【こんなクルマ知ってましたか?】自動車史に残るスポーツカー 実験車としてしか歴史に残らなかったメルセデスC111とは?
2023年9月24日
メルセデスC111:ドライビングレポート。50年前、このスポーツカーは自動車ファンを魅了した。残念ながら実験車としてしか歴史に残らなかった伝説の1台。クラシック オブ ザ デイ。
「C111」は誕生から半世紀を経た今もその魅力を失わず、デザイン面でもドイツのみならず世界の自動車史に残るスポーツカーである。最初の写真が公開された後の1969年には、「C111」を購入したいと白紙小切手を持ったお金持ちたちがメルセデス・ベンツ本社に駆け込んだと言われている。
しかし、このヒラメキはあくまでも実験車および技術運搬車として意図されたものであり、最初から量産される予定はなかった。シュトゥットガルトのメーカーは、これをドライブコンセプトの研究と比較に使いたかったのだ。
C111は当初から自動車ファンに愛されていた
1970年のジュネーブモーターショーで「ホワイトオータム」と呼ばれるカリスマ的なオレンジ色でワールドプレミアを飾った。特にプラスチックボディのフロントデザインは、エアロダイナミクス向上のために全面的に見直された。
4.40メートルのメルセデスは、それまで「NSU Ro80」や「マツダ コスモ110」のようなブランドにしか採用されていなかった「ヴァンケルエンジン」によって、その名を世に知らしめた。そして、シュヴァーベン人はロータリーエンジンを搭載したモデルのさまざまな設計を試みた。当時、「C111-II」の4ローターのロータリーエンジンは350馬力を発揮し、最高速度は300km/hとなった。
リアエンドには3種類の内燃機関が搭載された
「C111」が”ヴァンケルスポルトラー”として自動車史に名を刻んだとしても、ボンネットの下にはディーゼルエンジンも搭載された。手作業で製造された12台のうち、ロータリーエンジンを搭載していたのは3台のみで、3台は5気筒ディーゼルエンジン、残りはV型8気筒ガソリンエンジン(ターボ付きとターボなし)を搭載していた。
自然吸気V型8気筒エンジンは、当時のメルセデス製エンジンのポートフォリオの中で最も近代的なものだった。メルセデスのフラッグシップである「280 SE 3.5」や「350 SL」などに搭載されたこのエンジンは、3.5リッターの排気量から200馬力を発生し、「C111」を260km/h以上に加速させた。
3.5リッターの「M116」エンジンは、先代の「Sクラス」ではオートマチックトランスミッションと組み合わされていたが、「メルセデスC111」では5速マニュアルギアボックスと組み合わされている。1速ギアは左下にある。しかし、3.5リッターV8との組み合わせは、3500rpm以上回さないと本領発揮できないのだが、今回のテストコースにはそういった場面が少なく、やや物足りなかった。
メルセデスの古さはまったく気にならない
今日の基準から見ても、シュヴァーベン産のヒラメは驚くほどスムーズに走る。特に半世紀を経たプロトタイプにしては。23,000km強しか走っていないこともあり、ほとんど新車のようだ。
接着された接合部のいくつかに年季が入っていることを感じさせるが、狭いワインディングロードでも「メルセデスC111」は現代のクルマに引けを取らない速さで走ることが可能である。
ミッドエンジンコンセプトのおかげで重量配分は理想的で、さらに軽量ボディがそれを支えている。8気筒エンジンは、そのサウンドのよさに加えて、3,500回転を超えると実に力強い。パワーアシストなしのステアリングは、ブレーキと同様に正確で、激しくコーナリングしても「C111」は悲鳴を上げたりしない懐の広さを併せ持つ。
乗員のためのスペースと快適性は少ない
サイドシルが幅広いため、メルセデスの室内は非常に窮屈で、乗員はほぼ真ん中に座ることとなる。また、気温の高い中を少し走るだけで不快なほど暑くなる。シガーライターや灰皿とともにテスト車両に装備されたエアコンでさえ、この状況を変えることはできない。開発エンジニアの多くは熱心な愛煙家だったので、センターコンソールに縦に設置されたラジオの下に小さな灰皿を取り付けたのであった。
その上には、水とオイルの温度、燃料タンク容量、油圧に関するメーターがある。「W198」シリーズの伝説的な「メルセデス300SL」スタイルのガルウィングドアは、接着剤で固定された窓のみが装着され、千鳥格子のスポーツシートが装着されている。
大林晃平:
メルセデス・ベンツC111を、数かずの速度記録を打ち立てた「記録車」とだけ認識するのは間違いであると思う。確かにC111は1978年に1周12.5キロのナルドサーキットにおいてポール フレール、グイド モッホ(メルセデス・ベンツ開発エンジニア)、ハンスリー ボルト(C111開発責任者)、リコシュタイ ネンマン(スイス人ドライバー、元ポルシェチームのマネージャー)の4人組で、9つもの世界速度記録を打ちたてた翌年には、ナルドサーキットにおいて403.928km/hもの世界最高速度記録さえも達成している。とはいってもこれらは1969年に発表された、ガルウイングのC111と同じC111ではもちろんなく、元の姿が判別できないほどに改良された、ロングテールモデルの話である。
いずれにしてもC111と言えば必ず出てくるのがこの最高速度記録などの話ではあるが、C111の本質は実はそこにはない。ではC111はどんな車なのかと言えば、一言でいえばエクスペリメンタルであり、実験車という位置づけは、まあ正しい(まあ、と言ったのには含みがあり、メルセデス・ベンツにとっては単なる実験車と言う意味合いだけではなく、市販を考慮していたのではないか、とも思える部分があるからだ。だからこそエアコンばかりか、ベッカーのカーステレオや、灰皿(!)さえも装備されていたのだろう)。
1969年に発表された時には、「世界で一番最初にコンピューターによって設計された自動車」として登場したC111は登場時には3ローターのロータリーエンジンを搭載して登場し、翌年には4ローターのロータリーエンジンに進化した。と思いきや、ロータリーエンジンがエネルギー問題などで開発が前途困難となった時点で、5気筒のディーゼルエンジンに載せ替えて1976年に再登場。5気筒のディーゼルエンジンと言えばセダン・ワゴンボディの300Dが連想されるが、C111のようなガルウィングドアを持った高性能スーパーカーにディーゼルエンジンと言うのは、いかにも理論武装で理屈っぽい当時のメルセデス・ベンツらしい。
そんなC111ではあるが、その特徴的なオレンジ色に塗られたボディのデザインはブルーノ サッコ。そうW124、W126、W201、R129、といった、まごうかたなきメルセデス・ベンツを多くデザインしたイタリア紳士デザイナーがデザインしたスーパーカーなのである。
2種類のロータリーエンジンからディーゼルエンジンへと進化を遂げた後、C111にはツインターボチャージャーが載せられ、このエンジンで前述の400kmオーバーの最高速度記録を達成したのであった。この目まぐるしいエンジンの変遷でメルセデス・ベンツは何をしていたのかと言えば、それはもちろん新技術の開発実験ということであり、エンジンだけではなくシャシーの開発研究などの実験素材として生まれたクルマがこのオレンジ色の自動車なのであった。
さらにC111にはルマンでの悲惨な事故以来、メルセデスが出場してこなかったレース復活への布石の意味があるともいわれていたし、C111は市販前提のプロトタイプモデルではないか、という意見も多くあったが、研究車が正解だったのか、それ以外のどの説が本当だったのかは不明のままである。というよりも、メルセデス・ベンツ自身も、どうするべきか考慮中のままプロジェクトは進んでいたのではないだろうか。
そんなC111の有名な話は、エクスペリメンタルモデルとしてショーに飾られた日から、メルセデス・ベンツ本社には金額の欄が空欄の小切手が、C111を購入希望するメルセデス・ベンツの顧客から舞い込んだという話で、まあそれがどこまで本当なのかは僕には判別できないが、当時のクソまじめなメルセデス・ベンツのラインナップから見たら、メルセデス・ベンツC111はものすごく高性能で、未来から大股でやってきた異星の宇宙船のように魅力的に見えたのであろう。
驚くことにエアコンだけではなく、ベッカー製のカーオーディオや灰皿さえもキャビンには備わっているので、メルセデス・ベンツとしても売る気は満々だったのかもしれないが、実験車だけの運命でC111は都合14台が制作され、市販には至らないまま、10年以上もの研究車の運命を終える。イメージカラーのオレンジは(おそらく)視認性が高く安全だからという理由で選ばれたような気もするが、メルセデス・ベンツのつけたカラーネームはなぜか「ローズワイン」。ドイツ人にはこのオレンジ色がワインの一種の色に見えるのだろうか・・・。なんだかC111のその部分が一番ナゾである。
さてそんなC111に1970年にホッケンハイム サーキットと一般路上でインプレッションを行ったポールフレールの言葉で締めくくろう。
「C111が永遠の名車であるガルウイング300SLの後継車になる資格は、十二分にあるのだ」(訳: 山口京一 カーグラフィック70年2月号より抜粋)
合計で14台のC111だけが世の中に生まれ、市販されなかったことは本当に残念である。
Text: Stefan Grundhoff
Photo: Dino Eisele