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ル・マン クラシック2025(Le Mans Classic 2025)“チームJAPAN”応援記

2025年8月15日

今年の日本からのエントラントは4台8名で、帯同スタッフを含めると数十名の集団となる。自らをチームJapanと名乗り、レンタルしたキャンピングカー(ルマン市にはレース観戦用のキャンピングカーのレンタル会社が沢山ある)をコンボイさせたサーキット内の敷地で、レースウィークを過ごす。キャンピングカー村の中心には調理スタッフが常駐したキッチンカーもいて、本格的なビストロ料理と美味しいワインを提供する。

予選を終え讃え合う3台。フェラーリ250swbしかもLM!2台のポルシェは共に日本人ドライバーによるエントリー。911Sと904GTSのエンジンは4気筒でとても珍しらしい。

筆者が同行したグリッド4の16号車多田/松淵/羽根組のチームは、このキャンピングカーの他に、サーキットからクルマで20分くらいのところに一軒家を確保していて、レンタカーで移動、ベースキャンプとして、さらに快適な宿泊ベースとしていた。

ワーゲントランスポータークラブがサーキット施設内のドライバー運搬に全面協力している。様々な仕様のVWトランポに運んでもらうだけで楽しい!

チームJapanの中でも、それぞれエントリークラスが異なるので、他のメンバーが走行を無事に終え、どんな成績、タイムでキャンピング村に戻るのを気遣い、和気あいあいである。昼食、夕食時にはみんなでテーブルを囲み団結と、ここに来られた幸せに乾杯した。その中には、日本人チームとして初めてルマン参戦した鮒子田寛氏が急遽応援に駆けつけていらして、チームJapanに讃辞を送った。

チームJapanのテントでは、1973年のルマン24時間に日本人チームによる日本人ドライバーとして初参戦した鮒子田寛氏が応援に駆けつけた。

7月5日土曜日、グランドスタンドには満員の観客。スタート時間まで華やかなグリッドウォークが行われている。レトロなコスチュームを着飾った女性たちが、マシンとドライバーのスタート位置にたたずむ。8時からのパレードランを終えると早速グループ分けされた走行時間で、決勝レースの始まりだ。

決勝のルマン式スタートのグリッドに向かう16号車。昼間はクラシカルなライトカバーを装着している。

ル・マンクラシックでは24時間レースをする訳では無い。6日の16時まで、年代、性能分けしたグループで45分から60分程度の走行枠を3ヒート戦う(ポルシェクラシック、グループCクラスなどは1ヒート)。今年は多田組16号車がエントリーするグリッド4が、ル・マン式スタートを行う。合図と同時に、ドライバーがマシンに走って乗り込み発進するあのスタートだ。実際のルマン24時間も、1969年までこの方式で決勝スタートしていた。

オフィシャルスタッフの有名なオレンジのツナギ!何度もテレビで見た。彼らもヒーローだ。

いよいよスタートだ。フラッグが振り下ろされ、世界中から集まった国籍も年齢も違うドライバーたちが、マシンに向かってダッシュする。エンジンが咆哮し60台のビンテージレーサーがストレートを駆け抜ける。観客が総立ちでそれを見送る。一方パドックも休む事無く、整備、修理が行われている。フェラーリ250SWB LMがナイトセクション用に光軸調整をしていたりするのを見るだけでも楽しい。メンテナンスの作業量を考えれば、チームは24時間戦っているようなものだ。

コース上は相変わらずの本気モードで、素晴らしいエキゾーストノートが響き続ける。土曜日23時、ついに持ち堪えた空が泣き出した。それも一気にかなりの雨量だ。

ルマンの雨!歴史の名シーンの様!しかし車内は視界が確保されず、決死のドライブだったという。

多田組16号車ポルシェ 904GTS1964がまさに2回目のコースインしたタイミングだった。マシンは小さなトラブルはあったが好調に走った。雨の中、走行を終えピットに戻った松淵選手は「油膜で全く前が見えない」と語っていた。そんな状態のユノディエールはどんなに恐ろしいことか。無事に走行を終えることを祈るだけだ。頻繁にイエローフラッグが出され、2回目の走行は赤旗のまま終了となった。16号車は無事に帰ってきた。

決勝レースでドライバー交代する16号車。羽根幸浩選手から多田純二選手にマシン、コースなどの正確な情報が伝えられる。羽根選手はルマン経験も豊かなGTドライバー(上段左)。ナイトセッションに向かう16号車。美しい光景とは真逆の緊張感が漂う(上段右)。

7月6日日曜日、16時までイベントはフルに行われ、各グリッド持ち時間を全力で走行する。グリッド4、16号車はこの日の朝6時45分から43分間の走行だ。3回目の走行を走り切れば、彼らの、今回のル・マンクラシックはゴールとなる。

雨は上がり、激しいレースが繰り広げられる。ドライバーのみならずメカニック、オフィシャルなど全てのスタッフの疲労がピークなのがわかる。マシンも同様である。無事に走り切った16号車は、クラス38位/64台で完走を果たした。彼らはル・マンを走り切ったのだ。

ホームストレートではレースが行なわれながら表彰式が次々に執り行われる。どのドライバーも満ち足りた表情と安堵感を浮かべる。とてつもない準備とチャレンジを果たし、それぞれが栄光のルマンを走り切ったのだ。

スタート前のグリッドウォークを楽しむ16号車チーム。メカニックたちは耐久の名門、フライジンガーである。

実は世界中のビンテージレーサーコレクターの垂涎の的であるル・マンクラシックに、まだエントリー出来ないマシン、ドライバーが多く列を作っているという。そこで例年2年に一度の開催を、次回からは毎年開催に変更すると言われている。益々、壮大な夢を叶える舞台に立つチャンスが増えるのだ。

Text&Photo:齋藤多聞

【筆者の紹介】
齋藤多聞(さいとうたもん)
日本画家、クリエイティブディレクター。国内外の様々なブランドビジュアルを手掛ける。日本画家としても数々の受賞歴を持つ。傍ら、ジェントルマンレーサーとしてもキャリアを積み、鈴鹿1000キロ、S耐など数々の実績がある。