1. ホーム
  2. 旧車&ネオクラシック
  3. 【ショートストーリー】「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー」未来を100年先取りしたベンツの“流線形”レーシングカー

【ショートストーリー】「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー」未来を100年先取りしたベンツの“流線形”レーシングカー

2026年6月29日

1923年~1925年に活躍したベンツ社の空力に優れた革新的レーシングカー「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー」を紹介する。この後、1926年にダイムラー社とベンツ社が合併して社名がダイムラー・ベンツ社、車名はメルセデス・ベンツとなり今日に至る。

ベンツRH 2リッターが示した空力とミッドシップの原点

1923年9月9日、イタリア・モンツァで開催されたヨーロッパグランプリ。そのレースで真に注目を集めたのは、優勝車ではなかった(優勝はフィアット)。4位と5位でフィニッシュした「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー(Benz RH 2-litre “Teardrop” racing car)」こそが、後の自動車史を大きく動かす存在だったのである。

RHはドイツ語「Rennwagen mit Heckmotor=リアエンジンを搭載したレーシングカ-」の略である。しかし、実際の搭載位置は後車軸前であった。従って、このモデルは、現在のレーシングカーでは当たり前となったミッドシップレイアウトを史上初めて採用しただけでなく、徹底した空力設計によって「速さの本質」に迫った革新的なマシンだった。

空力という概念を初めてレースに持ち込んだ1台

「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー(Benz RH 2-litre “Teardrop” racing car)」のボディ形状をドイツ語では滴の形をした車の意味のTropfen Wagen(トロプフェン ヴァーゲン)と呼び、。英語で「ティアドロップ」と呼ばれるそのフォルムは、当時の常識を完全に覆すものだった。

ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー;1923年9月9日、モンツァで開催されたヨーロッパグランプリレースでのピットインするフェルナンド ミノイア。最終4位に入賞した。

流線型ボディは風洞実験に基づいて設計され、空気抵抗の低減を最優先に構築されている。これは、今日のハイパフォーマンスカー開発において不可欠な「空力思想」の原点にあたる。開発の契機となったのは、1921年のベルリン・モーターショーで披露された航空技術者エドムント ルンプラー博士が開発したティアドロップカーだった。

この先進的なコンセプトに着目したベンツ社の開発責任者ハンス ニーベル博士とデザイナーのマックス ワグナーはルンプラー博士をアドバイザーに迎え、その思想をレーシングカーへと昇華させたのである。

ミッドシップ+独立懸架という革新

「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー(Benz RH 2-litre “Teardrop” racing car)」の革新は空力だけに留まらない。エンジンを車体中央に搭載するミッドシップレイアウトに加え、リアにはダブルジョイント式スイングアクスルを採用。これにより、優れた重量配分と走行安定性を実現していた。現代のレーシングカー設計に直結するこの構成が、すでに100年余り前に実戦投入されていた事実は驚異的である。

航空機由来のエンジン思想

搭載された直列6気筒エンジン(1,997cc,90hp)は、航空機エンジン技術を応用したものだった。DOHC構造やローラーベアリング付きクランクシャフトなど、当時としては極めて先進的な仕様を誇っていた。さらに注目すべきは徹底した軽量化だ。フレームやペダル、ステアリング、さらにはサスペンション部品に至るまで軽減孔が開けられ、重量低減と性能向上を両立していた。この思想はマックス ワグナーがシャーシを担当した後のメルセデス・ベンツSSKLなどにも継承されていく。

ベンツRH 2リッター「ティアドロップ」レーシングカー;1923年9月9日にモンツァで開催されたヨーロッパグランプリ仕様。写真はエンジンカバーを取り外した左後方からのショット。

勝てなかった革新車、その真価

モンツァでは、フェルディナンド ミイノア(スタート番号1)は4位、チームメイトのフランツ ヘルナー(スタート番号7)が5位という結果に終わった「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー(Benz RH 2-litre “Teardrop” racing car)」。しかし、主催者が特別にデザイナーのマックス ワグナーに名誉賞を授与した事実が、このクルマの本質を物語っている。すなわち「勝敗を超えた技術的ブレークスルー」だったのである。

ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー;1923年9月9日、モンツァで開催されたヨーロッパグランプリで撮影された写真。

ただし、時代はすでに過給機(スーパーチャージャー)へと移行しつつあった。より高出力を発揮するライバル勢に対し、自然吸気の「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー(Benz RH 2-litre “Teardrop” racing car)」は性能面で不利となり、勝利を手にすることはできなかった。

その後のレーシングカー史への影響

このミッドシップ+空力というコンセプトは、一度は途絶えながらも後に復活する。1930年代にはポルシェ博士によりアウト・ウニオンが同様の思想を発展させ、やがて1950年代末にはF1でもミッドシップが主流となる。つまり、ベンツのRH「ティアドロップ」レーシングカーは「早すぎた未来」だった。

(左)フロントラジエーターを備えたマウンテンレーシングカーとしてのベンツRH 2リッター“ティアドロップ”最終バージョン;1925年マンハイム工場のショールームにおいて1909年のブリッツェン ベンツ200hp記録車(右)と共に撮影。特に左側の“ティアドロップ”マウンテンレーシングカーは、1925年5月25日にカッセルで開催されたヘルクレス・ヒルクライムレースで新記録を樹立し優勝した。

「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー(Benz RH 2-litre “Teardrop” racing car)」は、単なるクラシックレーシングカーではない。それは「現代スポーツカーの設計思想を100年余り前に提示したプロトタイプ」というべき存在である。

空力、ミッドシップ、軽量構造、いずれも今日の高性能車に不可欠な要素だ。そのすべてを備えながら、時代に先行しすぎたがゆえに勝利には届かなかった。だが、自動車史において重要なのは、常に「勝者」とは限らない。むしろ未来を切り開いた挑戦者こそが、後世に最も大きな影響を残すのである。「ベンツRH 2リッター“ティアドロップ”レーシングカー(Benz RH 2-litre “Teardrop” racing car)」は、まさにその象徴といえる。

Text:妻谷裕二
Photo:Mercedes-Benz AG

【筆者の紹介】
妻谷裕二(Hiroji Tsumatani)
1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味はクラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。