【動画付き】アメリカンジョーク? いやいやマジです ボンネビル ソルトレイク スピードレース

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フォトギャラリーもめっちゃ楽しい ソルトレイクのモンスターたち勢ぞろい

ソルトレイクスピードレース アメリカ西部のボンネビルにある広大な砂漠は年に一度、夏の時期に、超高速スピードレースのレース場に変身する。そして文字通りクレージーなスピードシーカー(speed seekers=スピードを追い求める人々)やクルマたちが全米から速度記録を破りにやってくる。

熱い塩砂漠の恐竜には「ソルトザウルス」という不吉な名前が付けられている。
広大なソルトレイクは、ソルトレイクシティからクルマで1時間半くらいのところにある。

クルマ好きなら、ボンネビルはまだしも、ソルトレイクという言葉を一度は目や耳にしたことはあるのではないだろうか。

アメリカ西部のソルトレイクに名声と栄光のすべてがある

これは、毎年夏にボンネビルに集うスピード狂たちのスピードとアドレナリンの物語だ。
干上がったソルトレイクの世界は現実のものとは思えない。
ガラガラヘビやサソリさえも避けて通る恐ろしい空間だ。
空気は埃のように乾いている。昼間は40度以上で燃え尽きるほどだが、夜になると一転、辺りは凍りつく。

そしてスピードジャンキー(中毒)たちのためだけに、この環境は必要だ。
彼らは一年中ワークショップで、狂った箱を作っている。エンジンから、あと数馬力、あと数十馬力を得るために。
最終的には誰も乗ったことのないスピードを備えたクルマが完成する。
100年以上もの間、アメリカのスピードフリークたちは、先史時代以来のボンネビルのソルトレイクを使って、スピード記録に挑戦し続けてきた。
1万6千年前、52,000平方キロメートルのこの湖は、ミシガン湖にも匹敵するサイズを有していた。
そして氷河期の終わりには湖の水は干上がってしまい、残ったのは塩だけだった。

観客席はもちろんのこと、ちゃんと建てられたパドックやピットレーンもなく、休憩所さえない。むろん、走行後には洗車も野外できちんと行うことが必要だ。クルマにとってソルト(塩)は非常に有害だからだ。

ドライバーの年齢は重要ではない

数え切れないほどの記録が、ここの地獄のような場所で、様々なマシンに乗った、死に物狂いのスピードフリークとモンスターマシンによって樹立された。そしてその記録を破るということが繰り返されてきた。
8月から10月の間、塩分が十分に乾いているときに、何百台ものピックアップやトレーラーがこの白い砂漠を目指してやってくる。
毎年1500台もの車がスピードウィークに参加し、一度参加した人は必ずまた戻ってくる。
ドライバーの中にはすでに70歳を超えている人もいて、さまざまな車でスタートし、スピードを競いあう。
ホットロッド、流線型の車、独立したホイールを持ついわゆるレイクスター、あるいは古い飛行機のタンクを改造して作られたベリータンク。
常設の建物やファンのためのグランドスタンドはないが、最寄りの町、ウェンドーバーにはスピードウェイ博物館がある。住民1500人のウェンドーバーは2つの州にまたがっている。半分はギャンブルやトップレスバーがあるネバダ州、もう半分はモルモン教の州であるユタ州にあり、そこではスーパーのビールでさえ信じられないほど超低価格で売られている(モルモン教徒は、アルコールやカフェオレといった刺激物をとることは戒律によって許されていないのである)。

スピードシーカーたちへのヒントとアドバイス
スピードウィークの入場料は、1日15ドル、または1週間40ドルだ。ソルトレイクへの出口はユタ州とネバダ州の国境の州間高速道路「インターステート80」にある。隣の町はウェンドーバーだ。 そこに行くのに快適な方法は、自分の車で行くか、ソルトレイクシティまで飛行機を利用して、そこからソルトフラッツまでレンタカーで1時間半かかる。 重要なことは、履いていった靴をビニール袋で完全に覆うことだ。塩が頑固に靴に付着してとれなくなってしまうから。 エリア内のホテルはスピードウィークの早い時期に予約されている。そのためホテルの代わりにキャンピングカーまたはテントを使う人も多い。 塩の砂漠に欠かせないものは、帽子、サングラス、日焼け止め、折りたたみ椅子、そしてたっぷりの飲料水だ。 「マルセロ」は近くのシンクレアガソリンスタンドの店で、美味しいブリトーとシャワーキャビンを5ドルで提供している。
1952年のビュイックスーパーリビエラ改造モデル。ヘッドライトの代わりに砲弾の先端部分と、直列8気筒エンジン備えている。

仲間がネジを回し続け、ママはパイを焼いている

独ハンブルク出身のアレクサンドラ リエは、1999年からボンネビルに通っている。この間、ブロンドの写真家は多くのスピードシーカーズ(speed seekers=スピードを追い求める人たち)に出会い、多くの友人を作った。
車好きの「ギアヘッド(gearhead)」でもある彼女は、他の人よりも彼らに近しい感覚を持っている。
そして彼女は自分のカメラを使って、冒険車たちがどのようにして作られるのかを、記録し続けている。
彼らのほとんどのプライベート時間は、自宅のガレージで自分たちの手で車を作っている。
「この感覚は慣れ親しんだものです」とアレクサンドラ リエは言う。「毎年、そこで友人に会うのを楽しみにしています」。
そこに参加するものはみな、日中はクルマ作りに集中して、夜はウイスキーやビールを飲む。
男、機械、砂漠、破るべきスピード記録、仲間はネジをいじり続け、ママはアップルパイを焼く。
ボンネビルはペーソス(哀愁)であり、古き良きアメリカの断片でもある。

自動車を愛してやまないアレクサンドラ リエ。ドイツの女性カメラマンは毎年ハンブルクからアメリカにスピードウィークを写真におさめにやってくる。
16年以上にわたるボンネビルでの結果と写真が盛り込められた、アレクサンドラ リエの本、”The World’s Fastest Place”は文字通り貴重な1冊だ。過去16年間の写真をもとに、「The World’s Fastest Place」というタイトルの素晴らしい本を作成した。この本は、http://www.alexandralier.com/ で、39.90ユーロで入手できる。

記録を求めて

ソルトレイクシティの市長であり、プロのレーサーでもあった、ジェンキンスから、1935年にボンネビルの歴史は始まった。その伝説は、彼が所有するデューセンバーグの「モーモンメテオ」で打ち立てた24時間耐久記録(平均速度217km/h)から始まる。
1935年から39年にかけては、イギリス人のマルコム キャンベルがソルトフラットで初めて時速483kmを超えるスピードで走行した後、ジョン コブとジョージ エイストンの激しいバトルが繰り広げられた。
1949年、ノースカリフォルニアタイミングアソシエーション(SCTA)が、アマチュアスピードレコードハンターのための初のスピードウィークを開催。

1956年には時速200(320km)マイルクラブが設立される。時速200マイル(320km)を突破できる者だけが参加できる。同年、ヴィルヘルム ヘルツはNSUドルフィン流線型モーターサイクルで時速200マイル(320km)を超えた。
今日では、1963年から66年の間に行われた地球最速の男の称号をめぐる戦いは、ボンネビルの陸速記録の黄金時代と呼ばれている。その結果は、時速400マイル(約640km)、500マイル(約800km)と増え続け、600マイル(約960km)を超える記録も樹立された。
1970年にゲイリー ガベリッチがブルーフレイムロケットカーで打ち立てた1001.66km/h(時速622.4マイル)を超える記録は今や伝説となっている。

ビッグブロックV8と1,000馬力を備えたこの288 GTOは、世界最速のフェラーリだ。

泥だらけの地面が高速走行を危険にさらす

しかし、地球上で最も速い場所としてのボンネビルの時代は、もう終わりを迎えているようだ。自然保護にもかかわらず40年以上も続いてきた塩の採掘により、干潟は湿地帯化してしまった。スピードウィークとシュートアウトは2015年以来中止となってしまっている。
すでに90年代には、干潟を救うための「SAVE THE SALT」が始まっていた。おそらく、隣の湖に新鮮な塩を流してやれば何とかなるだろうが、そんなことをできるかどうか定かではない。

ボンネビルのスピードシーカーたちにとってソルトレイクは、単なる塩湖ではない。彼らにとっては生息地なのだ。近くの塩湖が彼らの救いになるかもしれない。

ボンネビルに関する9つの事実
1896年以来、自転車競技がボンネビルソルトフラッツで開催されている。
1914年、”Terrible=ひどい” テディ テツラフは、ブリッツェン-ベンツで時速229.85 kmを達成した。
1935年、イギリス人ドライバー、マルコムキャンベルは、ブルーバードで、ランドスピードレコード484.62km/hを樹立した(アメリカ人にとって何より重要なのは、300 mph=482.803km/h以上という数字だ)。
1949年、ノースカリフォルニアタイミングアソシエーション(SCTA)が最初のスピードウィークを開催した。その間、ドライバーは何日もレコードハンティングを行う。
1960年代には、「スピリット オブ アメリカ」のようなタービンとロケット推進力を備えた車がボンネビルにやってきた。ルールの変更と禁止事項が制定される。
1970年、ゲイリー ガベリッヒは液体ガスロケットカー、”Blue Flame”で1001.66 km/hを達成した。それ以来、これより速い車は出現していない。現在の陸上速度記録保持者であるアンディ グリーンは、ボンネビルではなく、ブラックロックバレーの「スラストSSC」で音速の壁を破った。
スピードウィークのSCTAルールには、四輪車の約1000クラスと二輪車と三輪車の約2000クラスが存在する。
スピードウィークでは年齢は問題にはならない。ジョー フォンタナ(当時82歳)は2006年にファーガソン ナンバー75ストリームライナーで412km/hを記録した。
最速のEVは、時速495.14 kmのヴェンチュリー バックアイ ブレット2.5 ストリーマーで、ロジャー シュロアーが2010年に記録を樹立した。

おまけのYouTube動画

1 EVとして世界最速495 km/hを記録したヴェンチュリー

2: ボンネビルスピードウィークの様子

3: Speed Demon(スピード悪魔) 685km/h走行コックピットからの眺め

今回はフォトギャラリーもめっちゃ楽しいですよ。

【フォトギャラリー】

これがトップメカニックの容姿だ。マークと相棒の“チーフ” ラスは、2000馬力「スピードデーモン(Speed Demon=スピード悪魔)」を有する「ジョージポートチーム」の2000馬力「スピードデーモン(Speed Demon=スピード悪魔)」のチームクルーだ。
彼と彼のマシン: ジャック コステラと彼のマシン、「ネビュラス セオレム(定理)VI #6060」は8つの記録を保持している(最高速度:292.40 km/h)。
カリフォルニア州サンノゼのバックヤードにある彼のワークショップ。
ジャックはドライバーを乗せたまま、足元で溶接している。
光り輝く作品は、ヘッドライトの代わりに砲弾の先端部分を備えた、直列8気筒エンジン(最高速度:275.20 km/h)を搭載した1952年のビュイック スーパー リビエラをベースに仕立て上げられた。
パドックはオープンエアの中に設置される。
各スピードトライアルの最後には、パラシュートがソルトレーサーを速度ゼロの世界にひき戻す。
キース コープランドと彼の2000馬力のトライアンフTR6の改造車(最高速度:611,55km/h)。
これなんだかわかりますか? もとはマツダRX-7だ(笑)。V8を積んでいる、おそらく世界一速いパトカーだ。
ヘミ(エンジン)パワー: 364.1km/hバラクーダ(ダッジ チャレンジャー)。
高速ホットロッド: ルーフ、そしてフロントガラスなしで482.8km/h。
タニス ハモンドは、時速300マイル(482.803km/h)の壁を打ち破った最初の女性だった。弾丸マシンは夫のセス ハモンドによって考案され、設計されたもので、最高速度は520.58 km/hだ。
悲劇的な父と息子の物語を描いたアソール グラハムのストリームライナー: 1960年に父アソールがソルトレイクで亡くなり、息子ブッチが50年後に車を再建し、塩の上で運転している。
トロフィーたちは最速かつ大胆なドライバーたちを待っている。
ホットロッドと将来ホットロッドになるジャンクでいっぱいのタグボート。
この4人は毎年飛行機でやってくる。塩の砂漠には着陸するのに十分なスペースがある。
ボンネビルの広い風景の中で、毎年、最大10,000人のファンが迷子になる。
最寄りの町、ウェンドーバーにはスピードウェイ博物館がある。
おまけにルノー4(キャトル)をどうぞ(笑)。 最高速度の記録は定かではないが、いやー本当に愉快。
まさしくアメリカンスピリッツ満載!

自動車の速度はいったい何キロまで出るのかは、男の子であれば(いや男の子のみならず)それは永遠の興味の対象であろう。
1898年にはベルギー人であるカミーユ ジェナッツィのジャメ コンタント号が、早くも時速100キロを突破している。ジャメ コンタント号はEVなのだが、その名前の意味は「決して満足しないこと」であり、その言葉の通り、今まで決して満足することなく、最高速度への挑戦は続けられてきた。

その中でも今回のボンネビル ソルトレーク スピードレースは世界で最も有名なレースであり、様々な自動車雑誌や、子ども自動車百科事典などで、必ず一度は見たことがあるはずの有名なスピードへの挑戦レースである。
そんなボンネビル ソルトレイク スピードレースの歴史上でも、特に有名なのは1970年にゲイリー ガベリッチがブルーフレイムロケットカーで打ち立てた1001.66km/h(時速622.4マイル)という記録で、これはほぼ音速(1225km/h)に近い速度だ。これだけの速度になれば、車両になにかトラブルが発生したり、ほんの一瞬の運転操作の過ちがあったりしたらもちろん命はなくなるだろうし、そこまでの速度でなくとも、何かあったら生命の保証は全くないだろう。
また決して安くないはずの投資をして車を一生懸命に仕上げたとしても、誰かが祝ってくれたり、賞金をめぐんでくれたりすることもめったにないはずで、お金の面で元をとれるようなことを期待しても、多くはそこまで到達できずにレースを終えることだろう。
それにもかかわらず、多くの参加者は目を輝かせ、楽しそうにマシンを作り、取りつかれたようにボンネビル ソルトレーク スピードレースに戻ってくる。宝探しや、ゴールドラッシュのように報酬を超えた何か、それはつまりそこには同じような情熱や楽しさを共有することのできる仲間や、見果てぬ夢や創造があるからなのではないだろうか。
映画「ライトスタッフ」で描かれた、音速を超える挑戦を行ったチャック イエーガーではないが、記録を打ち立てて、永遠に名前を刻む者もいれば、記録を打ち立てたとしても、何らかの事情で闇に葬られてしまう場合もあるだろう。それより以前に、そこそこの速度にもかかわらず、事故で失われた命も多くあるに違いない。どんな速度域であっても命を奪う可能性を持つ危険なイベントなのである。
それでも人間は速度に挑むのは、そこには男の子の夢とロマンがあるからだ(失礼! ボンネビル ソルトレーク スピードレースでは男子顔負けの勇敢さをもつ女の子のドライバーも、女性カメラマンもいた!)。
いったいこの車は何キロまで出るのだろう、という興味と関心と会話は、120年以上前のジャメ コンタントの時代から絶えることなく続く、永遠のテーマなのである。

Text: Lukas Hambrecht
加筆:大林晃平
Photos: Alexandra Lier