【クラシック オブ ザ デイ】ポルシェとメルセデスが共同開発した「メルセデス・ベンツ 500E」は異彩を放つ名車だ!
2023年12月8日
メルセデス・ベンツ 500E(W124):90年代のメルセデスの大ヒット作。ポルシェとメルセデスが共同開発し、メルセデスSL(R129)の5リッターV8を搭載した500Eは、異彩を放つ名車である。クラシック オブ ザ デイ!
「500E、E500」(1990年~1995年)は、販売不振と財務問題により、存在危機的状況にあったポルシェに開発と生産の協力を依頼するという異例のプロジェクトによって誕生したスーパーサルーンだ。技術的には多くの点でポルシェであるが、メルセデス・ベンツのミドルクラス最上級グレードとして市場に登場した。
ポルシェとメルセデスが交互に生産
「500E」は1990年秋に発表された。「メルセデスSL(R129)」に由来する5リッターV型8気筒(M119)が搭載され、ジンデルフィンゲンのメルセデス・ベンツとツッフェンハウゼンのポルシェの2ヶ所で生産された。
ポルシェはボディシェルを受け取り、先代のW123から狭められた車幅を、V8が収まるようにフロントエンドとバルクヘッド、トレッドを変更し56mm拡大した。あのフレアした迫力のフロントフェンダーをはじめ、手作業で改造されたボディは塗装のためにジンデルフィンゲンに戻った。
エンジンの組み立てと最終的なシャシーの組み立て(R129のパーツを使用)、エキゾーストとブレーキシステムの組み立ては、再びツッフェンハウゼンのポルシェ第一工場で行われた。「500E」1台の生産には、実に18日間を要した。
その結果、「パナメーラ」よりもずっと前に、4ドアのポルシェが誕生したのである。1993年6月に行われた2度目のモデルチェンジ(Mopf 2)では、初めて「Eクラス」という呼称が導入され、「500E」は「E500」となった。
2度目のフェイスリフトでサビが発生しやすくなった
「500E」は6秒後には100km/hに到達する直線番長的な印象もあるが、ダイレクトで正確なステアリングでハイスピドコーナリングも難なくこなす。最高速度は250km/hで電子制御される。
1993年のモデルチェンジでは、クロームグリルがいわゆる「バッジグリル」に変更され、星マークがグリルからボンネットに移動した。
残念なことに、水性塗料も導入されたため、それまで立派だったボディワークの防錆力が弱まり、ドア上端、トランクリッド、シル先端、ホイールアーチ、エアリアルベースが錆びやすくなった。
サスペンションジョイント、トラックロッド、ステアリングギアなど、一流の素材であっても特にストレスがかかる部分は、並みのW124よりも高い交換頻度となるが、スペアパーツはメルセデス・ベンツのカスタマーサービスを通じて迅速に供給された。
テクニカルデータ: メルセデス500E(W124)
● エンジン: V型8気筒、フロント縦置き ● シリンダー: バンクごとに2つのオーバーヘッドカムシャフト、シリンダーごとに4つのバルブ、2つの調整式セラミック触媒コンバーター ● 排気量: 4973cc ● 出力: 326PS@5700rpm ● 最大トルク: 480Nm@3900rpm ● 駆動方式: 後輪駆動、トラクションコントロール付き4速オートマチックトランスミッション ● 足回り: フロントウィッシュボーン、ストラット、スタビライザーバー、リアウィッシュボーンアクスル、コイルスプリング、スタビライザーバー ● タイヤ: 225/55R16 ● ホイールベース: 2800mm ● 全長×全幅×全高: 4750x1796x1408mm ● 乾燥重量: 1790kg ● 0-100km/h加速 6.3秒 ● 最高速度: 250km/h(制御値) • 新車価格(1990年当時): 134,520マルク(約1,125万円)
大林晃平:
W124の500Eに関しては、もうこれ以上語ることがないほど世の中で伝説となるような話が知られている。そのほとんどは絶賛で、最後のモンスター メルセデス・ベンツとか、これぞ究極のスリーポインテッドスターのような評価がほとんどだし、何よりも本文で記されているように、ポルシェが開発と生産に絡んでいる、というところがまたエンスージャストの琴線に触れる部分なのである。
個人的な話で申し訳ないが、この500Eが発表された時、我が家の自動車はW124の230TE(ということは、S124)で、かなり長い間この車を所有し愛用していた。そしてその後、中古車で幸運にもR129の500SL初期モデルを所有し乗っていた時期がある。W124の500Eは「W124の4ドアボディに、R129のフロント部分を移植したような車だ」と当時のインプレッションで説明されてきたことから考えれば、私はその2台を所有し、別々に味わうことができた幸運な(?)男ということもできよう。
またこの500Eの全盛期、私の周りにはW124の500Eを新車で購入し乗っていた人が一人と、極上の中古車を購入し愛用していた人がそれぞれいて、そのどちらにも思い切り乗せてもらうことができた。これもまたラッキーな話で、広報車輛やテスト車輛ではなく、ちゃんと一般的に購入されたそれぞれの自動車を、結構な距離に乗ることができたことは自慢に聞こえたら申し訳ないが、ちょっと得したようにも感じた人間である。
で、そんな人間からすると500Eはどんな車だったかと言えば、確かにW124にR129を500SLと合体させた自動車と表現することが的確な自動車であったが、じゃあW124とR129とどっちよりだったかといえば、圧倒的に運転した印象は500SLに近かったように思う。エンジンが500SLなのだから当たり前ではあるのだが、パワー感と滑らかさ、そしてみしりともいわないまま圧倒的な速度までするするっと路面をなめながら走り抜ける感覚は、500SLそのものであったといってもよい。
だがもちろん補強を施されたとはいえ、これほどのパワーとサスペンションとタイヤを与えられても、一切の不満を言わず受け止めたW124の基本骨格の素晴らしさと相まって生まれたことが500Eを伝説にしているとも言えよう。
W124もR129も基本的な部分が素晴らしかったからこそ、「羊の皮をかぶった狼」のような自動車が奇跡的に成立したのだと思う。その2台のどちらかがちょっとでもダメだったら、これほどのメルセデス・ベンツは生まれてこなかったであろう。
1991年から1995年までの約4年間に、前半はポルシェの工場とメルセデス・ベンツの工場、後半はメルセデス・ベンツの工場で生産され、結局、10,479台が生まれた。つまり年間2,000台ほどが作られたわけで、この数は多いようで、やはり少ないと思う。そのうちの1,184台が日本に正規輸入されたと記録されているが、実際にはそれを上回る並行輸入の500 Eが日本に上陸するほどの伝説的な人気車となったが、北米ではこの500Eはそれほどの人気者になれなかったというのは興味深い。アメリカ人にはこういう「羊の皮をかぶった狼」みたいな自動車は難解だったのだろうか。
それにしても、今改めて500Eなどを見ると、なんだか当たりはずれの激しい今のメルセデス・ベンツのラインナップを見ながら、あの頃はよかったという決まり文句がつい出てしまうことを、お許しいただきたい。
Text: Matthias Techau
Photo: autobild.de