖に落ちた例多し)と、燃料系・オイル系の漏れによる火災。そういうアブナイフェラーリという意味でも、魅了的といえば刺激的で魅了的。
Photo: Privat
本当にもう30歳なのか、化け物のような存在感の「Sクラス クーペC 140」は、ベースとなるフルファットW14とともに、金融危機の原因となった銀行員の世代が好んで使用した交通手段だった。だからカルト!?
大林晃平: 「BMW750」や「850」に負けてたまるか、とばかりにバブル上昇志向の当時、イケイケドンドンで作った大型クーペ。ボディの作りの良さや、各部の仕上げなどは素晴らしく良いが、いくらなんでも大きくて重すぎ。当時のメルセデスベンツのエンジニアは「人の体躯は年々大きくなりますからそれに合わせて大きくしました」と何ともな発言をしていたが、その後「Sクラス」も「Sクーペ(CL)」も小さくなったことをジャーナリストに指摘されると、「人間はいつまでも限りなく大きくなるもんじゃありませんから、ははは」と煙に巻いたそうだ。ひどい話である。
Photo: Werk
1992年、ジャガーは542馬力のパワーと340mph以上のスピードを誇る超大型車「XJ220」の販売を開始した。このような優れた点があったにもかかわらず、イギリスのヒラメキは、魅力的なサウンドを持たないV6ツインターボに最終的に失望させられた。当初予定されていたV12は採用されなかったからだ。
大林晃平: 残念ながらまったくの失敗作になってしまった「XJ220」。現物を見たこともあるが、ジャガーらしさのかけらもないし、イギリス車らしさも皆無だった。特にこの写真のアングルからだと、はっきり言ってどこのなんというクルマなのか、かなりなカルトクイズになってしまいそうだ(色も悪いのかも。エンブレムも一切ついていないし)。
今や、珍車博物館の一角に展示されるのみである。
Photo: Charlie Magee
1992年、「アルファ155」のすべてのパワーはフロントからもたらされた。ブランドのファンはこれを快く思わず、先代の後輪駆動の「アルファ75」を「最後の本物のアルファ」と早々に命名した。そして、「155」は30歳の誕生日を迎える。そして、アルフィスティの人々は徐々に彼の恩知らずな運命を許していく。
大林晃平: この「アルファロメオ155」を3台にわたって愛し、乗り継いだエンスージャストの紳士がいることを私は知っている。「安ガイシャ」だと言われたり、ちょっとしたトラブルにめげずにエルコーレ スパーダ率いるI.DE.A(イデア)が内外装ともデザインした「アルファロメオ155」を、オールアルミ製2リッター直列4気筒DOHC8バルブエンジン、デルタHFインテグラーレの2リッターのターボエンジン、そして四輪駆動のQ4のエンジンと、「155」のエンジンの変遷を楽しみながら愛用したりしていた。そして「155」の後、アルファロメオ156や様々なランチアモデルを楽しんでいる。しかし、21世紀にはなんと後輪駆動のアルファロメオセダンが「ジュリア」として復活しようとは彼でさえも予想できなかったようだ! アルファロメオとランチアを愛してやまないその紳士が、次の一台に何を選ぶのか、楽しみだ。
Photo: Werk

Text: AUTO BILD