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【クラシック オブ ザ デイ】石油危機のさなかに登場した独創的なエキサイター それでも高人気を博した BMW 2002ターボ物語

2023年10月6日

BMW 2002ターボ:独創的なエキサイター。石油危機のさなか、BMWは170馬力を発揮する時速212kmの2002ターボを発表。スキャンダルだった。50周年を迎えたBMW 2002ターボ。クラシック オブ ザ デイ!

1973年、オイルショック、一般速度制限、ガソリンスタンドの数量制限。リベット留めのオーバーフェンダーを持つ、時速212kmの「BMW 2002ターボ(170ps)」をIAA(フランクフルトモーターショー)に出品とは、これ以上悪いタイミングがあっただろうか?

しかも、フロントエプロンにミラーを反転させたようなレタリングが施されていた。量産車にはこのタイプレタリングは装着されなかったが、後付けアクセサリーとして非常に人気があった。

ソファのようなスポーツシートと4速ギアボックスを標準装備したシンプルなコックピット。

欧州初のターボチャージャー搭載乗用車

「2002ターボ」はドイツ連邦議会にも登場し、その存在意義が議論された。欧州初のターボチャージャー搭載車としての役割も歴史的に重要である。

「2002ターボ」は、02シリーズ(1966~1977)のスポーティな完結編にほかならない。フツウの2ドアカーで「ポルシェ911」に勝負を挑むための、感嘆符だった。もちろん、これを達成するためには、「2002 tii」の130馬力と177Nmを少し上回るパワーが必要だった。

しかし、その2リッターエンジンは、ターボベースとしてすでに何度かその実力を証明していた。たとえばモータースポーツでは、1969年以来ツーリングカーの歴史にその名を刻んでいるし、「ターボX1」のプロトタイプでは、ターボチャージャー(ここでは7100rpmで280馬力)を市販車にも搭載することを最終的に予言した。

トレードマーク: フロントエプロンの反転レタリング。

時速100kmまで6.9秒

「2002ターボ」の心臓部であるクーゲルフィッシャーフューエルインジェクションシステムは、シリンダー近くに燃料を供給するが、全負荷時にはケチケチしない。当時のテスターは、3500rpm手前でのパワーのなさ、240ニュートンメーターの急激な伸び、そしてギアチェンジ後にブースト圧を高く戻すために常に6000rpmまで回転を上げなければならないドライバーへの要求に不満を漏らしていた。

その一方で、ハンドリングはシンプルで親しみやすく、穏やかなタッチのオーバーステア、心ゆくまで走り回れる限界域で911をカモっていた。

総重量1,080kgの2ドア車は、完全停止状態から時速100kmまで6.9秒で駆け抜けた。しかし、その魅力的な特徴にもかかわらず、ヨーロッパ初の量産ターボは、実行犯というよりは前触れだった。わずか14ヶ月、1,672台が生産された後、BMWは物議を醸したこの高性能コンパクトカーを撤退させた。

大林晃平:
2002シリーズが生産されていた私の小学生時代、4年前に亡くなった父は、街で2002を見かけるたびに「あれはBMWと言う車だ」と教えてくれたものである。まだBMWもメルセデス・ベンツも珍しかった当時、確かに街で見る2002は他の国産車よりもかっちりとして上質で、なんだか硬質な雰囲気を全身から醸し出していたものだった。例えばドアハンドルひとつとっても、妙にペラペラの我が家のシビックとは異質で、ドイツ車というのはすごいなぁ、と思ったものである。

そんな2002の中でもターボと言うのは、別格な存在で、世界で最初のターボチャージャーが搭載された生産車ということと、エアダムスカートに貼られた、逆さ文字の「turbo」の二つの部分が大きく記憶の中に、深く刻まれた存在であった。

前者の生産車初と言う部分の中でも、さらに「KKKターボ」という響きの名称がミソで、KKKと言うのはドイツのメーカー(Kuhenel Kopp ünd Kaush社)名である、というのは頭でっかちのCG(カーグラフィック)小僧が暗記し、同級生に吹聴自慢するべき重要ポイントでもあった。

また後者はアウトバーンで前を行く車がミラーで読むと、ちゃんと普通の文字に映って見えるため、どいてくれる効果がある、という妙に説得力がある解説が自動車少年の心に刺さったわけだが、はっきり言って文字自体はそれほど大きくないため、高速走行中に小さなバックミラーに映った文字が、前車のドライバーが読めたたかどうかはかなり怪しい。それでもこの部分は、BMWとして頑張ってお洒落した、精いっぱいのドイツ流シャレッ気ともとれるわけで、まあ当時のメルセデス・ベンツでは絶対にやらないような処理ではあった。

そんな高性能な2002ターボであったはずなのに、わが国の頭の固い運輸省は「オーバーフェンダーは絶対に許しません!!」と主張し、リベット止めのオーバーフェンダーを当時の輸入元であるバルコムトレーディングに外させ、無残に残った穴をパテ埋め(あああ)させるという指導を行った。

オーバーフェンダーやリアスポイラーは暴走族だからダメ、というなんとも時代遅れでいちゃもんに近い指導だが、当時の(今も、か)運輸省の(バカな)お役人の頭には、でっぱったフェンダーや空力的に正しいリアスポイラーは、即出っ歯竹やりの暴走族仕様という認識しかなかったのだからやむをえない(それなのに、前述の、逆文字が張られたフロントスポイラーが認可されたのは不思議ではある)。

蛇足ながら、長年わが国の生産車にサンルーフが認可されなかったのは、「サンルーフから暴走族の皆さんが身体を乗り出し、大きな旗を振る可能性があるため」だったと聞く。昔も今も、まったく時代錯誤と言うか、よくそんな理由思いつくようなぁ、というべき原始時代的思考能力である。

さてそんな世界初のターボチャージャー搭載生産車たる2002ターボではあったが、オイルショックが大きく影響したためか、結局ホンダN-BOXの5日分の生産台数とほぼ変わらない1,672台だけで生産を終了してしまった。おそらく電子制御ではなくクーゲルフィッシャーの機械制御式燃料噴射装置とインタークーラーを持たない意外とプリミティブなシステムが影響し、燃費などには相当厳しいものがあったのだろうと推測される。

だがこの生産台数では、現在高価になることは当然で、今年の春に幕張メッセで開催された「オートモービルカウンシル」という自動車イベント会場では、バリバリにレストアされた一台が、2002万円という車名に引っ掛けたゴロ合わせ価格で売られていた(ただし、会場では、この一台は会場特別価格➡家具見本市かいな・・・)ということで、それよりかなり安いお勉強価格となっていたはずである)。2002万円は当時の価格の数倍ではあるが、当時の貨幣価値や現代における希少価値を考えれば妥当なプライスタグであるともいえるだろう。

世界最初のターボチャージャー搭載量産車は、これからもますます希少な存在として語り継がれていくに違いない。

Text: Manuel Iglisch and Matthias Techau
Photo: Thomas Stark