【訃報】メルセデス・ベンツのスタイリング名匠 ブルーノ・サッコ氏が逝去
2024年10月2日
世界的に有名なメルセデス・ベンツのスタイリング名匠 ブルーノ・サッコ氏が2024年9月19日にジンデルフィンゲンで90歳の生涯を閉じた。
ドイツ国籍でイタリア生まれのブルーノ・サッコ氏(Bruno Sacco)は1958年から1999年までメルセデス・ベンツで活躍した「世界的にも有名なカーデザイナー」。しかも、1975年から1999年までの長期に亘り、「メルセデス・ベンツのスタイリング・デザイン部長」を務めた。
既存のジンデルフィンゲンのデザインセンター以外に新たにロサンゼルス、横浜(1993年当時)、イタリアのコモに3つの先行デザインセンターを立ち上げたのもブルーノ・サッコ氏だ。何故、ブルーノ・サッコ氏が3つの先行デザインセンターを立ち上げたかといえば、まずあらゆる文化を統合させ、選択肢を増やすことから始め、その結果、可能な限り最高のデザインを創造することである。そして、環境こそが独特なクルマ文化を育くみ、クルマのトレンドをリサーチするには格好の地域であるからといえる。
特筆は1990年代のメルセデス・ベンツには「サッコ・プレート」と呼ばれるボディサイドの下部を覆うサイドプロテクトパネルが取り付けられており、その名の通り、彼の手によるデザインとしてあまりにも有名だ。
ブルーノ・サッコの生い立ち
●1933年11月12日にイタリア・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のウーディネでイタリア陸軍山岳部隊仕官の父オッタビオ(Ottavio Sacco)とオーストリア人の母マルゲリータ(Margherita Martinz)の間に生まれる。子供時代は父親の転勤の為、各地を転々とする。
●1951年のトリノ・モーターショーで見たレイモンド・ローウィが、デザインしたスチュードベーカーの車に深い感銘を受ける。
●1952年にトリノにあるトリノ工科大学に入学する。
●1955年に実習生としてカロッツェリア・ギアに入る。この期間にセルジオ・ピニンファリーナ(Sergio Pininfarina)と出会う。
●1957年にトリノ駐在ドイツ領事の計らいで、ダイムラー・ベンツ社のデザイン部門の責任者であるオーストリア人のカール・ヴィルフェルト(Karl Wilfert)との面接を受け、1958年にダイムラー・ベンツ社への採用が決まる。
●1958年にダイムラー・ベンツ社でフリードリッヒ・ガイガー(Friedrich Geiger)のデザイン・スタジオで2人目のスタイリング・デザイナーとなる(参考までに一人目はポール・ブラックである)。
●1963年にこのデザイン・スタジオを離れ、ベラ・バレニ-(Bela Barenyi)の先端安全技術研究部門に移籍する。
●1968年にデザイン・スタジオに戻り、数種の安全実験車・ESFを手掛ける。ドイツ語ではExperimental Sicherheit Fahrzeugとなり、日本語では安全実験車の意味。英語ではESV(Experimental Safety Vehicle)と呼んでいる。
●1974年にチーフエンジニアとなり、フリードリッヒ・ガイガーの後を引き継いでデザイン・スタジオの責任者となる。
●1999年に引退し、後任にはペーター・ファイファー(Perter Pfeiffer)。
前任のフリードリッヒ・ガイガー(Friedlich Geiger)は、1930年代から1960年代を通じ、メルセデス・ベンツのスタイリング部門を統括指揮していた。「メルセデス・ベンツエレガンスの中興の祖」として、語り継げられている名カー・スタイリストで、180シリーズ/W120のような「無駄が何ひとつない造形」を創造するかと思えば、600シリーズ/W100のような「王者たる荘厳さ」を描き出した。そうかと思えば、230SL/W113に見る「モダンニズムとエレガンスの融合」を巧みに指揮し実現させた。まさに「天才の名にふさわしいスタイリスト」。それゆえに彼の率いたスタイリング部門には優秀な人材が集結した。その中にいた優秀な1人の若者が、後にスタイリング部門を率いることになった世界的に有名になった「ブルーノ・サッコ」だ!
ブルーノ・サッコの主な代表作
●メルセデス・ベンツ ESF22 (1973年) ESF=ドイツ語ではExperimental Sicherheit Fahrzeug、日本語では安全実験車の意味。英語ではESV(Experimental Safety Vehicle)と呼ぶ。
●メルセデス・ベンツ C111-Ⅲ ターボディーゼル(1978年)。9つの世界スピード記録樹立。
●メルセデス・ベンツ W126(1979年) Sクラスセダン、クーペ。
●メルセデス・ベンツ W201(1982年) 190モデルシリーズ。
●メルセデス・ベンツ W124(1985年) Eクラスセダン、クーペ、コンバーチブル、ステーションワゴン。●メルセデス・ベンツ R129 (1989年) SLクラス。
●メルセデス・ベンツ W140(1991年) Sクラスセダン、クーペ。
次に彼の代表作を写真で紹介してみよう。愛読者の皆さんは、あっ!このモデルはブルーノ・サッコがデザインしたモデルかと納得されるだろう。特に、1979年Sクラス/W126シリーズは愛読者も印象深いといえる。事実、「すべてのデザイン形態のW126シリーズは、私がメルセデス・ベンツのために行った最高のものです」とブルーノ・サッコ氏自身が数十年後に振り返って述べている!
1999年3月31日、数々の賞を受賞して引退
美学とテクノロジーを調和させながら融合させたブルーノ・サッコは、自動車史上最も影響力のあるデザイナーの一人となった。1999年3月31日、ブルーノ・サッコは数々の賞を受賞して引退した。2002年にウーディネ大学から名誉博士号を授与され、2006年にはミシガン州ディアボーンの「自動車殿堂」、2007年にはジュネーブの「欧州自動車殿堂」に殿堂入りした。ブルーノ・サッコは、20年間の引退後、「メルセデスは私の人生であり、充実した日々だった」と述べた。
偉大なブルーノ・サッコ氏の死を偲んで
2008年から現メルセデス・ベンツ・グループAGの最高デザイン責任者である ゴルデン・ヴァーゲナー(Gorden Wagener・1969年ドイツのエッセン市生まれ)は次のように述べている。
「ブルーノ・サッコは、その象徴的なデザインと美学への情熱で、会社に永続的な足跡を残しました。私たちは卓越した個性と印象的な審美眼を失いました。彼の家族と友人に心からお悔やみ申し上げます。」
メルセデス・ベンツ ヘリテージGmbHのCEOであるマーカス・ブライトシュヴェルトは次のように述べている。
「メルセデス・ベンツは、この並外れたスタイリストでありながら謙虚な人物を常に覚えています。ブルーノ・サッコは、メルセデス・ベンツの数多くのアイコンの形を定義してきました。それらの多くは、今日でも日常の道路交通で見かけられるか、ブランドのクラシックとして魅了されています」
メルセデス・ベンツは戦前・戦後を通じて、数多くの流麗なスタイルを世に送り出してきた。モノコックボディが主流になる以前の流線型の時代には、540K/W24に代表される「貴族的な香りが漂う華麗なフォルム」を生み出す一方、メルセデス・ベンツならではの「実用的セダン・スタイル」を世に問うことも忘れてはいなかったといえる。
Text:妻谷裕二
Photo:Mercedes-Benz AG、妻谷コレクション