写真とともに振り返るゲレンデヴァーゲンの40年 メルセデスGクラス (後編)

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クラッシュテストのおまけ動画付き メルセデスGクラス 40周年記念展示@メルセデス博物館 

メルセデスGクラス誕生40周年を記念して、ダイムラーは最も活気に満ちたオフロードモデルに敬意を表し、「G-Schichten」(”G Layers”)と題した特別展を2020年4月まで、1年にわたってシュトゥットガルトのメルセデスベンツ博物館で開催した。40年のモデルの歴史の中から、11台の代表的なモデルを写真とともに紹介する。

メルセデスGクラス(W460)は、240GDというベーシックなモデルからスタートした。
四輪駆動セグメントの比類なきアイコンは、教皇ヨハネ パウロ二世のためのパパモビルとして、あるいはパリ ダカール ラリーの勝者として、個性を発揮した。また、12気筒で1000Nmのトルクを持つパワフルなG65 AMGファイナルエディションが示すように、ワイルドな走りも可能だった。
また、AUTO BILDからは、2019年「ゴールデンクラシック賞」の表彰という誕生日プレゼントもあった。

スパルタンから万能オフローダーへ

Gクラス(ゲレンデヴァーゲンの頭文字をとってそう命名した)は、かつて軍や林業従事者のためのワークホースとして開発されたものだった。誕生当時はまだかなりスパルタンな装備で、エンジンの種類も比較的控えめで、ディーゼルとガソリンのバージョンは72~150馬力というラインアップだった。
日本にもウエスタンモータースからディーゼルエンジンの300 GD(ロング)のみが正規輸入され、ヤナセで発売された。その後はガソリンエンジンの230 GEも正規導入されたが、必要最低限の230のみで、280 GEは輸入されることがなかった。ゲレンデヴァーゲンは当時そういう質実剛健な車だったのである。
1979年当時のGクラスのベース価格は32,600ドイツマルク(200万円弱)だったが、年月を経るごとに、この車はより豪華で多用途なものになっていった。
ドイツ連邦軍がGクラスを使用していただけでなく、2013年にはオーストラリア軍向けの車軸を3本備えた6輪駆動車メルセデスG63 AMG 6×6(544馬力、760Nm)が開発され、多くの国主や首長たちのお気に入りのおもちゃとなった。

ローマ法王以外にも、フランツ ヨーゼフ シュトラウス(特別なアクセサリーをふんだんに使った300GDに乗っていた)をはじめ、多くのセレブリティがこのマルチオフローダーに熱狂していた。
プロスキーヤーで超セレブのヨン オルソンは、Gクラスのルーフをぶった切って、エクストリームな「ロードハンス(Lord Hans)=彼の付けたニックネーム」に改造していた。
そしてもちろん、ダイムラーのハウスチューナーであるAMGもGの開発に貢献した。特に5.5リッターV8ツインターボを搭載したG 63は、新世代(2018年以降)では585馬力の4リッターV8ツインターボに置き換わっている。
そして、G 65では12気筒さえも積まれたのだから、40年前に開発に携わったエンジニアたちはびっくりだろう。

それではフォトギャラリーとともにGクラスの世界、後編をご堪能ください。

280 GE「パリ ダカール」(1983):
1983年1月20日、伝説のレーシングドライバー、ジャッキー イクスと俳優のクロード ブラッソーを乗せたこの280GEが、伝説のパリダカールラリーで総合優勝を果たした。その1年前にも、このベルギー人とフランス人のペアは、280GEを駆って2位でゴールしている。1983年には、優勝車に加えて、後ろに続いた8台の280 GEが、5位、8位、12位、13位、15位、17位、19位のポジションを獲得している。風洞実験で最適化されたボディワークは、多くのアルミパーツのおかげで、大型シリーズよりも軽量化されている。ボンネット下には、パフォーマンスを向上させた6気筒エンジンが搭載されている。このころのゲレンデヴァーゲンはまだまだ武骨で、ひたすらオフロードだけが主戦場だったのだ。

プフ280 GE(1986):
Gクラスは、オーストリアのグラーツ、シュタイア プフ(現マグナ シュタイア)社で40年間生産されてきた。この場所は、1899年に、ヨハン プッチが設立したプッチ ヴェルケに遡る。1979年から1999年まで、全Gクラスの約10分の1がプッチブランドで販売されていた。オーストリア、スイス、東欧を中心に販売されていた。

300 GD “オットー(Otto)” (1988):
26年、215カ国、約90万km走行。これらは、”Otto “と名付けられたGクラスの打ち立てた印象的な数値だ。ドライバーであるグンター ホルトーフは1989年から2014年までに、このオットーと命名された300 GDで全世界を駆け巡った。ルートの約3分の1は人里離れた場所だった。このワールドツアーにより、このゲレンデヴァーゲン車はギネスブックに登録された。

G 63 AMG「ハーフ&ハーフ」(2013):
Gクラスは、過酷な地形でもアスファルトでもその価値を証明する。このG 63 AMGは、その両側面を表している。左側はオフロードでのシャシーアーティキュレーションの魅力的な可能性を、右側は路上で培われたドライビングの快適性を示している。 思い切った格好の良いディスプレイだが、実際にG 63をこういう風に汚して使っている人は、ほとんど見かけない。

G 500カブリオレファイナルエディション200(2013):
オープンバージョンは40年前の初代からGクラスのラインアップに存在していたが、ショートホイールベースのGクラスカブリオレは2014年に生産終了。2013年に発売された「ファイナルエディション200」は、ブラックペイントとサンドカラーのソフトトップを備えた200台限定のG 500で構成されている。ただし、この幌はたたむのもメンテナンスも大変らしい。

G 65 AMGファイナルエディション(2017):
パワフルなオフロード車の販売成功が示すように、メルセデスGクラスとAMGの相性は抜群だ。12気筒エンジンを搭載し、1000Nmのトルクを発揮するG 65 AMGは伝説的な存在だ。生産終了時には、専用装備の「ファイナルエディション」が用意された。外側も内側も、すべてが最高のもので作られている。しかし、オフロードで運転するオーナーは非常に少ないし、まさかこんな車が作られるとは昔のメルセデスベンツのエンジニアは予想すらしなかったはずだ。

G 500 “300.000ster”(2017):
このG 500はユニークな作品だ。1979年以来、30万台目のG 500として2017年7月にグラーツの生産ラインから世に送られた。ペイント(モーリシャスブルーメタリック)と装備(ホワイトステッチのブラックレザーシート)は、世界中のGクラスファンがソーシャルメディア上で投票して決定したものだ。

もっとダイナミックなGクラスの写真、ご覧になりたければ、こちらをどうぞ。最後の1枚にはアーノルドシュワルツェネッガーが愛車のゲレンデヴァーゲンと一緒に写っている(アルドシュワルツェネッガーにゲレンデヴァーゲンも「オーストリア生まれ」という共通項があるのだ)。

Photo: Kreisel Electric GmbH / www.martinproell.com

今から40年前、発表されたばかりのゲレンデヴァーゲンを見るなり、ランドローバーのエンジニアたちは「メルセデスベンツがライバルのモデルを出してくるというので戦々恐々としていたけれど、そのスタイルを見て安心したよ」といったのだそうだ。
たしかにこういう高級な四輪駆動車というカテゴリーに、新たにメルセデスベンツが乗り込んでくることをランドローバーは恐れていたのだが、そのあまりにも武骨で高級感のかけらもないスタイルと内装を見て、彼らは胸をなでおろしながらこうも思ったはずだ。「私たちのクルマの方がはるかに高級であり、メルセデスベンツの出した車は単なる装甲車かトラックだ」と。
確かにその当時の出たばかりの230 GEとか、300 GDと呼ばれていたゲレンデヴァーゲンは、外装も内装も飾り気の一つもなく、優雅な雰囲気を持っていたレンジローバーとは比較にならないほど味気なく見えた。日本にも300 GDをヤナセが正式輸入し、私もそのころゲレンデヴァーゲンを運転させてもらったことがあるが(実はその頃、私はゲレンデヴァーゲン大好きだったのである)、重い、走らない、堅い、そしてそっけない、ひたすらトラックのような車だった。
その後、徐々に木目パネルがついたりしたが(230 GEプレディカートと呼ばれた)、一番の変貌を遂げたのはフルタイム4WDになった時だろう。ボディカラーも「普通の」メルセデスベンツと同じように、アルマンダインレッドがあったり、内装もまるでW124のメーターパネルをそのまま移植したりしたような姿になって、なんとも魅力的に見えた。そしてその頃の価格は1000万円以下であった。
その後ゲレンデヴァーゲンはひたすら高級で、高性能で厚化粧のマイナーチェンジを繰り返す。40年の歴史の中には12気筒さえ積んだモデルや、ヘッドライトの下にLEDライトがずらっと並んだり、オーバーフェンダーでデコラティブになったりと昔のそっけないほどの姿はどこかへ消えて、威圧感満載の姿で高速道路の追い越し車線を日本の制限速度2倍に近い速度で走るようなモデルまで出てくるようになった。まさかV12を積んで、20インチもの扁平タイヤを履かされて、3000万円以上もする車になろうとは、40年前のエンジニアたちは夢にも思わなかったことだろう。
そして結局はその頃のつまりは最初のレンジローバーよりもはるかに長生きするということになろうとは、ソリハルの経営陣もシュツットガルトの経営陣も予想もできなかったに違いない。
それでも私は、今でもゲレンデヴァーゲンが好きだし、新しくフルモデルチェンジした(とメルセデスベンツは言わないが)ゲレンデヴァーゲンが、新旧モデルで一見では判別しづらいような姿で出てきたときには、なんだか安心したものである。
それでも40年前の、あの300 GDのようにシンプルで、なんともそっけないけれどたくましいモデルは、今のゲレンデヴァーゲンのラインアップには見当たらない。もちろん21世紀の今、そんな何もついていないゲレンデヴァーゲンを出したところで、ごくわずかな好き者だけが買ってくれるような珍車になってしまうかもしれない。
それでも、あの質実剛健な300 GDがなんとも輝いて見えるのは、ゲレンデヴァーゲンに限らず、本来メルセデスベンツという車は、基本に忠実で飾り気のない実用車だったから、である。

Text: Christian Jeß
加筆:大林晃平
Photo: Daimler AG

【映像:クラッシュテスト】

写真とともに振り返るゲレンデヴァーゲンの40年(前編)はこちら