自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅 その18(最終回) デューセンバーグは超高級車
2025年8月12日

アウディR18 e-tronクワトロ
旧いクルマのややこしい解説が続いた。最後は現代のレーシングカーの活躍ストーリーで華やかに締めくくろう。
2012年、ルマン24時間レースは80回目という節目の年を迎えた。加えてこの年のルマンは、アウディとトヨタによるハイブリッドマシンが優勝を目指して直接相まみえたレースでもあった。

2006年にルマン史上初のディーゼルエンジンによる制覇を成し遂げたアウディは、24時間レースに臨むに辺り、ディーゼルの耐久性とスタミナに盤石の信頼を置いていた。2012年も直噴ディーゼルをターボで過給する3.7リッターV6 TDIユニットを搭載したアウディR18を4台、サルテサーキットに持ち込んだ。そのうち2台はハイブリッドシステムを前輪に装備して4輪を駆動するR18 e-tronクワトロ、残りの2台はハイブリッドを搭載しないRWDのR18ウルトラである。
一方、アウディの唯一の対抗馬と目されるトヨタは、自然吸気3.4リッターV8ガソリンエンジンを搭載し、モーター ジェネレーター ユニット (MGU) をリヤのトランスミッションに内蔵するRWDのトヨタTS030ハイブリッドを2台投入する。アウディとトヨタではエンジンスペックでも、ハイブリッドの配置でも対照的なアプローチを取る。
予選から両者はがっぷり四つに組んだ。1位はマルセル フェスラー/ブノワ トレリュイエ/アンドレ ロッテラーのドライビングクルーが駆るカーNo.1のR18 e-tronクワトロで、タイムは3分23秒787。2位はカーNo.3のR18ウルトラで3分24秒078。3 位にアンソニー デイヴィドソン/セバスチャン ブエミ/ステファン サラザン駆るカーNo.8 のTS030ハイブリッドが食い込んだ。タイムは3分24秒842。1周が13.629kmもあるサルテを周回して1~3位のタイム差は1秒055に過ぎない。
この年のルマンは午後3時にスタートが切られた。まず飛び出したのはポールシッターのカーNo.1 R18 e-tronクワトロ。これにNo.3 R18ウルトラ、No.2 R18 e-tronクワトロがつづき、早くもアウディ勢が上位3位を占める。ただしトヨタTS030も4位と5位に着けてレースは幕を開けた。
序盤はアウディ、トヨタ互角のまま進み、スタート1時間目の順位は1位No.1 R18 e-tronクワトロ、2位No.2 R18 e-tronクワトロ、3位No.7 TS030、4位No.8 TS030、5位No.3 R18 ウルトラとなる。4台態勢でスタートしたアウディ勢のうち、No4 R18ウルトラだけはリヤサスペンションの調整でピットインを強いられ10位に後退していた。
3時間後の順位も大きな違いはなく、No.1 R18 e-tronクワトロが1位を堅守、2位にNo.7 TS030が、3位にNo.8 TS030が浮上した。土曜日午後8時前にはニコラ ラピエール駆るNo.7 TS030がトレリュイエのNo.1 R18 e-tronクワトロをオーバーテーク、首位に立つ一幕もあった。
ここまで平穏に推移した2012年ルマンだが、鳴りを潜めていたサルテの魔性が姿を現し、映画『栄光のル・マン』のシーンもかくやと思わせる壮絶なアクシデントが発生する。スタートから6時間目、デイヴィドソンの操縦で3位に着けていたNo.8 TS030が、ペラッツィーニ駆るNo. 81 AFコルセ フェラーリを周回遅れにしようとする。ミュルザンヌストレートの終わりでNo.8 TS030の左後輪とフェラーリの右前輪が接触。これでTS030は空中に舞い360度反転。着地後も高速を保ったままミュルザンヌコーナーのタイヤバリアに激突した。一方、ペラッツィーニのフェラーリはタイヤバリアを撥ね除けガードレールにボディ側面から激突、ルーフを下に停止した。
セイフティカー出動。大破した2台をコースから回収するとともに、壊れたガードレールを交換するのにおよそ1時間10分を要した。デイヴィドソンもペラッツィーニも自力でマシンから脱出したが、背中の痛みを訴えたデイヴィドソンはメディカルセンターから地元の病院に搬送された。脊椎が2箇所折れていた。ペラッツィーニは無傷で済んだ。
トヨタの不運はこれで終わらない。レースが再開して30分後、No. 7 TS030で2位に着けていた中嶋は先行するトラフィックに進路を阻まれてスローダウンを余儀なくされた。これが引き金となり、TS030は本山哲が乗るNo. 0デルタウィングニッサンを押しのける形で接触、デルタウィングニッサンはコース側壁にぶつかりリタイア。No. 7 TS030もリヤウィング交換のため3分間のピットストップを強いられた。その後、レースに復帰するも、今度はエンジントラブルに見舞われピットイン、日曜日午前1時、ピットクルーによる懸命の努力もむなしくリタイアの決断を下す。短時間ながらトップに立ったNo. 7 TS030が消えて、トヨタにとってのこの年のルマンは終わった。
その後も、No.1 R18 e-tronクワトロは手堅くレースを運び、先頭でチェッカーフラッグを受けた。2位にもNo.2 R18 e-tronクワトロが、3位にNo.4 R18ウルトラが入賞、アウディは1位~3位を独占する完全勝利を成し遂げたのだった。

Photo: Audi AG
アウディR18 e-tronクワトロによる2012年のルマン24時間レースでの優勝は、ハイブリッドレーシングカーによるルマン史上初の勝利だった。以降、時代はハイブリッドテクノロジーに向けて大きく舵を切ることになる。この技術はレースの世界から生産車へと広がり、今や私たちの生活に溶け込んでいる。この年のルマンは、モータースポーツが自動車の新技術を開拓し、実用化への第一歩を示した典型的な例だった。また本稿の主人公アウディR18 e-tronクワトロは、博物館の展示品が過去を振り返るだけでなく、未来を予測する手掛かりを私たちに与えてくれる好例だと思う。
以上、3回にわたりロー コレクションの展示車を駆け足で紹介した。「その16」でも紹介したように、このコレクションはフリードヘルム ローという個人が所有・運営するミュージアムではあるが、自動車史に足跡を残す重要な個体をバランスよく網羅した良質な博物館だ。参考までに、住所とメールアドレスを記す。
The Nationales Auto Museum – The Loh Collection
Museumsstraße 1
35716 Dietzhölztal-Ewersbach
Germany
Tel.:+49 2774 923 650
Email: info@nationalesautomuseum.de
Opening hours Museum & Shop
Wed to Fri 11:00 a.m. – 6:00 p.m.
Sat, Sun 10:30 a.m. – 6:00 p.m.
ロー コレクション付設のレストランで美味しいランチを楽しんだ私たち一行は、ふたたびバスに乗り込んだ。目指すはフランクフルト国際空港。ドイツ滞在6日間のなかの最後の行程だ。車内の私たちが心なしか温和しいのは、早くも感慨に浸っているからだろうか。バスは無事に空港に到着。私たちには一連の出国手続きが待っている。ここでもツアーコンダクターのK氏がテキパキと手順を指示してくれてスムーズにコトは運んだ。アレックスも最後までなにかと面倒を見てくれる。最後にみんなとハグをして彼とはここでお別れ。ナイスガイ、アレックス。本当にありがとう。またいつか会いましょう。
出発までの時間をそれぞれが思うままに過ごし、フランクフルト20時05分発の日本航空408便に搭乗。復路はロシア領空を迂回し、中央アジアや東南アジア上空を飛ぶ「南回り」ルートを辿る。偏西風に乗るので、往路より2時間ほど飛行時間が短い。旅の通算日程で8日目に当たる日本時間の2月24日夕方5時ごろ成田に到着。旅全体を通じて細々とした配慮をしてくれたK氏と心を込めて挨拶を交わす。本当にお世話になりました。一方、旅の途中から仲良くなった人たちとは連絡先を交換、いつか再会を期してそれぞれの帰路に就いた。
日本の輸入車市場ではドイツ車が圧倒的に優勢だ。日本自動車輸入組合(JAIA)が2025年4月4日付けで発表した「2024年度輸入車新規登録台数(速報)」によると、メルセデス ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン、アウディ、BMW MINIが上位5位を占め、6位のボルボを挟んでポルシェが7位につづいている。ドイツ6社が2024年度の輸入車新規登録総数の実に70%を占めているのである。

ドイツ車が日本でかくも圧倒的な支持を受けている理由は、先進技術や高いビルトクオリティー、あるいは充実したアフターサービスなど様々あるだろう。そうした各論は事実として、ドイツ車に共通する「歴史」と「文化」が私たちに強く訴えかけている、これが最大の理由のように思う。
今回訪れたドイツメーカー4社は、どれも立派なミュージアムに自社の歴史を形作ってきたモデルを展示している。日々、相当な費用を投じても自前のミュージアムを運営するのは、ドイツのメーカーが自社の歴史的・文化的背景を誇りに思い、それを広く告知しようとしているからだ。私たちがドイツ製自動車に惹かれる究極の理由は、メーカー固有の歴史と文化が育んだ製品に惹かれるからだろう。ドイツ自動車博物館の旅を終えた今の私はそう思う。
夢のようなドイツ自動車博物館のツアー
「その1」でも述べたが、今回の旅行は『ジャルパック ブランド誕生60周年特別企画』と銘打った『ドイツ車4大ミュージアムとニュルブルクリンクを尋ねる8日間』というパッケージツアーだった。私にとっては夢のような企画で、取るものも取りあえず参加を決めた。
その辺りの気持ちは、旅でご一緒した方々も同様だったようで、その一人はこう語る。
「夢のようなドイツ自動車博物館のツアーに参加でき、自動車マニア冥利につきました。初めてのドイツでしたが、参加者の皆様にも恵まれ、充実した8日間でした」
私もまったく同感だ。フランクフルト国際空港に到着したときは、長年の夢が叶って万感胸に迫る思いだった。
海外旅行ならではの、ごく個人的なささいなエピソードも今となっては楽しい思い出だ。5日目のアウディミュージアムでは、観覧の途中、少し立ち疲れて近くのベンチに腰掛けた。すると通りかかったスタッフが私の姿を認めて、片方の眉をスッと上げ「大丈夫か?」のメッセージを送ってきた。私がサムアップして「問題なし」と答えると、彼は小さく頷いて去って行った。彼にとっては通りがけの些事だが、私にはボディランゲージによるプチコミュニケーションだった。
ミュンヘンのホテルではこんなこともあった。ルーターが充電中だったのでホテルのWi-Fiに接続したいのだが巧く行かない。フロントでその旨話すと、若いクラークが「わたしがやってあげる。あなたのスマホ持ってきて!」という。彼女はたちまち私の問題を解決してくれた。これまた彼女にとっては平凡な日常業務だが、私には嬉しくも微笑ましい一幕だ。
ひとたびツアーが始まるや、今まで雑誌でしか見たことのないクルマが次から次へと目の前に現れる。潤沢な情報が押し寄せて消化しきれないほど充実した日々がつづいた。旅仲間の一人はこう語る。
「車趣味に特化したこの旅は、8日間の行程中驚きと発見の連続でした。見聞きするものが新しくて、毎日お腹いっぱい。これまでにないツアーの楽しさを経験できました。現地に行かなければ得られない知識は、私のこれからの車趣味を充実させてくれるでしょう。趣味を同じくする方々との出会いも素晴らしいものでした。今後、同様なツアーがあれば参加したいです。ミュンヘンのホフブロイハウスで飲んだビール。おいしかったなぁ~」
これまた、まったく同感だ。私にとっては一生に一度のいい思い出になっている。思い出だけでなく、この旅で得た知識は今後の仕事に大いに役立つこと間違いなしだ。大切な友人ができたことも財産で、今もLINEを通じて連絡を取り合っている。
この連載は多くの方のご厚意によって実現した。個人的な旅日記のような本稿の連載を快諾してくださったアウトビルトジャパンを主宰する江原氏に御礼申し上げる。原稿の内容を吟味し、読みやすいレイアウトに仕上げてくださったのも氏だ。
博物館は広い。私一人ではとてもすべての展示車を撮影できるものではない。旅仲間のN夫妻、T氏、KT氏からは個人の大切な記録である写真の使用を快く承諾いただき、館内で収集した資料を手渡してくれた。それら写真と資料が本稿に貴重な情報を加えている。あらためて心から感謝します。そしてなにより長きにわたり本連載を読んでくださったアウトビルトジャパン読者諸氏に御礼申し上げます。またどこかでお目にかかりましょう。
Text:相原俊樹
Photo:相原俊樹ほか
【筆者の紹介】
相原俊樹:自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。