【これ大好きー!】走って泳ぐクルマは子供の頃からの憧れ 夢のような水陸両用車の魅力とは?ドイツ人アンフィカー愛好家の感動物語
2024年11月8日
Schwimmwagen(シュビムワーゲン)=泳ぐ車:ルネ ポールのヴィンテージアンフィカー(Amphicar)コレクションは、水中でこそ本領を発揮する。それがどのようにして始まったのか、そしてなぜ彼にとってそうならなければならなかったのか。
ヴィンテージカー愛好家には特別な遺伝子が宿っている。さらに、ヴィンテージカーの中でも水陸両用車だけをこよなく愛す人には特別な遺伝子を持っているに違いない。この遺伝子を受け継いだのは、ハーメルン ピルモント地区のエアゼン出身のルネ ポールだ。彼は目を輝かせて興奮気味に語る。「昔の車は常に私の血の中にあって、私は常にそれをクールだと思っていました」。ここまでは良い。ほとんどのクラシックカー愛好家の経歴はこうして始まる。しかし、15歳の頃、学生時代のあるとき、ルネは初めて「アンフィカー(水陸両用車)」に乗せてもらった。その瞬間からすべてが変わった。彼は水陸両用車に夢中になった。「水陸両用車が欲しくてたまらなかった!」と彼は振り返る。
しかし、1980年代学生だったルネがアンフィカーを購入するのは困難だった。ルネは考え、解決策を思いついた。自分で作ってしまおうというのだ。「私はまず、鉄道模型の縮尺1:87で模型を作りました。アンフィカーや英国のロードスターの模型は販売されていませんでした。キットも何もなく、すべて手作りでした」。彼は仕方なく手作りでアンフィカーの模型を作った。
そして、この賢い学生は、クラシックカーの雑誌をくまなく調べて、作った模型を販売できる場所を探した。そして成功を収めた。「アンフィカー クラブ ベルリン」は、この小さな水陸両用車をとてもクールだと感じ、会員のために40台を発注し、さらにルネを試乗に招待した。大胆な行動が報われたようだ。レネは利益を使わずしまっておいた。そしてとにかく、彼は数年もの間、あらゆる費用を節約してお金を貯めた。「友人たちがパーティーに出かけるときでも、私は家にいました」。
最初の車:厳しい交渉
その努力が実り、当初の資金で目標にぐっと近づいた。ただ、父親だけはあまり乗り気ではなかった。「父は、まず大人になり、家庭を持って家を建てろと言いました。そうすれば、ヴィンテージカーも買えるだろう」と。しかし、このアドバイスは無駄だった。ルネは車を探し、見つけた。「それはヴェセル アム ラインにあった。1961年製だ。年配の紳士がそれを売りに出していて、12,000マルク(約100万円)で売りたいと言ってきた。しかし、私は6,000マルク(約50万円)しか持っていなかった。何度も電話で交渉した結果、ある時点で彼は10,000マルク(約83万円)を要求してきた。それでも私は6,000マルク(約50万円)しか持っていなかった。そして、1年以上もその状態が続いたのです」。
その間、彼はボートの運転免許証を取得した。これは、シュビムワーゲン(泳ぐ車)を手に入れたときに、それを水上で運転できるようにするために必要だった。1987年のある日、社会奉仕活動に従事していたルネが夕方帰宅した。父親が、見知らぬ男から電話があったと告げた。ルネは直感的に電話をかけ直した。ヴェセルの男からだった。「まだ車が欲しいなら取りに来い、と彼は言った」とルネは言う。あとはアンフィカーを引き取りに行くだけだ。「上司に、真実を話すか、明日病気で休むかどちらかだ」、と考えた。上司に告げると許可が下りたので、彼はその日仕事を休んで、夢の自動車を手に入れるためにエアゼンに向かった。「1週間、その車をガレージに置いておいて、それから分解しました。すべてがばらばらにされたのを見て、父はショックを受けていました!」。誇り高きアンフィカーのオーナーは溶接工を雇い、修理費用として600マルク(約50万円)の固定価格で合意した。「しかし、彼は現れなかったので、私は600マルク(約50万円)で溶接機を買って、自分で作業を行いました」。その車は塗装されて完成した。「父はそれを見て、2万マルク(約166万円)程度のとても良い車だと思ったようです(笑)」。
兵役を終え、大学進学を控えたルネには、もうひとつのアイデアがあった。できれば、高価な「アンフィ レンジャー(Amphi-Ranger)」が製造されているバーデン州ライナウのRMAでインターンシップをしたいと考えていたのだ。そして、またしても大胆さが功を奏した。「電話で直接社長につないでもらいました。そして、自分がアンフィカーのファンであり、ここでインターンシップをしたいと伝えました。すると彼は、いつから働けるかと尋ねたので、今日は450kmの道のりを運転できないが、明日12時までには行けると答えました。そして13時までに契約を結ぶことができました。アンフィカーのレンジャーがどのように溶接されているかを見学することができました。そして、すぐに自分の車を修理しました」。
同じ考えを持つ人々の中で
ルネは現在、昔から知っている「アンフィカー クラブ」のメンバーだ。そして、彼は主に水上で多くの時間を過ごしている。例えば、父と姉と一緒にヴェーザー川で夜のクルーズに出かけたときのことだ。「突然霧が立ち込めて、何も見えなくなりました。私はフロントフェンダーに座り、父がハンドルを握っていました。突然、川の真ん中に幽霊のような光が見えました。それが何なのか、私たちはまったくわかりませんでした」と彼は言う。「父親がアンフィカーを岸に近づけるように操縦していると、間もなく車のすぐ横に船の側面が現れ、またすぐに消えました」。それから何年も経って、ルネは海軍の親睦会の一般公開日に船の甲板に座り、その時の話を披露した。元海軍の仲間たちは大笑いしました。その話は彼らにとって馴染み深いものだったからだ。そして、ルネに自分たちのバージョンを語った。武装解除された掃海艇がハーメルンにその夜到着し、親睦会のクラブハウスとして使用されることになっていた。船内には照明が残っていなかったため、乗組員は懐中電灯で船首を照らさなければならなかったのだった。乗組員たちはビールでくつろいでいると、誰かが叫んだ。「車が浮かんでいるぞ!」。それは霧の中に現れたかと思うとすぐに消えてしまった。幸いにも事故には至らなかった。(笑)
1992年、ルネは妻とアンフィカーで出会った。レンタカーを利用して、ビレフェルトからケルンまで妻を乗せて行った。クリスティエンが車に乗り込むと、彼女の最初の言葉は「屋根を閉めることはできるの?」だった。ルネは屋根を閉め、2人は意気投合し、その旅は大成功を収め、今日まで続いている。
それから2年後、ルネはまたしても大胆なアイデアを思いついた。カレーからドーバーまで英仏海峡を渡りたいと考えたのだ。フランス当局はそれを快く思わなかった。そこでルネは自分の車を船に載せてドーバーまで渡り、今度は反対側から渡ろうと考えた。地元の漁師に同行を依頼したところ、その漁師は渡航を止めるよう忠告した。潮流が強すぎて、ルネには勝ち目がないだろうと。「私は、その道の事情に詳しい人の助言に従いました」と彼は振り返る。彼は、アンフィカーでのドーバー海峡横断を断念して、愛車とともに船で戻ってきた。
翌年、ルネは深刻な洪水の状況下で、自らの車の利点を証明することができた。リンテルンにある牧草地の馬の群れが洪水により近づけなくなった際、彼は獣医を乗せて水上のドライブを敢行。獣医は馬たちに鎮静剤を投与し、ヘリコプターで馬たちを救出した。
エキゾチックな車の検索サイト
1999年9月9日、現在自動車工学のエンジニアであるルネは、妻のクリスティアンと結婚した。当然、結婚式の車はアンフィカーだった。さらにLuAZ-967Mが加わったが、これは2023年まで販売されることはなかった。2002年、ルネはGAZ-46を探していたが、オファーを見つけることができなかった。そこで彼は、水陸両用車販売の広告を掲載した自分のウェブサイトを立ち上げた。「私が最初に広告を読めるようにしようと思ったんです。それが狙いでした。」
GAZ-46は広告には掲載されなかったが、1985年製の大人気車種アンフィレンジャーが掲載された。「経済的には楽ではありませんでした。当時、子どもが一人いて、二人目が生まれる予定でした。友人や知人など、ありとあらゆる所からお金を借りました。」アンフィレンジャーはライン川沿いのリューデスハイムの近くあり、そこでルネは車両を引き取った。「そこから友情が芽生え、2003年から毎年10月になると必ず販売者に会いに行っています。」
年に一度、水陸両用車の国際会議「Amphib」が開催される。2003年にロンドンで開催されときに、ルネはクラブの仲間たちとロンドンの街をパレードしたかったのだが、許可が下りなかった。彼らの車が泳げるようにできていて、テムズ川がロンドンの真ん中を流れているのは、なんと都合が良いことだろうか。「私たちはグリニッジの近くで水上に乗り入れ、タワーブリッジの下を通って国会議事堂まで行きました。もちろん、間近で見たかったのです。」水陸両用車の運転手たちはそのアイデアを気に入ったかもしれないが、英国の法執行官たちは面白く思っていなかったようで「突然、水上警察がボートに乗って私たちの隣に現れました。」とルネは言った。「彼らは厳しい言葉を浴びせてきましたが、渋々そのまま行かせてくれました。」
ルネのコレクションは増え続けている。次のアイテムは、1980年のエキゾチックなアルミニウム製モデル、「アクオニ」である。このプロトタイプは、「テスラ サイバートラック」に似ている。「VW K 70」をベースにその技術を搭載した「アクオニ」は、リトラクタブルホイールを備え、水上を滑走する際にはかなりの速度を出すことができる。「これはもらったんだ。すごくいい車だよ!」とレネは言う。1987年に旧東ドイツで自作された水陸両用車「ホームックス」は、速度はそれほど出ず、水上での走行もゆっくりで、道路では慎重に運転する必要がある。「友人から譲り受けました。東ドイツのボスたちは、人々がこの車でバルト海や他の水域を越えて逃亡するのではないかと恐れていたため、生産には至りませんでした」とレネは笑う。
ロシア製水陸両用車
さらに、彼はガレージに1979年製のロシア製「イシアンダー」を保管しており、準備を整えたいと思っている。「このユニークな車はロシアから入手したものです。ステーションワゴン、オープンカー、オフロード車、水陸両用車として使えます。ケーブルウィンチも付いています」。ポールのホールで最も印象的なのは、1972年製の「フィアット6640/A」、かつてのイタリア消防団の車両だ。全長7.3メートル、重量6.5トンのこの巨体は、市場にほとんど出回ることはない。しかし、一度だけ市場に出回ったことがある。「eBayで見つけたんです。イタリア北部の自動車ディーラーにありました。友人が少し調べてくれて、その売り手について警告してくれたのですが、どうやらその人は3度も刑務所に入っていたことがあるらしいのです。私の父はその話を聞いて、車に座るまでは支払わないようにと言いました(笑)」。
しかし、ルネの誇りと喜びは、2003年製の「ギブス アクアダ(Gibbs Aquada)」という実に素晴らしい車だ。水上に浮かべ、車輪を折りたたむと、なんと時速46km(25ノット)で進むことができるのだ!「アクアダ」は生産されたことはなかった。ルネは2017年にオランダで妻のクリスティエンとともに購入することができた。
かなりの数のコレクションが、ルネを次のアイデアへと駆り立てた。「博物館を建てたかったのですが、あまりにも費用がかかりすぎます。博物館の建設資金を調達するには、車を売却しなければなりませんでした。ところで、妻はいつも私の趣味を、金銭的な面も含めてサポートしてくれています。私一人ではできなかったでしょう!」と彼は感謝を込めて語った。
Text: Michael Schießl
Photo: Jan Merlin Friedrich / AUTO BILD