1. ホーム
  2. 面白ネタ&ストーリー
  3. メルセデス・ベンツの偉大なレーシングドライバー ヨッヘン・マスが逝去

メルセデス・ベンツの偉大なレーシングドライバー ヨッヘン・マスが逝去

2025年5月24日

元メルセデス・ベンツのレーシングドライバーでル・マンウイナーであり、メルセデス・ベンツ・クラシックのブランドアンバサダーを長年務めたヨッヘン・マス(Jochen Mass)が2025年5月4日に78歳で亡くなった。

彼のモータースポーツの黄金時代は、1970年代から1990年代であった。特に、彼のキャリアのハイライトの1つは、1989年のル・マン24時間レースでザウバー・メルセデスC9を駆って総合優勝を飾ったことである。現役を引退した後も、彼は数多くのイベントで有名なメルセデス・ベンツ・クラシック・コレクションを運転し、ファンを熱狂的させた。

ザウバー・メルセデスC9。ヨッヘン・マスはマニュエル・ロイター、スタンリー・ディケンズと組んだ1989年のル・マン24時間レースを制覇。

ヨッヘン・マスは、彼の長く傑出したキャリアの物語を語る魅力的な方法を持っていました。ブランドアンバサダーとして、彼は長年にわたって私たちを代表し、親しみやすくフレンドリーな態度でブランドのファンを鼓舞しました。彼は、その膨大な知識と経験で私たちの古典的な伝説に命を吹き込む方法を知っていました。彼との交流はいつも大切にしていました。メルセデス・ベンツのレーシングアイコンを彼と一緒に道路に連れてくることは、常に個人的なハイライトでした。
メルセデス・ベンツ・ヘリテージGmbH マーカス・ブライトシュヴェルトCEO

フォーミュラ1からグループCへ

ヨッヘン・マス(Jochen Mass)は1946年9月30日、ミュンヘン近郊のドルフェンで生まれマンハイム近郊で育った。彼の多才なレースキャリアは、ツーリングカーからF1に至る。105回のGP出場を果たしたマスは、マクラーレンとアロウズで71の世界選手権ポイントを獲得、8回も表彰台に立ち、1回のGPを獲得した。従って、ヨッヘン・マスは偉大なドイツのF1ドライバーになった。彼の最大の勝利の1つは、1989年のル・マン24時間レースでザウバー・メルセデスC9を駆って優勝したことだ。その3年後、ドイツツーリングカー選手権(DTM)でチームマネジメントに転身した。

マスはアクティブなレースキャリアの後もメルセデス・ベンツとの密接な関係を維持し、メルセデス・ベンツ・クラシックのブランドアンバサダーとして数多くのクラシックカーイベントに参加している。

多彩なモータースポーツ活動

ヨッヘン・マスのキャリアは、メカニックとしての見習い期間を終了した後、1968年にアルファロメオのツーリングカーレース、1970年から1975年までフォードのワークスドライバーとして、多彩なモータースポーツ活動をスタートした。

マスは1972年スパ・フランコルシャン24時間レースで、ハンス・ヨアヒム・シュトゥックと共にフォード・カプリ2600 RSで優勝。同時にF2にも参戦し、1973年のヨーロッパ選手権ではサーティースTS15を駆って準優勝を飾った。同年、マスはシルバーストーンで開催されたイギリスGPでサーティースチームからF1デビューを果たした。

F1での活躍を終えたマスは、1984年のパリ・ダカールラリーにアルバート・プフルのチームからメルセデス・ベンツ500SLC/C107で参戦。1985年にドイツ・スポーツカー・チャンピオンを獲得した。1976年から1987年までの10年間はポルシェのワークスドライバーとして活躍した。その後、1988年にザウバー・メルセデスのワークスチームに加わった。

1955年以来のシルバーアローとなるザウバー・メルセデスC9を駆ったヨッヘン・マスは、1989年の伝説的なル・マン24時間レースでマニュエル・ロイター、スタンリー・ディケンズと共に優勝し、プロトタイプ世界耐久選手権では2位を獲得してシーズンを終えた。1990年、マスは後に偉大なる3人のメルセデス・ベンツの後輩達、ミハエル・シューマッハ、カール・ヴェンドリンガー、ハインツ・ハラルド・フレンツェンの指導者としての役割を引き受けた。

メルセデス・ベンツC11。ヨッヘン・マスからカール・ヴェンドリンガーへドライバー交代するシーン。1990年のスパ・フランコルシャンで開催された480kmレースで2位を獲得。

1990年のグループCでは、3人はメルセデス・ベンツC11をヨッヘン・マスと共有し、数々の成功を収めた。1991年のル・マンでは、ヨッヘン・マス、ジャン-ルイ・シュレッサー、アラン・フェルテが圧倒的なリードを保っていたにもかかわらず、技術的なミスにより、21時間後にリタイアすることを余儀なくされた。その年の終わりに、マスは日本のオートポリスで開催された世界選手権で5位に入賞し、レーシングドライバーのキャリアを終えた。1993年から1997年まではテレビのF1コメンテーターを務めている。

ヨッヘン・マスはメルセデス・ベンツ・ジュニアチームのカール・ヴェンドリンガー、ハインツ・ハラルド・フレンツェン、ミハエル・シューマッハを指導した(左から右)。

伝説のシルバーアローのハンドルを握るブランドアンバサダー

メルセデス・ベンツの伝説的なレーシングドライバーといわれたスターリング・モス卿は、かつてヨッヘン・マスを「レーシングカーに対する並外れた感覚と優れた専門知識を持ち、あらゆる時代のレースの歴史に精通したドライバー」と語った。このことにより、マスはメルセデス・ベンツ・クラシックのハンドルを握り数多くの歴史的なイベントに参加した。2005年のミッレミリアで、スターリング・モスがメルセデス・ベンツ300SLRで伝説的な勝利を収めた半世紀後のイベントにもモスはコ・ドライバーとして参加した。当時、モスは「ヨッヘンは私にとって気の合う人です」と語っている。

2005年のミッレミリアにメルセデス・ベンツ300SLRレーシングカー722/W196 Sで参加した元メルセデス・ベンツのレーシングドライバーでメルセデス・ベンツ・クラシックのブランドアンバサダーであるスターリング・モス卿とコ・ドライバーのヨッヘン・マス。

W06シリーズのスーパーチャージャー付きツーリングカー、初代シルバーアロー時代のGPレーシングカー、グループCレーシングカー、1955年の300SLR、自動車黎明期のメルセデス・シンプレックスなどの歴史的なレーシングカーのステアリングを握るヨッヘン・マスは、ブランドアンバサダーとして多くの有名なクラシックカーイベントで観客を大いに魅了した。彼は権威あるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの常連ゲストであり、歴史的なモータースポーツ文化を祝った。

ヨッヘン・マス(Jochen Mass):1946年9月30日生まれ-2025年5月4日没

ヨッヘン・マスは、2024年のグッドウッドでメルセデス・ベンツC11を駆った時のドライブについて、次の様に述べていたのが印象に残る。「もちろん、30年以上前のモータースポーツの厳しい世界の感情や記憶が呼び起こされます。グッドウッドには、ドライバー、チームメイト、メカニック、エンジニアなど、当時の仲間が集まります。フェスティバル・オブ・スピードは、その独特の雰囲気と信じられないほどのバラエティに富んで、私にインスピレーションを与えてくれます。」

Sehr geehrter Herr Jochen Mass,ich spreche Ihnen mein aufrichtiges Beileid aus.
Japan, den 4 Mai 2025
Hiroji Tsumatani

Text:妻谷裕二
Photo:Mercedes-Benz Classic Archive

【筆者の紹介】
妻谷裕二(Hiroji Tsumatani)
1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味はクラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。