ランボルギーニ カウンタックLP500 生誕50周年
2021年3月16日
50年前の3月11日、ジュネーブ・モーターショーで、イベントの主役だと誰もが認めざるを得ないイエローの「ランボルギーニ カウンタックLP500」が初披露され、大きな話題となった。午前10時、カロッツェリア・ベルトーネの展示ブースで初公開されたプロトタイプは大反響を起こし、顧客の要望に応えるため作業が急ピッチで進められ、限定生産ながら市販車として販売された。カロッツェリア・ベルトーネの展示ブースで「カウンタックLP500」を発表することにし たのは、ランボルギーニのブースでは5年の製造期間を経て完成した最新モデル、「ミウラSV」が展示されていたからだった。この2つのモデルの新作発表により、ランボルギーニはその優れた生産力のみならず、高いイノベーション力も改めて強く示すことになった。ジュネーブ・モーターショーの後、「カウンタックLP500」は国際的な自動車専門誌で次々と特集された。
「カウンタック」プロジェクトは、「LP112」というコード名で呼ばれ、「LP」は12気筒エンジンのミッドシップ縦置き(イタリア語でLongitudinale Posteriore)を示している。これは、スタイルとテクノロジーの最前線を駆ける企業としてのランボルギーニのイメージを「ミウラ」後も継続したいという、ランボルギーニ生みの親、フェルッチオ・ ランボルギーニの想いからスタートしたものだった。
この革新的な偉業を率いていたのは、1963年にランボルギーニに入社、1968年にジェネラルマネージャー兼テクニカルディレクターに就任し、カウンタックのメカニック部分を担当する責任者であったエンジニアのパオロ・スタンツァーニだった。50年経っても色あせることのない、カウンタックの研ぎ澄まされた近未来的な美しいデザインは、当時のカロッツェリア・ベルトーネのデザインディレクター、マルチェロ・ガンディー二が手掛けたものだ。ランボルギーニの12気筒モデルの特徴であるシザードアの採用を決めたのもガンディー二だった。「カウンタックLP500」は、1974年に量産が始まるカウンタックとは大きく異なっていた。チューブラーフレームではなくプラットフォーム型のフレームが採用され、エンジンは12気筒4971cc(唯一無二)、エアインテークはサメのエラのようなデザインで、内部には洗練された電子計器が装備されていた。
車名はピエモンテ地方の方言に由来しており、組み立ての最終段階で、労働争議の影響による作業中断を避けるために、クルマをトリノ県グルリアスコ近くの農機具用の倉庫に移したところ、偶然それを見つけた農夫が興奮と驚きのあまり、「カウンタック(Countach)!」(ピエモンテの方言で驚嘆を表す感嘆詞)と叫んだと言う。その話を耳にした同じくピエモンテ出身のマルチェロ・ガンディー二が、この言葉には特に強い伝達力があると感じ、カロッツェリア・ベルトーネのボスであるヌッチオ・ベルトーネとフェルッチオ・ランボルギーニ、そして同僚のパオロ・スタンツァーニを説得したのだった。
ジュネーブ・モーターショーでの成功後、「カウンタックLP500」にはより信頼性の高い4リッターエンジンが搭載され、ランボルギーニのチーフ・テストドライバーであったボブ・ウォレスがあらゆるロードテストを行い、完成させたのだった。1974年の初めに、市販車の認証に必要なクラッシュテストに使用され、その後解体されたことで、この特別な車の歴史は幕を閉じた。
「カウンタック」は、1974年から1990年までに、5シリーズ、1,999台が生産された。その絵や写真が世代を超えて人々のベッドルームの壁に飾られ、また数多くの映画にも登場し、ランボルギーニが最も困難な時代を生き抜き、伝説として殿堂入りを果たすことを可能にしたモデルとなった。
Text & photo: アウトモビリ・ランボルギーニ