自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅 その14
2025年7月10日

そもそもロータリーエンジンはどんな構造をしているのだろう。このエンジンは繭(まゆ)の形をした密閉型ハウジングと、そのハウジング内部で回転する、各辺が緩い弧を描く三角形のローターで構成される。ローターが1回転するごとに、吸入、圧縮、燃焼、排気の4つの行程が完了する。可動パーツはこのローターと出力シャフトだけだ。レシプロエンジンと異なり、往復運動をするピストンやバルブ駆動機構がないので、理論上は振動が少なく、軽量かつコンパクトな内燃機関が期待できる。
R080では2ローターのペリフェラルポート式吸排気を採用、497.5cc×2の排気量から最高出力115ps/5500rpmを生み出した。

Photo:Audi AG

次にエンジン以外の主要な先進機構を見ていこう。ブレーキは4輪にATE製ディスクブレーキを備える。フロントディスクはインボードマウントで、バネ下重量を軽減している。

Photo:Audi AG
大径のステアリングホイールはZF製のラック ピニオンで、パワーアシスト付き。FWDゆえにどうしても操舵が重くなるための対策で、パワーアシストステアリングは1967年当時の乗用車にあっては希有な例であったという。私は1964年に登場したバンデン プラ プリンセスADO16を短時間走らせたことがあるのだが、小さなボディに似ずハンドルの重いことに泡を食った経験がある。60年代までのFWD車を運転するには、概して強力な腕力を要したようで、Ro80はこの点でも時代に先んじていた。
むしろこの写真で注目していただきたいのは、2ペダルレイアウト。そう、Ro80はクラッチペダルがないセミオートマチックなのだ。動力伝達系は3速ギヤボックスとフィヒテル&ザックス製トルクコンバーターから成り、両者の間にサーボ作動の乾燥単板クラッチが介在する。変速の際はドライバーがシフトノブに触れる。すると内部の電気スイッチによりバキューム機構が働き、クラッチを切り離す。ドライバーがノブから手を離すとクラッチが繋がる。シフトレバーそのものは通常のHパターンで、レバーを次のギヤスロットに送り込む動作は必要だ。それでも厄介なクラッチ操作から解放されるので、この2ペダルレイアウトはイージードライブに向けた価値ある一歩だった。

Photo:Audi AG
NSU Ro80はデビューするやロータリーエンジンを初めとする数々の先進機構により、センセーションを巻き起こし、1968年にドイツ車として初めてヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを獲得、順調に滑り出した。
メディアも素早く反応した。英国の専門誌『Motor』は1968年2月3日号にロードテストを掲載しているので、概要を紹介しよう。まず動力性能から。イタリア アウトストラーダの延々と続く直線上でRo80は117.1mph(188.4km/h)を実測、メーカー公表値180km/hを越える好値を記録した。0-400m加速は19.7秒。いずれも今の標準からするとごく温和しい数値だが、当時の中型サルーンとしては悪くない。

燃費性能は懸念された通り芳しくない。約2000kmに及ぶテストの平均で18リッター/100km、つまり約5.6km/リッターという結果を得ている。ロータリーエンジンが時代の要求を満たしていない唯一の項目が燃費性能だった。
ハンドリングに関して『Motor』は「おそらく世界最良のハンドリング サルーンだろう」と手放しの称賛振りだ。イタリアの山間路を走らせたところ「よほどの蛮勇をふるわない限り後輪を外に振り出すことは不可能。最終的には前輪が舵角より膨らむアンダーステアに転ずるが、そういう状況に持ち込むには相当な勇気を要する」と、高い路面保持性能を評している。

ヨーロッパの山間路を行くRo80。
Photo:Audi AG
居住性の評価も高い。「キャビンは例外的に前後に長く、180cm級の長身4名が快適に過ごせる」。視認性については次のように語る。「フロントウインドウの天地高が無類にたっぷりしており、低いボンネットと相まって前方視界は良好。後退時、振り返ればボディの後端部が見えるし、6ライトのおかげで斜め後方にもブラインドスポットはない」。
「ヴァンケル(ロータリー)エンジンはスムーズ。動力性能は良好だが、燃料経済性は貧弱。高速走行は極めて静粛。秀逸なハンドリング。上質な造り。広い室内。非常に快適な乗り心地」と、概して辛口で知られる『Motor』にしては、珍しく称賛の言葉が並ぶ。
発売後の市場からの反応も良好で、一時期ドイツでは生産が注文に追いつかなかった。
ただし順調な滑り出しは長くつづかなかった。納車後にエンジントラブルが続出し、メーカーはその対応に忙殺される。問題の元凶はローターのアペックスシールにあった。これがローターハウジングの壁にチャターマークと呼ばれる傷をつくり、シーリングに支障を来したのだ。NSUはクレームの対応に追われながらも、アペックスシールとローターハウジング内壁の材質改良に真摯に取り組み、70年代には問題はほぼ解決した。しかし時すでに遅し。このころNSU の財政状況は逼迫し、Ro80の生産は1977年4月に終了、同社にとって最後のモデルになった。1967~1977年の生産期間中、3万7374台がネッカーズルム工場の生産ラインをロールオフした。ロータリーエンジンの可能性を身をもって示したNSU Ro80の功績は大きい。

Photo:Audi AG
ロータリーエンジンの火は日本で燃えつづけた
1960年、NSUとロータリーエンジンに関する技術提携を結んだ東洋工業(現マツダ)は、チャターマークの解消に独自に取り組み、ついに1967年5月30日、ロータリーエンジン固有の問題を解決して、コスモスポーツを世に放った。1967年は奇しくもRo 80がデビューした年であり、いかにマツダがロータリーエンジンを集中的に開発したかが伺える。
1991年のルマン24時間レースではマツダ787Bが総合優勝を果たした。日本メーカーがこの伝統の耐久レースで獲得した初めての勝利であり、ロータリーエンジンを搭載したレーシングカーによる初のルマン制覇でもあった。まさに歴史に残る快挙。この年のルマンは日本のモータースポーツファンには忘れられないレースになった。
787Bが総合優勝を果たした1991年のルマンのスタートが切られた日から32年後の2023年6月22日、マツダはMX-30ロータリーEVの生産を始める。常時モーターで走り、ロータリーエンジンはもっぱら発電の役に徹して、走行には関与しない。つまりMX-30ロータリーEVはシリーズハイブリッドで、ロータリーエンジンはレンジエクステンダーとして働く。コンパクトな利点を巧く利用した、ロータリーエンジンの新たな可能性を模索する1台である。
――私の思いは目の前にあるミュージアムのRo80に戻る。
この1台は現代の乗用車に向けて、ある種のメッセージを発しているように感じる。
「今の4ドアサルーンではクーペスタイルが流行している。しかし後ろに行くに従って下降するルーフラインは後席のヘッドルームを圧迫し、これでは後席乗員の快適性を重視すべき4ドアサルーン本来の姿から外れてはいないだろうか?」
「極端なウェッジシェイプのせいでリヤウインドウの上下高が狭くなり、後方視界が限られている。これを補うのにリヤカメラを初めとする各種デバイスを取りそろえて帳尻を合わせるのは本末転倒ではないか?」
私の勝手な思い込みではあるが、今から半世紀も前にデザインされたRo80は、現代のアッパーミドルクラスサルーンの在り方に、ある種の警鐘を鳴らしているように感じる。NSU Ro80を「忘れ去られた1台」にしてはならない。私はそんな思いを胸にインゴルシュタットのミュージアムを後にした。
Text:相原俊樹
Photo:相原俊樹ほか
【筆者の紹介】
相原俊樹:自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。